50 は? 絵師さん?
汚れを落とし身繕いをした不審者は、とても美しい男性だった。
薄いピンクがかった金髪を、左肩で一つに結えていた。
公爵から借りたらしい服は彼には少し大きかったようで、ゆとりのある部分からは色気が漏れ出ている。
公爵と私が待っていた応接室に入ってきた彼は、優雅に自己紹介をした。
「宮廷画家をしております――と言っても専ら王妃陛下の専属絵師のようなものですが、パトリック・ロランと申します」
ロラン!!
貴族名鑑の最初の方に収録されていた公爵家の中の一つにあった家名だ。
そんな高貴な方がどうしてたった一人で薄汚れた状態で我が家に来たの?!
――あ。公爵を頼って来たんだった。
そのことを思い出して、ついつい公爵にジト目を向けてしまう。
そんな私をパトリックが舐め回すように見てくる。ちょっとキモいんですけど。
「君だね? 話題の女伯爵は! へぇ……。ふーん…………」
「伯父上。一方的に名前を名乗っただけで挨拶を終えた気にならないでください。それに。そのような不躾な視線を向けるのは止めていただけませんか?」
公爵が窘めてくれたお陰で、パトリックの視線が私から外れた。
そうだよ。私、まだ名乗ってもいないよ?
「リュドビク。随分だねぇ。この僕を変質者みたいに」
公爵が申し訳なさそうに教えてくれた。
「これでも私の母の兄に当たる方で、ロラン公爵家の次男なのだ。本来であれば当主の補佐をしているべきところだが、この方は――」
「三男がちゃんと補佐しているから何の問題もないよ? それに僕には補佐なんて、どうせ出来やしないしね。可愛い甥っ子の絵を描いているうちに将来が定まったようなものだし。ふふふ」
「随分と誇張された絵のことでしょうか。一目で面白半分に描いたものだとわかるような絵でしたね」
わー。顔を見なくてもわかる。公爵がピキピキと固まり始めた……。
「あれぇ? 根に持つタイプだったかな? 僕の理想の『丸々とした子ども』まで、あと一歩だったからね。仕方がないよ」
「仕方がない」って何?
それにしても、いい年をした大人なのに喋り方がおっとりしていて、なんか全体的に不思議な感じ。
変な人。美人さんだけど変わり者。この世界の芸術家って、みんなこんななのかな……。
それにしても、私は挨拶もしないまま座ってていいのか? ――と、モゾモゾと動いていたら、レイモンがタイミングよく口を挟んでくれた。
「昼食の用意が整いましてございます」
パトリックがすぐさま食いついた。
「食事! さあ食べよう! 今すぐ食べよう! もう丸一日なんにもお腹に入れていないんだ! もうお腹が空いちゃって空いちゃって。何でもいいから早く口に入れたいなぁ」
パトリックは食事の最中も口を閉じなかった。さすがにサッシュバル夫人も公爵家の方に注意などできない。
のんびりした口調だけど、ほんと、よく喋る。
カトラリーのマナーだけが、かろうじて名門ロラン家出身を物語っていた。
「何だい、これは? モンテンセン伯爵領はどうなってるんだ……。美食の街だなんて聞いていないんだけど……。いつから? それとも隠していた? あれ? 宿屋のご飯はこんなんじゃなかったなぁ」
「伯父上――」
「それさぁ。その呼び方。止めてくれって何度も言っているのに。お互い、名前で呼び合おうよ。ね、マルティーヌ?」
「え? あ、いえ。そのような訳には――」
えぇ? 何で私に振るかな……。
「いい加減にしてください。マルティーヌ嬢に失礼です」
「何で? ほら、マルティーヌ。『パトリック』って呼んで。さ、呼んで!」
いや、呼べるかよ!
「パ、ト、リック! ほら!」
もー。面倒臭い。
「ぱ、パトリック様?」
「えぇ……。様はいらないんだけどなぁ。まぁ最初のうちはそれでもいいか。ほら、リュドビクもさ。ほら! うわーー。怖いなぁ。甥っ子のそんな顔は見たくないよ。僕の中の可愛いリュドビク像が壊れちゃう」
よくわかんないけど、そのリュドビク像とやらは壊れた方がいいと思う。
公爵は怒ると言葉じゃなくて表情で伝えるんだね。気をつけよう。私もその顔を向けられたら夢に見そうだわ。
「いやねぇ。文字通り路頭に迷っていたからさぁ。こんな美味しいものが食べられる生活がこれから毎日続くのかと思うと、夢のようだよ」
……は? 今なんと?
「伯父上。そのお茶を飲み終わったら、ことの次第を説明願います。どういう経緯でこのようなことになったのか」
そうそう。聞かせてもらおうじゃないの。
「では私は先に失礼させていただきます。皆様、どうかごゆっくり」
夫人が気を利かせてそう言うと、
「あぁ悪いね、ダイアナ」
と、パトリックは手をひらひらさせて笑った。
「ダイアナ」って……。いや――もう考えるのはよそう。




