88 【リュドビク視点】動き続けていないと死ぬ呪いにでもかかっているのか?
書斎のテーブルの上には、今朝方届いた手紙の束が置かれていた。
順に差出人を確認していくと、モンテンセン伯爵家に遣わしたキーファーからの手紙が目に留まった。それに、珍しくマルティーヌ嬢からの手紙もある。
マルティーヌ・モンテンセン伯爵。
青白い顔色をしてはいるものの、瞳からは強い意思を感じられた十二歳の小柄な少女。
初めてマルティーヌ嬢に会ったときの印象は、「想像していた人物像とは違う」というものだった。
幼少期に他人と関わる時間が少ないと、表情の乏しい人間になるという。
ほとんど屋敷から出ず他人と交流していないマルティーヌ嬢が、初対面の大人である私とまともに会話ができるのか?
そんな心配をしながらモンテンセン伯爵家を訪問したのだが、私の懸念は杞憂に終わった。
何よりもまず、領地視察をしてきたという行動力に驚かされた。農地を回り、領民の意見を聞いてきたという。
普通、令嬢がする視察といえば、孤児院や学園の訪問などで、馬車から降りて建物内を歩くくらいだ。
あんな小さな体のどこにそれほどの情熱があったのだろう。しかも父親を亡くしたばかりだというのに。
どうしたらよいかわからず毎日泣いて過ごしていても不思議ではない状況下で、自分を律し、冷静に思考し、そして迅速に行動に移したのだ。本当に大したものだ。
そして、自分の理想とする領地のあり方を私に熱く語った。
――思えば、最初の面談時の評価が彼女のピークだった気がする。
領地に引っ込んでからの彼女は、勉強そっちのけで領地を駆けずり回っているようだ。他にもいくつか気になる点がある。
まず、私宛に報告の手紙が届かない。言わなくても定期的に報告を寄越すものだと思っていたのだが、言わないと駄目だった。
そして言った後でさえ、彼女からの手紙は不定期に届く。
留意しているならば定期的に届くものだ。まったく……。
思い出しては慌てて手紙を書いているのが見え見えなのだが、どうも彼女の文面からは、私と上手に付き合えているという自信が垣間見えるときがある。呆れるばかりだ。
最初に会ったときの大人顔負けの利口さに、私は過大評価をしてしまったらしい。
手紙での報告内容も、事後報告としか思えないようなものが多い。家令のレイモンがまめに知らせてくれているので大きな問題はないが、不安が尽きない。
何よりも、彼女は勉強以外のことに気を向け過ぎている。
領地を良くしたいという思いはわかるが、まさか例の変わった魔法で貯水槽を作るとは思わなかった。
本人は私にも報告済みの案件で、単に有言実行しているだけだと軽く考えていたようだ。
一応、私の魔法ということにしておいたが、何とも危なっかしい。
……はぁ。マルティーヌ嬢の手紙を手に取っただけで、悶々としてしまった。
私は悪い報告と良い報告があれば、前者から先に聞くことにしている。
なので、迷わずマルティーヌ嬢の手紙から開ける。
『――私にとりましてはリエーフが初めての護衛騎士なのですが、彼の交代要員がいないことをずっと憂いておりました。また、領主ともなれば数名の護衛をつけるべきであり、領主館の警護も必要ではないかという意見をいただきました。パトリック様の事件も記憶に新しいかと存じますが、犯罪を少しでも未然に防ぐべく、騎士の数人に市中の見回りをさせたいと考えております――――』
何だと?
騎士を集めたくなったのか? 何故? いや、それよりも、採用の話をしているということは、既に具体的な検討をしたのだな。
おそらく検討している面々の中に気の利く者がいて、後見人の了承を得ているのかとマルティーヌ嬢に確認したのだろう。そして慌てて私に伺いを立てたといったところか。
マルティーヌ嬢と一緒に貯水槽を作ってから、まだ一月ほどしか経っていないというのに、今度は騎士を採用するだと?
だいたい、貯水槽の設置作業はまだ継続中のはずで、春先までかかる見通しだと言っていなかったか?
あれは大事業なはずだが、それをやり終える前に、どうして途中で新しいことをやろうなどと考えるのだ。
文面には、「私の意見を伺いたい」とあるが、笑ってしまう。既に採用することを決めているだろうに。
はぁ……。またかという思いで、その後の取ってつけたような字面を追って最後まで読み切った。
それにしても騎士に市中を見回らせるだと? たかだか数名に見回らせたところで、伯父上の身に起こったような犯罪は防げるものではないと思うが……。
まあ、やるのだろうな……。マルティーヌ嬢のニヤけた顔が脳裏に浮かぶ。緑色の瞳をキラキラさせながらも平静を装おうとして全く装いきれていないあの顔……。頭が痛い……。
マシな報告が読みたくなり、キーファーの手紙を開封する。
……は?
