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周一郎舞台裏 〜猫たちの時間5〜  作者: segakiyui
3.シーン306

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2

(ったく、どうしたっていうんだ?)

 垣は訳がわからないまま、自分にまとわりつく修一に眼を落とす。

(からかってる、ってわけでもなさそうだし)

 きゅん、と人なつこい子犬を思わせる仕草で修一が振り返り、垣がちゃんと付いて来ていると確認して、露骨に嬉しそうな顔になる。

 とにかく最近、修一はやたらと垣の側にくっついていたがる。ひどい時には一場面終るごとにいそいそと駆け寄ってきて、それでいて、別に打ち合わせや演技の指摘があるわけじゃない。疲れちゃったとか、暑いねとか、本当に他愛のないぼやき半分、時に飲み物を飲むかと尋ねられたり、昼になれば御飯を一緒に食べに行こうと誘われたり、仲のいい友人2人がたまたま同じ現場ででくわして、大変だけど協力してやっていこうな、と言い交わすような顔で垣を見る。

 何か魂胆があるにしては、邪気のなさすぎる表情だ。

(まあ、こいつは『名子役』だから、その気になれば、どんな『ふり』だって出来るんだろうが)

 そういうもので懐柔されるのは面白くない、かと言って、もし修一が本気で、何か心境の変化があって垣を認めてくれているのだとすれば、千載一遇のチャンス、修一とのコネは今まで辿りつけなかった未来へ垣を引き上げてくれるだろうし、手放すわけにはいかない関係……そんなこんなを考えて、つい足下への注意がおろそかになり、のたうっていたコードに躓いてこける。

「ぶ!」

「垣さん!」

 少し先を歩いていた修一が慌て気味に駆け戻ってくる、まるで小さな弟が転んでしまったのを心配するように。怪我はしていないかと不安がる顔で覗き込んできて、垣が衝撃に眼を白黒させているのに、明るく笑う。

「凄いや、こんなところでもこけられるんだから、やっぱり垣さんは凄いね」

「ちぇっ」

 それは褒めてんのかよ、どっちかと言うと嘲笑ってるんじゃねえのかよ。

 舌打ちしてやさぐれた呟きを心の中で漏らしたものの、修一があまりにもあっけらかんと笑っているので、怒る気も失せてしまった。

 もそもそと起き上がる垣を、修一は大人しくじっと待っている。その様子がひどく小さな子どもに見えて、ふいに、この少年が自分と10歳ほども違うのだと気づいた。

(小さく見えるはずだよな)

 思い出したのは、先日訪れた、修一のマンションでの出来事だ。

 ベルを鳴らし、ノックをし、声かけしても返答がなかった。終電間近の街は大声を出し続けるには静か過ぎた。このまま帰ろうかと思った頭に過ったのは、伊勢監督の無能呼ばわり、ええいままよ、とノブを回せば、意外にあっさり開いてぎょっとした。

 こんな夜に施錠もしていないなんて、しかも友樹夫妻のマンションにおいてはあり得ないだろう。ひょっとすると、何か異変が起こって、それで鍵を開けたまま出て行ったか、或いは中でとんでもないことになっているか。

 ごくりと唾を呑み込んだ垣の頭には、このマンションが売れっ子俳優夫婦の家にしてはこじんまり過ぎるとか、あからさまに私宅アピールがうさん過ぎるとか言う結論はない。

 奥の方でがさがさと何かが動く、つまりは人の気配がしたのを良い事に、そうっと部屋の中へ忍び入る。

 だが、飛び込んで来たのは、あまりにも予想外の光景だった。

 部屋の中に広がる鮮やかな色の洪水。おもちゃ箱をひっくり返したような光景の中で、一際赤い滴りに指先を濡らしてへたり込んでいる修一の姿。

 ぎょっとして踏み込んでいろいろ手当をしてしまってから我に返り、修一とことばを交わすうちに気がついた、あまりにも寒々とした生活感のない部屋の様子。

(ここには誰も住んでねえのか?)

