123 社交は怖い
「へえ。フランクール公がそんな風に女性とじゃれあうなんて、当分はこの話題で持ちきりだろうなぁ。いや、女性――ではなく幼気な少女だからか? でも、ご令嬢方は倒れそうなほどショックを受けていますよ。罪作りな人だなぁ」
「どうせ緊張のあまり食べ物は喉を通らないだろうから、最初から手をつけないように申し付けていたのですが、まあ、一口くらいなら構わないだろうと判断したまでです」
「へぇ。その一口をフランクール公が手ずから? 私は幼少期くらいしかそのように食べさせてもらった記憶がありませんが」
誰だ? 話をややこしくしようとしている奴は?
もう顔を直視せずにはいられない――うおぅっと! 見るんじゃなかった。王太子だった。
速攻『微笑』をセット。アーンド、カーテシー。どう? セーフ?
「何分、教育が行き届いておらず後見人として恥ずかしく思っていたところです。モンテンセン伯爵の素養は殿下の幼少期に毛が生えたくらいの出来ですから、ご容赦いただきたい」
「え? モンテンセン伯爵のせいなの?」
無視された! 二人とも私のことを無視して話をしている!
あと、問題があるとしたら、クッキーを突っ込んだ側なはずなのに、私の方が悪いって言われた。
それとさっきの悲鳴は、公爵が私に「アーン」したように見えたからショックを受けたってこと?
もう、いきなりの王太子出現とか、色々と情報が多過ぎるんですけど。
「殿下はお一人ですか?」
「婚約者がいないからそうなるね」
えぇぇ。何その会話。
「そうだ、私もやってみていいかな?」
何を? と思ったら、王太子は三センチくらいのサブレをつまんで私の口の前に持ってきた。
…………は? はあ?!
「ほら、これも美味しいんじゃないかな?」
そう言ってさらにぐいっと私の口元へ差し出した。
えーと。これって食べないと不敬になる感じですか?
そう思ってチラッと公爵を窺うと、目が「NO」って言ってる。
は? その顔はうまいこと言って断れだと?
いやいや。無理でしょ。王太子だよ?
「ほら」
もぉー。
仕方がない。公爵が自分の口で断ってくれないんだから、私が腹をくくるしかない。
そう思って口を開きかけたとき、セクシーボイスが聞こえた。
「あら、マルティーヌちゃんたら! 何だかとても楽しそうなことをしているのね?」
ダルシーさん! よかったー! いやあ、助かりました。
私は、『王太子との談笑』という名誉を年長者に譲るべく、軽い会釈でその意思表示を示して、ツツツと半歩下がった。
ふふふふ。後は経験豊富なダルシーさんが何とかしてくれるはず。
身分的にも年齢的にも、まあ、結局はダルシーさんだし、任せて安心だよね。
「母上。よいところへ。今ちょうど、王太子から『婚約者がおらず一人で寂しい』という話を伺っていたところなのです」
嘘! そうじゃないよね?
「まあ! ではあちらの女性たちと一緒に、殿下の婚約者に相応しい女性像を語りあいましょう」
うわぁー。さっき、公爵の「アーン」もどきを見て悲鳴を上げていた人たちの中に、金髪金瞳の美少年を放り込むの?
さすがの王太子もビクンと反応しちゃってる……。
「では母上、また後ほど。そろそろダンスの時間だと思いますので」
「ええ。二人とも楽しんでいらっしゃい」
社交って怖い……。
司会進行役が、「続きましては」と仕切るのではなく、参加者たちが、「では、そろそろ」と互いに空気を察してダンスを始めるらしい。
楽団のメンバーたちは、更に、「そろそろ踊るみたいだぞ」とその場の空気を察して、曲を変えるようだ。
緩やかなバックミュージックがピロローンと静かに終わって静寂が訪れた。
私は公爵に手を引かれてペアになっている人たちの間を抜けて、まさかの中心まで連れていかれた。
ひょえぇぇーっ!
お、落ち着け。大丈夫。一曲だけ。『微笑』をセットして公爵の顔を見ながら体を動かすだけ。
私が必死に自分に「大丈夫」と言い聞かせていたら、それぞれのペアの位置取りが終わったらしく、聞き慣れた課題曲が流れてきた。
合宿の最後に公爵と踊ったときのことを思い出す。いけるはず。
公爵と見つめ合って、心の中で「せいの!」と声をかけて足を踏み出す。二人の足がピタッと揃って動いた。
よっし! 成功!
ステップもターンも練習通りに出来た。
『微笑』をセットしたまま、足元を見ずに公爵の――彼特有の『デフォルト』顔を見つめたまま足を動かす。
いい感じ! 『体が覚えている』とはこのことかと思うほど、頭で考えなくても足が出る。
あぁ顔がニヤけそう。『微笑』をセット。『微笑』をセット――と思っていたら、公爵にブリンと振り回された。
おぉーい!
……あ。どうやら別のペアとの衝突を回避したっぽい。
狭くはないけれど、まあまあの人数がひしめきあっているからね。リードする男性のコース取りの才能が問われる場面かも。
……ん? …………ん?
もしかして、さっきのペアは偶然じゃなかった?
なんか、まるでわざとぶつかろうと近づいて来てんじゃないの? と勘違いしちゃうくらい、次から次へとニアミスが起きている。
……どういうこと?
公爵は表情を変えず、たまに強引に私を引っ張るくらいで何事もないかのようにステップを踏んでいる。
でもちょっとくらい相手を睨みつけてやりたい。まあそれが無理でも、どんな顔で侵入妨害をしているのか見てやりたい。
ひぇっ! 近づいてくるペアの女性はイレーネ先生が見たら眉を顰めそうなほど、ほとんど鬼の形相をしていた。
目が合ったら石化するかもしれない……。
もしかしてだけど。私みたいなちびっ子に嫉妬している?
公爵とダンスしている私が憎くて、すれ違いざまに足を踏んでやろうとか、何ならぶつかって床に転がしてやろうとか考えてる?
ちょっとちょっと!
社交って、フィジカル面も鍛えなきゃいけないの?
やだ、怖い。
デビューしたら、こんなお姉様方と渡り合っていかなきゃいけないんだ……。
確かサッシュバル夫人が、「大抵の方は教養課程の間に準備をして、専門コースに進んだ年にデビューされますね」って言っていたっけ。
だとすれば十六歳でデビューだ。それまでが猶予期間かぁ。なんだかなぁ。
チャチャチャン、チャ、チャンと曲が終わると、一斉にみんなが拍手をした。
公爵と私も拍手しながら微笑み合う。
……終わった。
去年からのレッスン漬けの毎日から、やっと解放される!
どうやら私のダンスデビューは無事に成功したみたい。
公爵にも恥をかかせないですんだわけね。
そして、これからしばらくは領地で思う存分好きなことをできるわけだ!
来週と再来週は、不定期ですが週に2回更新予定です。




