45 公爵との三者面談
「フランクール公爵が、三日後にこちらを訪問されるとのことです」
午後のお茶の時間にレイモンからそう報告を受けたとき、私は、「ふっふっふっ。付け届けが効いたんだな。直接お礼を言いたいほどに!」と、内心でガッツポーズをしていた。
ケチャップに衝撃を受けたに違いないと。
それから三日後、公爵がカントリーハウスにやって来て仏頂面で挨拶を交わしたときも、まだ、「相変わらず堅いなぁ」などと悠長に構えて、「格好つけていないで、素直に『もっと食べたい!』って言えばいいのに」と思っていた。
「君はいったい何を考えているのだ? 手紙に書いただけでは伝わらないとは……。その顔を見るに、私がやって来た理由もわかっておらぬようだな」
――公爵に厳しい表情でそう言われるまでは。
え? え? 嘘でしょ? 見た目通りに機嫌が悪いの?
……は? なんで?
ケチャップを食べて、あまりの美味しさに、「来ちゃった!」――じゃないの?
私が自分勝手な妄想のせいで愕然としていると、
「まあ、リュドビク様。お手本となられるべき後見人のあなた様がそのような態度とは――」
「それはちょっといただけませんわよ?」と、サッシュバル夫人がやんわりと諭してくれた。
ふふふ。応接室で公爵をもてなしているのは、私だけじゃない。今じゃ味方となった夫人も一緒なのだ。
夫人てば、味方になるとこんなにも心強いんだ!
どうやらギヨームも夫人とは顔見知りのようで、いつものニヤケ顔を封印して真面目な従者ぶっている。
「本来ならば王都にいる間に、こうして三人でお話をするべきでしたけれど。まあ急な話で予定が合わなかったのですから仕方ありませんわね」
公爵は、明らかに雲行きがおかしいと感じているみたいで、何やら警戒している素振りだ。
「マルティーヌ嬢の学習状況について、何か懸念すべきことでもお有りでしょうか?」
公爵の突き放したような物言いに、夫人がすぐさま反撃した。
「マルティーヌ様は非常に優秀な方ですわ。意外にも数字に強くていらっしゃって……。というよりも、おそらく数学に関しては天賦の才能をお持ちですわ。経済学についても理解が早いですし、ご心配には及びません」
「あの報告は大袈裟でなく真実だということですか。にわかには信じ難いのですが」
ムッ! 失礼な。
「王立学園入学後はきっと才女として名を馳せることでしょう。気掛かりな点といえば、絵画や音楽についてですね」
公爵はうんうんと同意して、私の未来の休日を潰す案を述べた。
「絵画や音楽となると、王都でなくては難しいと考えております。マルティーヌ嬢が入学に備えて王都に戻ってから、私の方で別途考えます。学園入学後の週末を利用すれば、デビューまでには何とかなるでしょう」
「それとダンスですね。私の方でも、学園での授業についていける程度には教えられますけれど。デビューに向けては専門の方にご依頼されるべきでしょう」
「それについては私も同意見です」
私抜きで保護者二人が盛り上がっている。嬉しくない方向に盛り上がっている。
ちょっと脱線していない?
「あまり詰め込みすぎなくてもよいのでは?」と、夫人から公爵に話してくれるんじゃなかったの?
私のすがるような視線で、やっと夫人は思い出してくれたらしい。
「コホン。まあとにかく、マルティーヌ様の学習は順調ということです。それよりも、私が問題だと感じたのはリュドビク様の方ですわ。後見人として、もう少しマルティーヌ様に寄り添って差し上げてもよろしいのではなくて? 領主として自領に戻ったのですもの。領地のことが気に掛かるのは当然のことですわ」
そうだ! そうだ! 矢印を自分の方に向けてください。
公爵にしてみれば、苦言を呈される相手が自分だなどとは思いもよらないことだったのだろう。
彼は驚いた表情で動きを止めた。
――――――――そう。
公爵は会話をしながらも、合間合間にパウンドケーキをせっせと口に運んでいた。
私にとってはもう、すっかり見慣れた動作だけど、サッシュバル夫人の目には絶対に奇異に映っていたはず。それを表情に出さないところはさすがだ。
まぁ公爵の所作が死ぬほど美しいから気にならないっていうのはあるけど。
確か公爵の到着は一時過ぎくらいだったから、昼食を食べていなかったのかもしれない。
――あ! いいこと思いついた。
ふふふ。
ローラにそっと目配せをして呼び、あることを頼んだ。
「だが君は、『一年間死に物狂いで勉強する』と言っていなかったか? 『王立学園で恥ずかしくない成績を収める』のだと?」
公爵は矢印をそのまま私に向けてきた。
うん? まぁ言ったかな……? 言ったかもね……。そりゃあ、「頑張ります!」くらい、誰でも言うでしょう?
