108 【閑話】ジュリアンさんの本拠地①
公爵だって鬼じゃない。
ちゃんと特訓のない休日も作ってくれた。
そうなるとやることは一つ――――お城探検だ!
そう思って勢いよく部屋を飛び出したけれど、そこかしこに品のいい使用人がいて、私を見つけると会釈してくるので、こっちもお行儀よく対応しなきゃいけない。
…………辛い。これが本当に辛い。休みの日くらい表情筋を休ませてあげたいのに。
公爵が言っていたのはこの事かと身に沁みてしまった。子どもの頃からこういう生活をしていたのかと思うと、ちょっとだけ同情しちゃう。
幼い公爵が、一生懸命凛々しくあろうと頑張っている姿が目に浮かぶよ。
「ローラ。お庭に行きましょう」
「はい」
城の中は使用人がうじゃうじゃいるからね。こう言えばローラが庭に連れて行ってくれる。
私にとっては、まだ迷路でしかないお城。どこへ行けば庭に出られるのかわかんない。
ローラが方向音痴じゃなくて助かった。既にお城の中の間取り(と呼ぶのかな?)も把握しつつあるらしい。
お城と呼ばれるだけあって、屋敷の中も外もめちゃくちゃ広い。外は本当に広い。もう公園だよ……。最低でも入場料五百円くらいは取れそう。
まあ綺麗に手入れをされている庭はいつでも散策できるし、今は人と会わないために出てきたのだから、自然と建物の裏手の方へと足が向かう。
金色の柵で囲まれた公爵邸の敷地は広過ぎて、全体を見渡すことができない。
それでも本邸以外にもポツポツと建物があるのは見える。何のための建物なんだろう?
「マルティーヌ様。目的もなく歩かれるのでしたらお庭でよろしいのでは? そちらはお足元が悪うございますよ? 万が一転ばれでもしたらお召し物だけでなくお顔にも土が付いてしまうかもしれません」
……ローラ。危機管理アンテナを研ぎます訓練でも受けてんの?
「どうして転ぶ前提なの? ただ歩くだけで――うわぁっ」
嘘でしょう!!
ちょっと振り返り様に話しただけなのに。足元から一瞬目を離しただけで、どうしてガクンと体が揺れて体勢を崩しちゃうことに?
踏ん張れると思ったのに、できなかった。体幹弱いな、私。
その結果――私を庇って下になったローラの服と顔が土まみれになってしまった。
ごめん! 本当にごめんなさい!!
「ローラ! 大丈夫?」
慌てて立ち上がってローラに手を差し伸べたけど、ローラは、「汚れますから」と言って自力で立ち上がった。
そして自分に付いた泥を拭う前に私の全身を見回した。
「少し裾が汚れただけのようですね」
「私のことは後回しでいいわ。どこか打ったりしていない? 痛いところとかは無いの?」
「私はこの通り大丈夫です。少し失礼してよろしいでしょうか。お見苦しいところを整えますので」
「もちろんよ!」
ローラは私から少し距離を取って、パンパンと土をはたいた後、ハンドタオルのような厚手のハンカチで顔と手を拭いた。
それから服の上をそのハンカチで念入りに拭いたあと、真新しいハンカチで再び手を拭いている。
そういえばローラはいつも、ハンカチとかタオルとか複数枚持ち歩いているよね。
「ねえ。いったん戻って着替えてもいいのよ?」
「いいえ、このままで大丈夫です。もしお屋敷のどなたかに見つかってしまうと、問答無用で公爵家の使用人の控室に連れて行かれ、この家の清潔な制服に着替えるよう勧められると思います。向こうはただの親切で何の他意もないと思いますが、私が嫌なのです」
ん? 学校で制服が汚れて体操着に着替えるようなものじゃないの?
「実は、こちらの侍女長に初めてご挨拶をさせていただいたとき、『滞在中は皆と同じ制服を着てはどうか』と言われたのです。私は、『公爵邸に滞在している間もマルティーヌ様の侍女ですので』と、その申し出をお断りさせていただきました」
……ローラ! ロぉラぁっ!
うっ、嬉しいっ! もう、ドニに今のローラの言葉を聞かせてやりたかった。
私が思わずローラの両手を握って目をうるうるさせていると、「あれ?」と訝しがる声が聞こえた。
声の主は、裏手にある建物の方からやって来たらしい。そりゃあ公爵邸に見慣れない人間がいたら驚くよね。
庭師か何かだと思ったその青年は、青い髪と青い瞳をしていて――。
「ジュリアンさん!」
「ああ、やっぱり。マルティーヌ様だったのですね。小さなお姫様が迷子になっているのかと思いました」
「お姫様? ああ、このドレスですね」
そうだよね。私、領地だとずっとシンプルワンピかパンツ姿だったもんね。
「でも、どうしてジュリアンさんが――あ!」
「はい。こちらにご厄介になっているのです。ここからは見えませんが、いつかお話しした研究棟もあそこに見える建物の奥にあります。もちろん薬草畑も。もしお時間があるようでしたらご案内いたしますが、いかがでしょう?」
行くっ!! もちろん行く。「行く」の一択です!
あー、癒されるわ。ここでほわほわした笑顔の普通の人に会えるなんて!
「はい! もちろんです。ジュリアンさんは私の先生ですから、先生の仕事場を拝見したいです!」
「ははは。先生はやめてください。少し足元が悪いですから注意してくださいね」
……はい。既に身を以て学習済みです。




