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魔法使いが愛したロボット  作者: 駿河留守
第1章 魔法使いとロボット
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6話 - ロボット、猫を飼う 後編②

「かぁ~。しみるねぇ~。やっぱ、日本酒は大吟醸がいいな」

 と猫はコップに注がれた日本酒をなめながら言いました。

 部屋はところどころ穴が開いたりガラスが割れたりしていますが、片付いています。ゴミ箱には割れたお皿やガラスでいっぱいになっています。

 ギンジの機嫌を損ねないよう細心の注意を払います。先ほどのように追い回すと家のものがどんどん破壊されていき、挙句の果てに近隣の住民にも迷惑をかけてしまいます。すでに宮城には一撃入れてしまっていますし。一撃入れてしまった宮城はハチの怪我診断機能を使って異常がないことを確認してから部屋に戻しました。あとでイズミに記憶を飛ばしてもらうことにします。

「日本酒飲み比べしたころあるのかよ」

 猫なのに不思議ですね。

「まぁ、俺の飼い主は酒飲みだったからな。よく勝手に舐めて怒られたもんだ」

 ギンジは初めて自分の飼い主について話しました。飼い主の話が出てくるということは飼い猫ということです。

「俺の好きな酒は山田錦って日本酒でな。これがうまいんだよ。ハチも飲むか?」

「猫がどうやって日本酒入手するんだよ?」

「また、暴れてやろうか?」

「勘弁してください」

 ギンジはいい感じによってきたのかガハハハと高々と笑うとても気分がよさそうです。

「まぁ、いい加減な飼い主だよ。ヘビースモーカーだから煙臭いし、酒癖悪いし、餌やるの忘れるし、部屋汚いし、本当に困った飼い主だよ」

「だから、抜け出してきたのか?」

 ハチはギンジが飼い主と暮らすのが嫌になってここにいるのだと予測しました。

 しかし、上機嫌だったギンジが急にしおれた花みたいに視線を落としました。

「抜け出してきた…か。まぁ…そうだな。抜け出してきたんだ」

「違うのか?」

 言葉の歯切れの悪さから言っていることが事実と異なることがわかりました。

「まったく、あんちゃんは気を使うってことができないのか?」

「すまん。ロボットだから難しい」

 そうかとギンジは納得したようなことを言って残りの猫缶の中身を食べきりました。

「死んだよ」

「え?」

「俺の飼い主は…死んだよ。もういない」

 ハチは言葉が出ませんでした。正しくはこういう時どのような言葉を言えばいいかわからなかったので黙るしかありませんでした。

「悪い飼い主だって他の猫からはそう見えるだろうな。だが、俺にとってはいい飼い主だよ。俺は元々野良猫だ。汚い野良猫だったんだ。親に捨てられ行く当てもなくゴミ箱を漁っているところを飼い主に拾われた。ゴミみたいな俺を拾って家においてくれたんだ」

 ギンジはぼーっと遠くを眺めていると懐かしい光景が脳裏に浮かびました。

 ギンジの飼い主はやつれた不健康な見た目をした中年の男でした。ひとりで小さな一軒家に住んでいました。その家はボロボロでところどころ穴が開いていて雨が降る雨漏れするような家でした。それでもギンジにとっては快適な家でした。飼い主は酒癖が悪くよく暴れていましたが、ギンジには手を出しませんでした。酒を勝手に舐めたときは怒られましたが、決して手は出しませんでした。ゴミ駄目の中で生きてきたギンジを風呂に入れて、ブラッシングして、栄養価の高い餌を与えて、天敵が入ってこない安心して眠れる寝床を用意してくれました。と言っても風呂は虫が出てきますし、ブラシは百均で買った安物で、餌もワゴンセールで半額に売られていたものですし、寝床も埃っぽいし飼い主のベッドの下でした。客観的に見たらいい環境とは言えませんが、ゴミ駄目で生きてきたギンジにとって天国でした。

「幸せかどうかはテメー自身で決める。誰が何というと俺はあの生活が幸せだったんだ。たまに匂ってくる煙草の匂いで思い出すよ。幸せだったの日をな」

 そうギンジは語りました。

 ですが、ギンジの幸せな日々はある日突然終わりを迎えました。

 飼い主に身寄りらしい身寄りはいませんでした。身寄りがいるなら飼い主を世話する人間がいてもおかしくありません。

「何か病気を持っていた。なんの病気だったのか猫の俺にはわからない。だが、日に日に弱っていっているのはわかったよ。死期もそう遠くないのも感覚でわかった」

 人が死ぬ。それは人間を守るようにプログラムされているハチが一番避けなければならない事案です。

「生き物はいずれ死ぬ。それが普通だ。でもよ…今じゃなくてもいいって思ったよ」

 猫のギンジにはどうすることもできません。人間と猫では言葉が通じません。飼い主がもうすぐ死ぬ。死にそうなのに飼い主には身寄りがいないので病院に行くように勧める人もいません。体が限界に近いのにお酒を飲むのも煙草を吸うのも辞めませんでした。

