22 領地視察②
午後の予定は、野菜畑の視察だ。
馬車が走っているうちに畑の作物が小麦から野菜へと変っていく。
川を渡ると一気に、見事に緑一色になった。
川かぁ。帰ったら、うちの領地の地図をもう一度よく見ておこう。レイモンに聞けば、水不足を心配するエリアを教えてくれるはず。
川の水源は遠くに見える山林かな。林業は明日のコースだ。
前世の母が作っていた家庭菜園のジャガイモとカボチャは見たことがあるけど、やっぱり本格的な畑は違う。圧巻の一言。
そうだよね。何百人、何千人っていう人のお腹を満たさなきゃいけないんだもの。
さっきもだけど、思わず、「ありがとう」って、手を合わせちゃいそうになる。
今度は道端に初老の男性が一人立っていた。
私たちの馬車が見えたところからお辞儀をしている! 腰は大丈夫なの?!
「リエーフ!」
窓を開けて呼んだときにはもう、馬車と並行するように走っている。
え? 私が窓に手をかけたのがわかったの? 空気の揺らぎを感じ取れるとか? 出来すぎる護衛が怖い……。
「なんでしょうか」
「あそこで待っている方に頭を上げるように言ってちょうだい。私が到着するまであの姿勢だと体に負担がかかるわ」
それを聞いたレイモンも、「そうですね。この距離なら離れても大丈夫でしょう」と、リエーフが馬車から離れて先行することを許可してくれた。
落ち着いた表情を貼り付けながら急いで馬車を降りると、老人はホックホクの笑顔で迎えてくれた。
「領主様。この辺りの畑の世話をしておりますマシューと申します。こんな年寄りのことを気遣っていただき、本当に感謝の念に堪えません」
「マシュー。私のことは色々と聞いているでしょう? この通りまだ子どもで領地のことを何も知らないの。しばらくは色々と教えを乞うことになると思うわ。どうかよろしくね。私のことはマルティーヌと呼んでちょうだい」
「は――はい。マルティーヌ様」
マシューは横目でレイモンの顔色を見てから、「はい」って言った。うん。レイモンがいいって言うか気になるよね。まあ、わかるけど。
「それで。今年の出来はいかが?」
「はい。ご覧の通り豊作です。ジャガイモもよく育ちました。カボチャももう少ししたら山ほど穫れるでしょう。お屋敷の方にも週に一度、納めさせていただいております」
おう? そうなんだ。そういえば昨晩は輪切りにしたジャガイモのグラタンもどきが出てきたっけ……。
「そうなのね。ありがとう。昨日はジャガイモを美味しくいただいたわ」
マシューは子どもみたいに目をキラキラさせた。ウルウルじゃなくてよかった。
「そうでしたか! ちょうど今日はお納めする日ですので、今頃お屋敷にお入れしている頃だと思います。領主さ、マルティーヌ様に喜んでいただけて何よりです。育てた甲斐があります」
あぁ。マシューも最後はやっぱりウルッときちゃったみたい。
どうしよう。馬車で駆けつけて、「こんにちは」って言っただけなのに。
「ええと。ジャガイモとカボチャの他に葉物野菜なども作っているのかしら?」
「はい。といっても私のところで作っているのはキャベツくらいですが。それ以外の野菜は主に自家用でして。出荷しているのは別のところになります」
「そう。では他の方々のところではキャベツ以外の葉物野菜を作って出荷しているのね」
「はい。りょう、マルティーヌ様のお好きなものをおっしゃって下されば、大抵の野菜はお屋敷に届けられます」
お! 横のつながりもあるということかな。
「あなたが代表というか、顔役なのかしら?」
「はい。この辺りで何かあった場合に、レイモンさんにお知らせする役を仰せつかっています」
レイモン! さすがだね。そういう組織作りをちゃんとしているんだね。
後で組織図を書いてもらおう。
とりあえず、小麦協会と野菜協会の会長さんとは顔つなぎできた訳ね。
「ねえ。トマトを作っている人はいるかしら?」
「……? あの酸っぱいやつですか?」
「酸っぱ――? ええと、私の拳くらいの赤い実なんだけど」
あ、そういえば昔のトマトは酸っぱかったって聞いたことがある。
「昔、誰かが試したことがあったと思いますが。ですが結局、作付けはしないで終わったはずです」
自信なさげにそう答えたマシューは、レイモンをチラチラと見て助けを求めた。
「はい。若い者は新しい物を作りたがるので試しに作ったようですが、買い手がつかないため断念したと記憶しております」
うぉぉぉぉ! トマトだよ!?
あれ? トマトの原産地ってどこだっけ? この国の気候じゃ育たないのかな?
そういえばトマトって歴史が浅かったような……。長い間、食べようと思わなかったんだっけ?
ここは、声を大にして言っておこう。
「私も新しい物に興味があります。もう一度トマトを作ってもらえませんか? あ、もちろん買い取りを保証します。出来如何に関わらず全量を買い取りますから」
「……へ?」
ポカンと口を開けて驚いているマシューに、更に私が畳み掛けようとしたら、「オホン!」とレイモンがわざとらしく咳払いした。ムムムム!
「マルティーヌ様。突然そのようなご指示をなさるのは、さすがにいかがなものかと。今回は現状把握のための視察のはずですが?」
そうだけど。そうなんだけど! 植えどきを逃したらどうするの!
