87 予算は大丈夫?
ディディエが部屋を出ていき一人になると、責任とか重圧とか、そういう重たい言葉が束になってドスンと肩に乗っかった気がした。
前世ならスタバにでも駆け込むところだよ……。トップって、大変だね。
仕方がないので、金庫番のレイモンを呼んだ。
必要な計画は、ここらで予算化しておかなければ。予算計画を立ててから発注だ。
「マルティーヌ様。お呼びとのことですが何かございましたか?」
「ええ。長い話になると思うから座ってちょうだい」
「私はこのままで結構ですので、どうぞお話しください」
あぁもぉー。タウンハウスのときみたいにはいかなくなったなぁ。
ここにはサッシュバル夫人もいるし、他の使用人もわんさかいるからね。
「そう? それじゃあ――例の五大計画の件なのだけれど、必要な費用と人員について相談したいと思って。一番目から順にやるつもりだったけれど、そう上手くはいかないものね。アレスターたちが帰ってきてくれたからには、騎士の採用も進めた方がいいと思って。ディディエにも話したのだけれど、ひとまず一人前の騎士を七名と、騎士見習いを二名採用する前提で計画を立てたいの」
「まだフランクール公爵からはお返事がきていないと思いますが、ご意見を伺う前に進められるのですね?」
「ええ。修正が必要になった場合は、そのときに考えるわ」
「承知しました」
レイモンのこの聞き分けのよさよ! 絶対的に私の味方だよね。安心して何でも話せるわ。
「何をするにしても、まずは費用をやりくりしないとね。馬の購入と騎士用宿舎の建設費用の算出に――あと厩舎は――うーん、少し手直しするくらいで当面は大丈夫かしら……」
「厩舎でしたら問題ないかと。過去には二十頭を超える馬がおりましたから。長年使用していないところは整備をしておりませんので、マルティーヌ様のおっしゃる通り手直しすれば問題ないでしょう」
二十頭? 大所帯じゃないの。そんな時代もあったんだ……。
「彼らの装備品等は後でディディエと詰めてもらえると助かるわ。やっぱり一番の問題は馬よね。アレスターたちは馬ごと来てくれたけれど、そうでない方もいらっしゃるかもしれないし、見習いの分は絶対に必要ですものね。買い付けはディディエにお願いするとして、あらかじめ一頭あたりの購入額を確認しておかないと資金繰りの計画が立てられないわね?」
「まさにおっしゃる通りでございます。ただ馬の購入は簡単ではないと思いますので、私からもフランクール公爵に相談させていただいた上で、改めて報告させていただきます」
「そう――よろしくね」
レイモンは意外と公爵を頼りにしている感じ?
「専用の宿舎は建ててあげたいと思うの。ちゃんと訓練場も確保してね。そうなると正式に大工に作業を依頼することになるでしょう? この前大工を手配したときは確保に苦労したようだから、向こう半年間くらいは押さえてしまいたいわね。もういっそのこと、五大計画の三番目のオーベルジュもついでに建ててしまいたいと思うの。最初は部屋数も絞って、レストランの席数も少なくていいわ。増改築ありきで、最低限の施設の建設を頼みたいの。どうかしら?」
もう、話し始めたら止まらない。欲望が次から次へとダダ漏れてしまった。
レイモンは私の剣幕に少しだけまごついたように見えたけど、すぐに自分を律して答えてくれた。
「マルティーヌ様。王都でお育ちのマルティーヌ様からされると、ここモンテンセン伯爵領は地味で狭い田舎領地のように見えるかもしれませんが、それでも農作物に関しては我が国を代表する一大生産地なのです。生産量で言えば、片手は無理でも両手には入ります。今年も豊作でしたし、何より先代が使用される予定だった交際費が随分な額、未使用で残っております。費用につきましては何も心配いりませんので、どうかご安心ください」
「そうなの? 本当に?」
「嘘など申しません」
――そうだった。レイモンはそうだった。
私は今回の投資費用は公爵に(初期費用だけじゃなく運転資金も含めて)多めに借りるつもりだったのに。
十年ローンくらいで打診しようかと思っていた。それが――本当に大丈夫なの?
