56 休日の視察②
工房を出て少し馬車を走らせると、農場が見えてきた。
最初の視察で感じてタウンハウスで公爵にプレゼンした内容は、夢物語なんかじゃなく今も必要なことだと思っている。
天候に左右される農業。鳥獣による被害もあるだろう。
あれだけの重労働なのだ。少しでも報われるように、出来るだけリスクは取り除いてあげたい。
「ねえ、ジェレミー。あなたのお父さんも言っていたけど、農業にとって天候は――取り分け水の問題は悩ましいものなのでしょう?」
「はい。両親はいつも心配しています。朝起きたら一番に空を見上げていますから。『そろそろ一雨ほしいな』とか言うくせに、降ったら降ったで、『降り続かなければいいがな』なんて言っています」
そっか……。雨が降らないと困るし、降り過ぎても困るんだよね。
降ってくる雨はどうすることもできないけど、降らなかったときの貯水くらいならば私にも手が打てる。
ジェレミーは乗合馬車で行けるところまで行き、そこから家までは歩かなければならないので、午後のお茶の時間までにはカントリーハウスに戻ることにしている。
伯爵家の馬車で送ることは簡単だけど、それをすると示しがつかないからね。
馬車がカントリーハウスの敷地に入り、もうすぐ止まるという時に、
「馬に乗れたらいいんですけど……」
不意にジェレミーが、無理だろうなと諦めた顔でつぶやいた。
乗馬の練習は元より、馬自体を購入することが難しいとわかっているのだ。
私の未来構想でも馬は必要になるので、どこかの時点で生産地や購入価格などは、ちゃんと調べておこうとは思っていたんだけど。
「そのようなことをマルティーヌ様の前で漏らすとは、どういうつもりですか?」
いや、ローラ。別にせがまれた訳じゃないよ?
「子どもだからという言い訳は通じないと言っておいたはずです。主人の前で、聞かれてもいないのに甘えたようなことを――」
「申し訳ありません。仕事中なのに考え事をしていました」
ジェレミーがしょぼんと項垂れている。
そう。まだ試用期間なのだ。一応、私の我が儘に付き合わせているという形になっている。
最後に馬車から降りたジェレミーは、何度もペコペコと頭を下げて謝り、何とかローラの許しを勝ち取った。
その途端、えへっと笑って元気よく駆け出して行くのだから、ほんと調子のいい子。
本当はサッシュバル夫人をお誘いした方がいいんだけど、三時のお茶は自室で一人でいただくことにした。
レイモンには話があると召集をかけておく。
「あら! 出来たのね!」
レイモンと一緒に部屋に入ってきたローラがお茶と一緒に運んできたのは、シュークリームだ。
アルマにレシピと作り方のコツを教えて数日経つ。
カスタードクリームは満足のいく出来になったらしいけど、シュー皮が思うようにいかず苦戦していると聞いていた。
「いえ、それが。これでもまだ途中の試作品ということらしいです。できれば私やレイモンさんの意見も聞きたいと、アルマが私たちの分まで用意してくれたのですが」
「本当にいただいてよいのでしょうか」と思案顔のローラ。もう、真面目なんだから。
「もちろん、協力してくれるわよね? このお菓子が完成したら、色々と役に立つのよ?」
そう。これはパトリックとの交渉材料に使う予定のもの。
「では、私とローラは後ほどいただきまして、アルマに感想を伝えておきます」
レイモンに速攻でそう言われてしまった。
やっぱり一緒には食べないんだね。そう言うと思ったけど寂しいな。
仕方がないので、いつものように私一人だけでお茶を飲んでシュークリームを頬張る。
さすがはアルマだ。前世で私がしたような失敗はしていない。
アルマはどこを調整しているんだろう? 結構いい感じじゃない?
私はパイ生地じゃなくて、昔ながらの柔らかい皮が好きなので、これくらいで十分なんだけど。
どこが気に入らないのか後で聞いてみよう。
満足してペロリと平らげると、レイモンが口を開いた。
「それで私にご用とは何でしょうか?」
そうそう。大事な話をしなくっちゃ。
「領地のことよ」
「はい――」
え? そんなに構えなくてもいいんじゃない?
「ねえ、レイモン。私が最初にフランクール公爵にお会いしたときに説明した資料、覚えているでしょう? あの中でも触れていた、特に優先順位の高い問題を解決したいと思うの」
「問題の解決――でございますか?」
そうよ。解決!
「あの壁の絵にもあるように、モンテンセン伯爵領は農業を主とした産業でもっているのよね? であるならば、農業に関する問題を最初に解決するべきだと思うの。冷害や長雨についてはどうしようもないけれど、水不足については貯水槽を設置することで助けになると思うの。どうかしら?」
レイモンがパチパチと目を瞬かせた。
「貯水槽とはどのようなものでございますか?」
うーん。いつも説明に困っている気がする。私的には大きなタンクをイメージしているんだけど。
「水を溜めておく大きな容れ物よ。そうね……。大きな樽を百倍くらいにした感じかしら。岩か石があれば、私の成形魔法でちょっとやそっとじゃ壊れない容れ物を作れると思うんだけど」
「確かに、マルティーヌ様の夢のような魔法であれば可能かもしれません。ですが――。マルティーヌ様がどの程度までならそのお力を使われて問題ないのか、いまだにはっきりとわからない状態です。お力を酷使されて、万が一にもお体に障るようなことがございましては大変です」
心配してくれるのはありがたいけど。
でも私は子どもじゃないから自分の体のことはよくわかるし、勢いに任せて力を使ったりなどしない。
そこのところをどうやってレイモンに理解してもらえばいいんだろう……。
「フランクール公爵からも、『職人が作れそうな物ならば』と、小さな道具類を念頭に魔法の使用を許可されておりますので、大きな物作りを魔法で行うことは事前に公爵閣下にご相談すべきかと」
もぉー!
キッチンツールやワンピが作れても、それじゃあ領民の力になったとは言えないじゃない!
頑張って上目遣いで食い下がってみたけど、結局、公爵にお伺いを立てることになってしまった。
「オホン。ですが、マルティーヌ様。ご懸念の案件につきましては、今すぐでなくても、またマルティーヌ様でなくても、いずれ誰かが行うべきものですので、先ほどマルティーヌ様がおっしゃった、どの範囲にどの程度の貯水槽が必要かは、私の方で人を手配いたしまして調査を開始するようにいたします」
「レイモン!!」
だよね? そうだよね? よかったー!
「レイモン。せっかく調査するのならば、川幅が狭かったり曲がりくねっていて氾濫の危険がある箇所も一緒に調べてくれない? 川幅を広げられるかどうかはわからないけれど、せめて川底を掘ったり頑丈な堤防を作ったりは出来ると思うの。それも多分、先のことだろうとは思うけど」
危ない。危ない。調子に乗ってあれもこれもやっちゃう宣言をしてしまうところだった。
「承知しました」
レイモンも、彼なりに思うところがあるみたいだけど、何も言わずに私の言うことを聞いてくれた。本当にありがとう。
それにしても、こういうときこそ連絡網があれば、主旨説明とヒアリング内容を事前に知らせることができて便利なのにね。