 ようやく頭に過ったのは、このマンションがたびたび『友樹夫妻の私宅』として取材され公開されることがあるという事実、ついでに、大物俳優の家にしてはお粗末すぎるセキュリティ。

 けれど、その中に修一は居る、場所の確保に置き去られて忘れられた物のように。

 なだれ込むようにDVDを見ることになって、そこで改めて自分の才能のなさとか、隣ではしゃぐガキの凄さとか、まあそういうなんだかんだの鬱屈を背負わされたものの、泊まっていけと言った修一の顔にためらった時、部屋の冷たさが重なった。

 ソファに載せられっ放しらしい毛布、小さな猫のぬいぐるみ、その瞳に映る天井のシャンデリア、火の気のないダイニング・ルーム、冷えきって埃が溜まりつつある寝室。

(どこもかしこも物置みたいじゃねえか)

 自分を泊まらせようとあれやこれやとことばを重ねる修一が、いつものように自分のドジを嘲笑う名子役の友樹修一ではなく、どこにでもいるような、しかも孤独で人の熱に飢えている14歳の子どものように見えた。不安げで頼りなげな表情、だがそれも一瞬のこと、『泊まる』と応じてしまうと、幻のようにかき消された顔だったが。

(まんまと乗せられちまった、んだろうな)

 垣は心の中で溜め息をつく。

 相手は友樹修一、希代の名子役、それをDVDでまざまざ示されていたと言うのに。

 修一の外面の良さにあしらわれている周囲の大人やファン達を嗤えたもんじゃない。

(オレはよっぽどバカなんだな)

 考えつつも、何度思い出しても、あの時の修一はとても1人で残せないような感じがした、そう思って、また苦く笑う。

(才能以下だ)

 本当に役者には向いてないんだろう。

「何食べる、垣さん?」

 話しかけてくる修一の端整な横顔を見つめ返す。

 役者は相手の気持ちを動かし、引き出し、行動を促す。

 それが仕事だ。

 あの夜の修一の意図はわからない。夜中に何を仕掛けられることもなかったし、泊まったことをネタに何か要求されることもなかった。

 だが、この先もそういうことが一切ないとは言い切れない。

(今度は一体何をやらせようって言うんだ)

 警戒心は募る。

「ねえ垣さん」

 ふいと修一が垣を振り仰いだ。

「あ、ああ」

 無邪気で可愛らしいじゃないか、そう感じたのを無理矢理押さえ込む。

「そうだな、オレは何でもいい」

「そう。じゃ、ここ入ろ」

 慣れた様子で近くに開いた扉に向かう修一。周囲を見ると、似たような店はいろいろあるようだが、最初からそこを目当てにやってきたと取れなくもない。あえて違いがあるとしたら、こじんまりとしたファミリーレストラン風に見えて、店の看板がごく小さく、メニューらしきものが一切掲げられていないというところか。開いた戸口の向こうでは、やや年配のギャルソン風の男性が、穏やかに微笑みつつ、こちらに視線を合わせてくる。

 たぶん、修一の好みの、つまりはいささか高級な店。

(金…あったかな)

「いらっしゃいませ」

「席は空いてる?」

「こちらへ」

 修一の、聞きようによっては傲岸不遜な問いかけに相手は不満そうな気配さえない。静かに会釈して、垣もゆったりと迎え入れ、窓際の整えられた席に案内してくれる。

 濃い色のテーブルクロス、座席に入った二人にシックな色合いの革張りのメニューが届けられる。

(おいいいっ)

 値段を見て垣は絶句する。

(昼間だぞ昼間)

 誰がこんなディナー並のレベルの店で食うんだ?

 うろたえを隠して、それでも一番安いピラフ単品を選ぶ垣に、修一がくすくすと楽しげに笑う。

(こういうところが!)

 むかつくんだよな、こいつ。

 垣は唇をねじ曲げ、窓の外へ視線を向けた。


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