貯水槽の設置の合間に護岸工事を行うだと? しかも年内に?
マルティーヌ嬢は屋敷でじっとしていることができないのか?
屋敷でじっとしていると死に至る病にでもかかっているのか?
それはもはや『呪い』だぞ。
マルティーヌ嬢の美点を挙げるとすれば、稀有な固有魔法を領民のために惜しげもなく使う気前の良さだ。
あれほどまでに豪胆で繊細な魔法を使う人間を私は知らない。素晴らしいセンスの持ち主だが、魔法が魔法なだけに、使用のハードルは高い。
魔法以外では、一緒に貯水槽を作ったときに思ったのだが、日焼けを気にせず外で過ごせる、あのさっぱりした性格だろう。
私の知っている令嬢たちならば、侍女に日傘を持たせ、ほんの一瞬でも日に当たろうものなら激しく叱責しているはずだ。
彼女の性格の方が私的には好ましく思うが、令嬢としてはそのままでいいとは言い難い。
その点についてはサッシュバル夫人の教育がある程度進んだところで再度確認することとして……。
キーファーならレイモンとも上手い具合に連携して、マルティーヌ嬢を制御出来るだろう。
彼女の成形魔法とやらが規格外なのは確かなので、おそらくキーファーが出来ると言うのなら、彼女一人の力でも出来る工事なのだろう。
それでも慎重に進めるようにと返事を書かないではいられない。
……さて。マルティーヌ嬢への返事はどうしたものか。本当に悩ましい。
だいたい、この最後に付け足したような謝罪は何なのだ? この手紙をそのままサッシュバル夫人に送り、彼女から叱責してもらうべきだろうか?
あのパンを見たときは、何と子どもじみた嫌がらせだろうとため息が出た……。
まあ実際にまだ『貴族令嬢』になりきれていない子どもなのだが。だが彼女の精神年齢は高い気がしていて、ときどきこのような行動とのズレを感じて戸惑ってしまう。
私とて、嘲笑したギヨームは許せないし、許すべきではないと思ったので、きちんと叱責をしておいた。
まだまだ未熟なマルティーヌ嬢がギヨームに腹を据えかねて、その場で思いついた嫌がらせだろうが、貴族としては致命的な行いだ。
「報復」というちっぽけな概念など捨て去ってほしいものだ。だがそういう貴族的な思考と立場に相応しい振る舞いは、これからサッシュバル夫人共々私が教えるべきものなのかもしれない。
『――護衛騎士については、概ね君の案で妥当だろう――――』
あと馬も購入すると言っていたな。馬は少し慎重に進めた方がいいが、果たして私の考えが手紙で正確に伝わるだろうか。
マルティーヌ嬢は、不本意な部分は敢えて行間を読み取らないのではないかと勘繰ってしまう。はぁ……。
やはり大切な話は顔を見て直接話すべきだろう。そろそろ新年の例の話もしておかなければならない。
返事をしたためている途中で、書斎のドアが乱暴に開けられた。
「リュドビク! ここにいたのか。あーやっぱり。お前のところにもその菓子が届いていたんだねぇ。少しもらっていってもいいかな? いやあ、気がついたら無くなっちゃっててさ!」
……は?
手紙も菓子も、まだ届いたばかりなのでは?
ノックもせずに入ってきた伯父上は何を言っておられるのだ。
「伯父上。いったいいくつ食べられたのですか?」
「え? 数? さぁ? お前って、お菓子を食べるときにいちいち数えながら食べるの?」
あぁ伯父上はそういう方だった。はぁ……。
手紙の束の横に置かれている菓子は、相当に美味しいのだろう。
おそらく私を籠絡するための贈り物だろうと思い、手をつけていなかったが、伯父上に渡す訳にはいかない。
「そのようなことでいちいち断りもなく部屋に来るのは止めていただけませんか?」
「えっぇぇー」
「そのような声を出されるのも止めてください」
伯父上はブツブツと文句を言っていたが、何かを思いついたらしく、パアッと顔を輝かせた。
「それなら仕方がない。マルティーヌのところへ行って、直接もらうしかないね!」
「冗談が過ぎます。彼女は今それどころではないのです。領主教育を詰め込まれている最中なのですよ」
「え? 詰め込まれているようには見えなかったけどなぁ……」
それはどういう意味なのかと問い返してしまいそうになったが、すんでのところで踏みとどまった。彼女の学習態度については、今一度サッシュバル夫人とも話し合った方がよさそうだ。
それにしてもまいったな。近々マルティーヌ嬢を訪問することは伯父上には秘密にするほかないようだ。
出立までは何としても隠し通さねばならない。
あぁ頭が痛い。
マルティーヌの考えていることなんて公爵にはバレバレ。
それを言わないのは彼の優しさです。(でもちょっとは言いたい。いつか言うかも?)