 ―――飼い主ともっと一緒にいたい。

 素直じゃないギンジはその思いを行動にすることができませんでした。

「でも、俺は何もできなかった。…いや。何もしなかった。弱っていく飼い主をただ見ていることしかできなかった。俺は何のためにここにいるのか。自問自答をずっと繰り返した。ハチみたいに人間の言葉と猫の言葉がわかるやつがいればよかったんだけどな」

 孤独に死んだ飼い主の遠縁の親戚が警察の通報を受けて家にやってきたところ、変わり果てた飼い主とギンジを見つけました。遠縁の親戚はギンジを保護し、まるで事務作業みたいに飼い主を葬儀の手続きを始めました。

「誰も悲しんでいない現状がただただ異常だった。迷惑だった人間が死んで清々した。そんな風に話している風にも見えた。悲しむどころか明るい雰囲気の葬式はゴミ駄目の暮らしよりも居心地が悪かった。ここにいるくらいなら俺は野良猫でいい。ここにいるくらいなら俺はゴミ駄目で暮らす。俺はあの場から逃げ出してあの公園にたどり着いた。そこで口から火を噴く女子高生に拾われたってわけだ」

 ギンジは再び日本酒を舐めました。しんみりした話をしてしまい、涙が出てきそうになりました。それをお酒でどうにか誤魔化そうとしました。

「あのまま、飼い主の遠縁の親戚のところにいたらこの街にももういられない。俺とっては辛いことも、幸せなこともたくさん詰まった町だ。出たくない」

「…そうか」

 やっとの思いで出せた言葉はそうかの一言でした。例え、相手が猫でも最愛の人が亡くなった時の悲しみは破戒しれません。

「聞いてくれてありがとうよ。言葉にして吐き出すだけでもちょっと気持ちが楽なる」

 聞き手に徹することで救われることがあります。途中で相手の話を切らず淡々と聞いてあげるだけでいいのです。何もできなかったハチですが、結果オーライにはなりますが、ただ聞いているだけで正解した。

「まぁ、最後くらいちゃんと言いたいことは言っておけばよかったと思うよ。棺の前でも墓地の前でもいいんだけどよ」

 それは口も開かない故人へと送る言葉です。

「もう、死んでいるのに伝える意味あるのか?」

 死人には伝わりません。

「あるよ。俺の気持ちの問題だ」

 伝えたい気持ち。

 ハチには理解できません。死人に伝えて意味はあるのか疑問でしかありません。死人はこの世にはもういません。伝えたところで何も変わりません。

 しかし、生きている人には何か影響を与えるのでは?何か変わるのでは?果たして何が変わるのか?

 ―――自分自身のことが知りたければたくさんの人と関わってたくさんのことを見て聞いて話して学ぶんじゃ。

 水道橋博士がハチの記録に残した言葉です。

 ロボットに理解できないことをたくさんの人と関わって見て聞いて話して学ぶ。それが例え人ではなく、猫でも同じことではないのか?

 ―――見て、聞いて、話して、学ぶ。

「なぁ、ギンジ」

「なんだ?」

「伝えていってみないか?飼い主にギンジの言葉を」

 ハチはすぐさまインターネットに接続し、ギンジの飼い主の情報を集め始めました。情報の海の中に飛び込みます。そこにはたくさんの情報が魚のように泳いでいました。テレビの情報や新聞、雑誌、SNS。情報の渦の中でギンジの飼い主の情報を探します。わかっていることはイズミの住む団地周辺にギンジが住んでいたことくらいです。飼い主の情報はありません。猫のギンジが人間の言語や文字を理解している可能性は低いです。少ない情報から確実性の高い情報を導き出していきます。

 情報の海の中を泳ぎ必要ない情報を省いているとある一つの情報を見つけます。

 『ほぼ、廃屋の自宅で変死体』という地方新聞の小さな記事でした。

 異臭がすると付近の住民から警察に通報があった。警察が家を訪ねても応答がなく、家主の親戚に来てもらいカギを開けて中に入ると家主の後藤さん、61歳が亡くなった状態で発見された。死後1か月ほどが経過していた。司法解剖の結果から持病の悪化による病死と判明。

