51 滞在決定ですか?
パトリックは最後の一口を飲み終えてからも余韻を楽しむように――じゃなくて、明らかにもったいぶってから話し始めた。
「それがさぁ。目が覚めたら全部無くなっていたんだよねぇ」
「いつ、どこでですか? 最初から順を追って話してください」
「最初から? えーとね。最初は、『大至急モンテンセン伯爵領へ行って、女伯爵の姿絵を描いてきてちょうだい』って言われたところからかなぁ」
「王妃陛下の指示ですね?」
「そうだよ? でも真面目な僕は受けた仕事を投げ出すことなんてできないからねぇ。途中の仕事を大急ぎで片付けて王都を出発したのは――五日ほど前かな。寄り道をしながら馬車を走らせて、伯爵領に入ったのが一昨日か。賑やかな街で馬車を返したんだけど、逗留先が見つからなくて困ったよ。そしたらどこかの家の下男みたいなヤツが声をかけてきたんだ。『お困りですか?』って。もぉ大荷物抱えて困っていたからね。僕はほんとにツイているって思ったね。これまでいろんな屋敷に厄介になっていたから、彼もどこかで僕のことを見たんだろうって思ったんだ」
「従者の一人も連れないで王都を出るなど、自殺行為ですよ」
「それ何度も聞くけどさぁ。この歳までこうしてピンピンしているんだよ? 四六時中人に囲まれて過ごすなんて、うんざりなんだよねぇ。不便なことは多いけど、一人の身軽さには代え難いんだ」
「このような目に遭っても、まだそう言えるのですか?」
「でも結局ほら。こうして美味しいものを食べているじゃないか。結局なるようになるんだよ」
あっかるーい。ここまで楽天的に物事を考えられる人、初めて会ったわ。
――じゃなくて。ちょっと待ってよ。
その下男風の男の話を聞きたい。それって客引きかな? あの中心街にそんな人がいたのか。
まぁ、いても不思議じゃないか……。
「あの。お話の途中ですが、よろしいでしょうか。どうやら我が領地で大変な目に遭われたようで、申し訳ございません。この通りお詫びいたします。不敬な輩を捕まえるためにも、もう少し詳しいお話をお聞かせいただけないでしょうか」
私は犯人を捕まえたいから真剣にそう言ったのに、肝心のパトリックは、「えー?」と面倒臭そうにつぶやいてから、渋々といった感じで答えてくれた。
「よくある話だと思うけどなぁ。物取りって、犯人を捕まえられるものなの?」
「伯父上――」
「わか、った。ちゃんと話すから、『伯父上』はやめて。ふぅ。その下男みたいな男だけどさ。ちゃんと普通の宿屋を案内してくれたよ? 割と清潔なところだったけど、シーツがゴワゴワに硬いのだけはいただけなかったなぁ。だから着替えの服を敷いてその上に寝ていたんだけど。さっきも言った通り、目を覚ますと部屋の中にあるはずの荷物が全部無くなっていたんだ」
それはつまり――。寝ている間に泥棒が部屋に侵入したってこと?
「部屋の鍵が壊されていたのですか?」
私が聞くまでもなく、警察官のように公爵が聴取してくれる。
「鍵? うーん? どうだったかな?」
「まさか鍵をかけ忘れたなどとおっしゃいませんよね?」
「え? えぇ……。長旅で疲れていたしさ、夕食で飲まない訳にはいかないだろ? とってもいい気分で横になったのは覚えているんだけど……」
「つまり。鍵をかけ忘れていたかもしれないということですね?」
「鍵をかけなかったという明確な記憶もないよ?」
……あ。公爵の顔がまたピキピキしている。
まあたとえ鍵をかけていなくても、盗んだヤツが悪いんだけどね。そういう理屈はこの世界じゃ通じそうにないな。
「それで。宿屋の主人はなんと?」
「うーん。それがさぁ。僕が目を覚ましたのは昼前で、泊まり客がバタバタと出掛けて行った頃だったらしくてね。宿屋の中に不審者が出入りしていたかどうかなんて、わからないってさ。宿屋を出てどうしようかと、ほとほと困り果てていたら、『公爵が領主様のところに来た』ってみんなが騒いでいたからピンときたんだ。ほら、ここに来る公爵ならリュドビクに違いないってね! 結局無一文で馬車にも乗れないから、ここまで歩く羽目になったけどさ。無事に会えてよかったよ」
公爵の固まった顔がひび割れていく。
――わかる。
この人、普段から忘れ物とかしょっちゅうしているに違いない。
こういう人は、数人の従者に囲まれて生活していなきゃいけないんじゃないの?
でも、その下男が怪しいよね。商人なら朝早く出発するだろうけど、見るからに高貴なパトリックは、時間なんて気にしなさそうだし。
その下男がチェックアウトの混雑を狙って忍び込んだのかもしれない。逆に目を覚まさなくてよかったのかも。
「その下男風の男の人相をお聞かせいただけないでしょうか。怪しい風体の人物を探し出せば何かわかるかもしれません」
「そのようなこと、伯父上に聞くまでもない。その男の顔を本人に描いてもらえば済む話だ」
……ん? 何、公爵のその勝ち誇った顔は?
あ! この人、絵師って言っていた!
「そういえば、パトリック様は絵を描かれると――」
「イヤだね! 絶対に描かないよ」
へ? 何で? 犯人逮捕のためなのに?
「……はあ。伯父上は気に入った人物しか描かれないのだ。客に注文を付けてばかりの我が儘な絵師として王都で名を馳せている」
「む!!」
パトリックは公爵を睨んでから、「ふん!」とそっぽを向いて、「この話はもうお終いにしよう」と勝手に打ち切ろうとした。
いや、待って!
「そんな訳には参りません。大事なお品を取り返さなくては――」
「マルティーヌが気に病むことはないよ。必要なものなら届けさせるから。どうせ長居するんだし」
それっ!! そう、それを忘れてた!!
ちょいちょい、ここに長く留まるようなことを言ってるよね?
「伯父上。伯父上の腕前ならば、マルティーヌ嬢の姿絵など、あっという間に仕上げられるはずです。鐘一つ分でお釣りがくるのではないですか?」
「馬鹿なことを言うんじゃない。僕は対象をよーーく観察してからじゃないと描けないんだよ? そうだね。最低でも一月は――」
「三日で描いてください。王妃陛下は、『大至急』とおっしゃったのでは?」
ありがとう公爵!
「そういえば後見人だったね。でもさ。マルティーヌの年頃が一番難しいんだよね。大人になり始める前のあどけなさと、少女の殻を破ろうとしている艶めいた感じ……。それを理解するには最低でも三週間はかかるかなぁ」
「五日」
「うーん。どんなに急いでも、二週間はないと王妃陛下にご満足いただけるだけのものは描けない気がするんだよねぇ」
「一週間」
「よっし。一週間だ」
え? 一週間も滞在するの?
ちょっ、公爵。譲歩し過ぎじゃない?
それに私――絵を描いてもいいって一言も言ってないよ!
げんなりして現実逃避をしていた私は、私が見ていないところで公爵とパトリックがヒソヒソと言葉を交わしていたことに気がつかなかった。
「マルティーヌ嬢の姿絵はできるだけ幼く描いていただきたい」
「……? あーなるほどね。そういうことか。まあ他ならぬ可愛い甥っ子の頼みだからね。わかったよ。彼女が興味を無くすような姿で――ってことだね」