「それじゃあ騎士の宿舎についても、アレスターやディディエに相談してもらうとして、オーベルジュは私が考えるわ。図面は引けないけれど、必要な設備や部屋の配置等は提案できると思うの」
「コホン。その、豪華な宿を『オーベルジュ』と呼ばれるのですね?」
あ! そういえば、何度か口走ってはいたけど、正式には言っていなかったっけ。
「そうなの。耳慣れない言葉だと思うけれど、新しいものだから新しい名前をつけたの」
「さようでございますか。それでは正式な名称として今後はそのように呼称することを周知しておきます」
「よろしくね。これから一段と忙しさが増すわね……。あなたには負担をかけてばかりだわ……」
「とんでもございません。人をやりくりするのは私の仕事ですから。マルティーヌ様がご心配されることではございません」
いやいや! 私の我が儘が発端だからね。
「そういえば、フランクール公爵から派遣していただいた二人だけど、調査の方はいつ頃終わるのかしら? 彼らに建築関係の進捗管理を行ってもらえばいいんじゃない? 騎士の採用に関連する部分は、ディディエとマークに取りまとめてもらうとして、レイモンはそれぞれから上がってくる報告を私に教えてくれればいいのよ。だから大工の手配が済んだら、通常業務に専念してね」
「……マルティーヌ様」
「レイモンには屋敷でどーんと構えていてほしいの」
「お言葉ですが、どんと構えていらっしゃるべきなのは領主であるマルティーヌ様なのではないでしょうか」
た、確かに。
「そ、そうね。じゃあ私と一緒にどんと構えていてちょうだい」
「かしこまりました」
レイモンが一瞬だけ、ふっと笑ったような気がした。
まあこれくらい言っても、彼のことだからあれこれと気配りして手も貸すんだろうけどね。
見習いの募集と採用試験については、私にちょっとしたアイデアがある。でもこれは年が明けて暖かくなってからだな。
派遣スタッフを建築の方へ回すために、河川の護岸工事をやっておかなくっちゃ。年を越す前にね!
公爵から返事が返ってきたのは、手紙をしたためてから一週間と少し経った頃だった。遅くない?
早馬で出したんだけどな。
絶対に急ぎってわかってるはずなのに。私をやきもきさせるための嫌がらせか? というか、お仕置きの一環なのか?
パトリックへの貢ぎマカロンは完全に無駄だった。もったいないことをした。
そして案の定、公爵からの手紙には碌なことが書かれていなかった。
『――正直、君からの謝罪をどう受け止めるべきか思案にくれている。間違いというには無理がある。あまりに粗末で浅慮な行いだが、その行為が招く結果を君が考えていなかったとしたら、後見人という立場から苦言を呈さない訳にはいかない――――』
――肝心のお伺いについての返事の前に、文末の一言について、やいのやいのと書かれている。まぁ確かに、おっしゃる通りなんですけど。
これ普通に貴族同士の社交でやっていたら大変なことになっていた。
相手によっては、松の廊下でブチギレた人と似たような結末だってあり得たかも……。
そうだよ。今更だけど、お菓子は普通に持たせて、ギヨームだけに、それこそ、すりおろしたホースラディッシュが大量に入ったサンドイッチでも渡せばよかったんだ。
ちぇっ。しくじった。
『――これまでは君からの単純な謝意として手土産を受け取っていたが、もしもその時々で異なる意味合いを持たせられた代物となるのであれば、今後は遠慮するべきかもしれない。好意をむげにするようなことを言わねばならぬのかと思うと、憂鬱な気持ちになるが――――』
うん? どういうこと? ムズっ。
「まさかこの私に、『いや、土産は結構』なんていうセリフを言わせるつもりじゃあないだろうな?」って言っている? その解釈で合っている?
じゃあ、返事はこれでいいのかな?
『私に他意などございません。たった一度の失敗のためにリュドビク様からお断りされようものなら、使用人たちがどれほど嘆き悲しむことでしょう。使用人たちにとって、リュドビク様に召し上がっていただけるということは、この上なく栄誉なことです。どうかその機会を奪わないでくださいませ』
こんなところかな?
『――あのように愚弄されたのだから、君が気分を害したのも理解できる。ギヨームには私からも再三言い聞かせておいた。彼も真面目に反省しているので、どうか許してやってほしい。それに君はいくら幼いとはいえ、れっきとした領主なのだ。本来であれば先代から時間をかけて受け継いでいくべきはずの矜持や覚悟といったものが、まだ君の中で十分育まれていないことは承知している。そればかりは仕方のないことだが、それを言い訳にすることはできない。この先、悪意を向けられることもあるだろうが、感情のまま報復に動けば身を滅ぼすことになる。自分を抑圧する術を身につけてほしい――――』
あーあ、バレてるよ……。あれ? でも命令口調じゃなくなっている……。
「身につけてほしい」? お願い?
えー! 公爵が優しくなっている……?
結局、質問に対する返事はどうなんだ? と思ったら、最後に、『護衛騎士については君の案で妥当だろう』とだけ書かれていた。
はぁ――。




