109 【閑話】ジュリアンさんの本拠地②
連載を開始して今日で丸1年になります。1年間お付き合いいただきありがとうございます。
2年目もよろしくお願いします!
母屋――と言うと、ちょっとしょぼく感じるから、あれだ、本邸だ。ジュリアンさんの案内で本邸を背にして進むに連れて緑が豊かになってきた。
「ジュリアンさん。あそこに見える建物の屋根は、もしかしてガラスですか? よく日が当たるように? あ! 温室ですか?」
「ええ。そうです。ダルシー様に頼まれてオレンジを栽培しているので、ここではオーランジェリーと呼ばれています」
「オーランジェリーですか!」
うおぉぉ! オーランジェリー! 素敵な響き。
海外ドラマで、王妃が城の一角に(多分コンサバトリーとかいう温室だったと思うけど)オレンジの木を植えていて、気まぐれにもいでいるシーンを見たことがある。
……すごい。本物。生オーランジェリー。くぅぅ。
私が身悶えしそうなほど大袈裟に喜んだせいか、ジュリアンさんが申しわけなさそうに付け加えた。
「残念ながら、今は実がなっていませんけど」
「ふふふ」
ですよねー。いいんですよ、全然。そんなことは気にしていません。
あれ? さっき欲しそうな顔をしていましたか? まあ、とりあえず笑っておこう。
ジュリアンさんは歩きながら更に色々と説明してくれた。
「ここに来る途中、門を三つ通ったのは覚えていらっしゃいますか?」
「はい。特に最初の門は大きくて驚きました」
「そうでしょう。ええと、ここがカラーリ城と呼ばれていることは聞かれましたか?」
「はい。本物の国王陛下がお住まいだったとか」
「ええ。その名残で今も門番が厳重に見張っているのです。二つ目の門の手前を右に行くと滝もあるのですよ? 自然に湧き出た水が三メートルほど落ちているだけですが、とても美しい場所なので、ぜひお帰りになる前に行ってみてください」
「はい!」
それは本当に見てみたい。
それにしても、さっすが王様が住んでいたお城だな。敷地全体の広さってどれくらいあるんだろう? テーマパーク五、六個分ありそう。
「あ、見えてきました。あれです」
ジュリアンさんの視線の先の建物は、ありがちなデザインの二階建てだった。
全然研究棟らしくなくて普通の住居みたいに見える。ピカピカだらけの公爵邸の敷地の中にあるとは思えないほど素朴な建物だった。
前世で大正時代の病院だったという洒落た建築物を見学したことがあったけど、それに似ている気がする。
「あれがジュリアンさんの研究棟なのですね」
「『研究棟』というと大袈裟ですが、私の理想通りにリュドビク様が建ててくださったので、感謝を込めてそう呼ばせていただいているのです」
ジュリアンさんが少し歩調を早めたので、私もせかせかと足を動かしてついて行く。
研究棟までやって来ると、ジュリアンさんは建物には入らず裏手に回った。
そこには農園と言っていいくらいの畑が広がっていた。
背の高さや葉の形、色などが違うので、ざっと見ただけで数十種類の薬草やハーブが植えられているのがわかる。
――すごい!
「ジュリアンさん。ものすごい数の薬草ですね……」
「ええ。百種類は超えていると思います」
マジか。国内最大規模の薬草畑なんじゃない?
「そんなにも、ですか? それは――研究しがいがありますね」
「ええ。そうなんです。やはりマルティーヌ様は特別ですね。普通の令嬢にお見せしたら、『花が咲いてもいないのに何を見るのですか?』と、きっと不機嫌になると思うのです。その点マルティーヌ様は領民たちの健康を気にされるお優しい領主ですから、これらの価値をわかっていただけると思ったのです」
そ、そんな。照れる……。照れるよ!
「あ、ええと。その、コホン。せっかくですので、『研究棟』の中も見せていただけますか?」
「はい。もちろんです」
薬草畑がある方からも研究棟に入れるようで、私たちは建物の裏口から中に入った。
さすが研究熱心なジュリアンさんだけあって、メインで使用している部屋は入ってすぐのところにあり、窓からは薬草畑が見渡せた。
部屋は学校の理科室くらいの広さで、いろんな形の道具(実験用の器具?)がテーブルの上や壁際の棚に並べられている。
この世界で他の研究所を見たことがないので比較しようがないけど、たくさんの道具類が、『そこにはそれを置くしかない』というくらい、ピッタリな棚に収納されている。
様々な大きさが組み合わさったデザイン――完全オーダーメイドのおしゃれな壁面収納みたいな感じ。
この世界にもインテリアコーディネーターだかデザイナーだかがいるのかな?
兎にも角にも、ものすごい充実ぶり。
「……すごいですね。ジュリアンさんのこだわりと、リュドビク様がそれに見事に応えられたことがよくわかります」
マジでよくわかる。本当に大したものだと思う。
「マルティーヌ様のおっしゃる通りで、リュドビク様には本当に感謝しています」
「あっ、幾つかの道具には見覚えがあります。うちの領地まで持ってきてくださった物ですね」
「ええ。基本的な物だけですが。あると便利な物がまだまだたくさんありますから、またおいおいお持ちしますね」
「ありがとうございます。そういえば、作り置きしていた薬ですけど、やはり小さな子どもは少ない量でも効き目がありそうでした」
えへへ。忘れてないよ? 私はちゃんと定期的に、「どうだった?」って調査していたんだから。
「そうでしたか。それは参考になります」
「ただ、少量で効果が得られるという確証がなかったため、少なめの量を数回に分けて飲ませることが多かったようですので、正確にはまだ何ともいえませんが」
「いえいえ十分です。症状が出たときに少量でも効果があるとわかっただけで有難いです。少しずつ使用すれば薬も長持ちしますし、とても良いことが聞けました」
うわーん。ありがとう、ジュリアンさん!
そんな風にほわほわした笑顔で褒めてもらえると、私もほっかほかの気分になります。
おっと。感傷に浸ってどうする。そろそろ話題を変えよう。
「ジュリアンさんは、こちらにお住まいなのですか?」
「ええ。一階が薬草の研究所で、二階の一部を私と助手が使っています。二階は主に乾燥させたハーブや薬草を保管しているのですが、ご興味があればハーブティーをブレンドしてみますか?」
「はい! ぜひお願いします」
「では二階でハーブを選びましょう」
そう言って案内してくれるジュリアンさんの背中を見ながら、私は脳内でオーベルジュの一角で女子たちがキャッキャキャッキャとハーブを手に取っている風景を思い描いていた。
ハーブティーのブレンドって楽しいよね!
オーベルジュのすぐ近くに薬草畑を作るつもりだけど、女子にはハーブ園の方がウケがいいかもしれない。
私とジュリアンさん専用の薬の調合室は作るとして、ハーブティーやポプリが作れる体験工房みたいなのがあるといいかも。
まだ発注は大丈夫だよね? オーベルジュの着手は年明けだったよね? 大工たちの契約期間内に出来そうなら建てちゃってほしい。
あー早くレイモンに設計変更を伝えなきゃ!
ジュリアンさんとハーブティーを作っている最中も脳内の妄想が止まらなくて、表情筋を制御できず彼を不安にさせてしまったことは、私とローラだけの秘密にしてもらった。