どこまで頑張るかを、自分基準で考えないでください――と言いたい訳で。
突然、公爵に話題を振られて答えに窮していると、またまた夫人が助け舟を出してくれた。
「そういえばリュドビク様。マルティーヌ様に、『貴族名鑑を一週間で暗記するように』とおっしゃったのですって? 確かにリュドビク様は一代貴族に及ぶまで覚えていらっしゃるかもしれませんけれど。それでも領地の特色や代替わりの経緯などを覚えるのに一月はかかっていらっしゃいましたわよね? まあ、十歳の子どもにしては出来過ぎでしたけれど……」
へー。そうだったんだ。
っていうか、夫人と公爵っていつからの知り合い……? どういう間柄なの……?
「まさか、ご自分がおできにならなかったことを他人に強いるなど――」
マナーにうるさい公爵が珍しく夫人の言葉を遮った。
「そのように思われていたのでしたら心外です。最低限、上位貴族については学園入学前には覚えておくべきですし、普通の十二歳であれば、既に頭に入っているはずのものです。もちろん私だって、マルティーヌ嬢がたかだか一週間で覚えられるなどと考えていた訳ではありません。ただ、最初から一年かけて覚えればよいと楽な目標設定をしてしまえば、甘えが出てしまい往々にして達成し損なうものです。無理だと思うくらい厳しい目標を設定する方が、未達であっても遥かに多くのことを習得できるというもの。言わば、後見人としての老婆心のようなものです。まあ確かに、一週間というのはさすがに無理がありましたが」
ぐぬぅぅぅぅ。何だそれ?!
公爵は圧倒的に言葉が足りない。ほんと、これに尽きると思う。
明日できることは明日以降にやる派の私に、なんて無体なことを……。
彼とはタウンハウスであんなに何度も会っていたというのに、全く以て意思の疎通ができていなかった。
これは猫を被っている場合じゃないかも!?
この辺りで私も何か言っておかなくっちゃ、と思っていたら、ノックと共に待ちかねたローラの声が聞こえた。
「失礼致します。新しいお茶をお持ちいたしました」
キターーーー!!
ローラが、運んできた例のモノをテーブルに並べている間、レイモンが全員のお茶を取り替えてくれた。
ふっふっふっふっ。あー、この匂い! それとケチャップ! ふっふー!!
ついに公爵にお披露目するときがきたんだ。
フライドポテトを!
どうやらケチャップでは攻略できなかったようだけど、そんな公爵でも、フライドポテトには屈するはず!
私は、「ぐふふ」という笑い声を抑えて顔が歪まないように気をつけながら、細長いフライドポテトに上品にフォークを刺して、ココット皿のケチャップを先端に付けた。
そして、公爵によく見えるように――公爵は私の真向かいに座っていたから――気持ち公爵の方に腕を伸ばして、「これはフライドポテトというもので――」と、高らかに、その名を発表しようとした。
――――――――しようとしたんだけど……。
私が口を開くよりも早く、公爵は体を前のめりに倒して、ケチャップが付いている先端にパクリと食いついた。
――――――――は?
今――何が起こりましたか?
何か――起こりましたか?
気のせい? 幻?
私の手の先にあるフォークには、三センチほどのフライドポテトが刺さっている。
でも――。
その先にあったはずの、もう三センチほどのフライドポテトがない。
ケチャップが付いていた部分だけが無くなっている。
「うぇっ?!」
摩訶不思議な現象が起きたので、おかしな声が出るのも仕方がないと思う。
「まぁ……! うふふふ。おっほっほっほっ」
サッシュバル夫人が声を上げて笑っている。上品に扇子で口元を隠しているけれど、堪えきれずに肩を揺らしている。
ギヨームはもっと酷い。
ビシッと立っていなきゃいけないはずなのに、お腹を抱えて、「あっはっはっ」と主人のことを笑っている。
……あれ? でも――ということは。
幻覚じゃなかったんだ。
向かいに座っていた公爵が身を乗り出して、私の差し出したフライドポテトにパクッと食いついたんだ……。
え? マジで? マジでぇぇぇーー!?
「……申し訳ない」
公爵が目線を右下の方に逸らしたままつぶやいた。
……申し訳ない?
……は? ……え? ……ちょっと。
私――どうしたらいいの?!