「レイモン。そういえばお金周りの話をまだしていなかったわね。私に関する予算を減らしてもらっていいから、とにかくトマトを作ってもらいたいの。ああ、何も畑ひとつ分なんて言わないわ。畑の隅っこの方にほんの少しだけ、それこそ実験的に二、三本植えてもらうだけでいいのよ」
それなら大した売上じゃないでしょ? マシューだけを優遇というか特別扱いしたとは思われないはず。
「ですが――」
難しい表情のレイモンがなおもたしなめようとしたのを、「お任せください!」とマシューが遮った。
「お安いご用です。トマトというものにご興味がおありなのですね。それでしたら、りょ、マルティーヌ様に現物をご覧いただけるようご用意いたします」
「ありがとう」
うん。領主様って言いそうになるのが、「りょ」まで短くなったみたい。後少しだね。ノリがよさそうだから、私に慣れてくれたら話しやすそう。
おっと! うわぁ。レイモンが冷気を発している。そんなにまずかったかな。
話題を変えよう。そう、こういうときは話題を変えるに限る。
「ええと。皆さんにお尋ねしているのだけれど。皆さんだけでは解決できないような問題や、改善してほしいことがあれば、教えていただけないかしら」
この辺りは比較的、川が近い。余程日照りが続かない限り、水不足は心配いらなさそうだけど。
「そうですねぇ。ここのところ、これといって問題などはありませんが――」
そう言いながらマシューは私の表情を精一杯読み取ろうとしている。
あー。サービス精神が旺盛なんだな、この老人は。私が聞きたそうにしていると思って、一生懸命、問題点を探しているんだ。
「二十年ほど前になりますが、長雨が続いて川が氾濫したことがあります。あのときは死者も出てずいぶんな被害が――あ、ええと。いえ、まあ。十年とか二十年に一度のことですから。それに、こればっかりはどうにもならないことです」
途中で話をやめたのは、私の表情が曇ったせい? 子どもに聞かせるような話じゃないと思ったんだね。
でも、そうか。水害か。川の氾濫て怖いよね。前世でも堤防が決壊して人的被害を出したことがある。
でも何も出来ないってことはないはず。せめて川底を掘り下げて土手を築くとか。対策は立てられるはず。
うん。これは、やることリストに載せておこう。
「ありがとう。今すぐに何か出来る訳ではないけれど、頭に入れておくわ」
「ありがとうございます。そう言っていただけるだけで心強いです。本当に先々代と話をしているようです。皆が言っていた通りです。私は昨日ありがたいお言葉を聞けなかったのですが、本当だったんですね。りょ、マルティーヌ様が、マルティーヌ様が私たちのことを。うぅっ」
ちょっ、ちょっと。泣かないで!
ありがたいお言葉って、あの所信表明演説もどきのことを言っている?! うげっ。どこまでどう広がってんの?!
あーもう絶対ローラは激しく同意しますとばかりに、うんうんと首を縦に振っているだろうことは、見なくてもわかる。
リエーフがいつも通りなのが救いだわ。でも、リエーフが年相応に感情を発露させているところも見てみたいかも。
結局、レイモンがマシューの肩を叩いたところで強制終了となった。
カントリーハウスに帰ってきた私は、レイモンやローラの制止を振り切って厨房に駆け込んだ。だって、運び込まれているという作物が気になるんだもの。
今日の納品分だというジャガイモは、呼び名は違うかもしれないけど見た目からメイクイーンだ。
タウンハウスの厨房にあったのもメイクイーンだった。この国でジャガイモといえばメイクイーンなのかも。
私が心の中で、「うほっ」と言いながら野菜や肉を見ていると、いたずらっ子を「コラッ」とフライパンで叩きそうな女性が近づいてきた。
あーこれは、己のテリトリーを犯したやつに制裁を加える気まんまんだーと思っていたら、「お初にお目にかかります」と、丁寧に挨拶をされた。
「料理人のケイトでございます。マルティーヌ様にご挨拶させていただく機会をいただけまして大変嬉しく存じます」
「まあ」
鉄拳制裁ではなく挨拶されたことに驚いたんだけど、ケイトは急に声をかけて驚かせたと思ったらしい。
「驚かせてしまったことをお詫びいたします」
「あら、いいのよ。私もあなたに会いたかったの。タウンハウスで料理人を雇ったことは聞いているかしら?」
「はい。一緒に働ける日を楽しみにしております」
「そう。カントリーハウスのやり方を教えてあげてね。それはそうと、あなたの味付けは私の好みにぴったりだったわ。誰かに聞いたのかしら?」
「はい。レイモンさんやローラに聞いております。お口にあったようで何よりでございます。マルティーヌ様のお好きな料理をお出ししたいので、ご希望があれば何なりとお申し付けくださいませ」
おぉぉ。私のことをちゃんと調べてくれたんだ。
「ありがとう。でもしばらくは、あなたの得意な料理を食べたいわ。領地の新鮮な素材を定番の調理法で料理してほしいの」
「かしこまりました。それでは代々伝えられている料理をお出しいたしますね。また是非、感想をお聞かせください」
「うふふ。ええ、喜んで」
嬉しい。食べる人の好みに合わせて柔軟に対応してくれる人だ。
ケイトは当たりだな。そう思うと、なんだかお腹が減ってきたので、夕食の時間を早めてもらうことにした。
もちろん彼女は、ドンと来いとお腹を叩い――たりはしなかったけど、慌てる様子もなく、それこそドンと構えていた。