住所はイズミの住む団地のすぐ近くです。さらに記事を追うと死亡していた住民の後藤さんの葬儀の情報もありました。葬儀場の顧客情報から後藤さんの埋葬墓地の位置がわかりました。すでに納骨済みになっているようでした。

「なぁ、ギンジ。ギンジの飼い主って『後藤』って呼ばれてなかったか?」

 後藤の部分のみ人の言葉で話しました。いくら言葉の意味を理解していなくても音でわかるかもしれないからです。

「確かにそんな風に呼ばれていたな。なんでわかった?」

 これでわかりました。ギンジの飼い主が後藤ということが確定しました。

「ロボットにできることをしたまでだ」

 ハチはコートを着てマフラーを手に取り外に出る準備を始めます。

「どこに行くんだ?」

「決まってるだろ。ギンジの飼い主が眠っているところだよ」

 マフラーを首に巻いてギンジを抱えました。

 部屋を出て団地の人目の付かない場所まで移動してから足からブースターエンジンを露出させ空を飛びました。墓地まで歩いていくには微妙に遠いので飛んでいくことにしました。ギンジをコートの中に入れて顔だけ出しています。

 少しずつ雪が降り始めた夕暮れ時です。墓地についたころにはあたりは薄暗く入口についている小さな街頭が不気味に墓地を照らします。墓地に降り立つとギンジを胸中から下ろします。ひたひたと歩き出してギンジの飼い主の後藤が眠る墓地を探します。

 するとギンジはとある墓地の前で止まって座りました。見るとその墓地は後藤家と書かれていました。いろいろと疑問と驚きがありました。

「よくわかったな」

「…なんとなくここだと思ったんだ」

 ハチにはわからないなんとなくです。なんとなくに根拠や理由はありません。

 ギンジは何も言わずじっと墓地を眺めていました。伝えたいことがあるはずなのに言葉が出ません。

「ギンジの飼い主はひとりじゃなかったんだな」

「どういうことだ?」

「これ家族墓地だと思う」

「家族墓地?…え?あいつ家族いたのか?」

「横に名前が刻まれてる。ひとりじゃない」

 それに孤独の身だった人がこんな立派な墓をひとりの力だけで建てるとは考えられません。孤独の身とは言えそれぞれ人は人との子です。両親は必ず存在します。刻まれている名前はギンジの飼い主も含めて6人。それだけ彼の周りには人がいたということです。

「…そうか。飼い主はひとりじゃなかったのか。それは良かった。なら、天国(むこう)でもひとりで寂しくないな」

 ギンジは寂しそうに言いました。

「今、俺の顔を見るんじゃないぞ。かっこ悪いからな」

 ギンジは目の周りを撫でました。猫が毛繕いをしているように見えます。そういうことにしておきましょう。

 ハチはギンジの代わりに手を合わせました。どうか天国で安らかにと想いを込めました。

 なぜ、ギンジの代わりに手を合わせたのか?なぜ、天国に安らかにと想いを込めたのか?ハチは今自分が自然と行った行動の意味が分かりませんでした。ただ、ハチの中に備わっているAIがそうしろと指示をしたのでした。そして、そのAIがハチ自身なのかはハチ自身もわかっていません。

 AIとハチ。別々のものなのでしょうか?

 ハチは所詮ロボットです。AIというコンピューターの指示に従って行動しているだけです。 しかし、時々先ほどのようにハチが思っていることとは異なる動きを反射的にすることがあります。コンビニで強盗からマキを救った時も同じです。しかし、あれには人を守らなければならないというハチに備わっているロボット三原則に従えというプログラムからの行動です。意味は分かります。

 今の行動はどういう指示なのか?俺の中に誰かいる?

 ふと、背後に視線を感じました。

 すぐに振り返りますが、そこには誰もいません。

 ハチに感覚という機能はありますが、視線を感じるといった直感のようなものを感知する機能はありません。

 故障か?とも思いましたが、そうではないのは明らかでした。

 視線を元に戻すとシュンと寂しそうなギンジが目に入りました。

「言いたいこというんじゃなかったのか?」

「…ああ、そうだったな。そうだったんだけどな。ここに来ると言おうと思ってたことが全部どこかに飛んで行っちまった。ハハハ」

 と弱々しく笑いました。

「俺、生きている意味、あるのか?」

 今にも墜落しそうな声でボソッとつぶやきました。

 そんなことはない!

 今すぐそう言ってやりたいハチでしたが、説得力がありませんでした。ハチはギンジのことを深く知りません。彼がどれだけ飼い主のことが好きだったのか知りません。ギンジに猫としてまっとうな生活を与えた飼い主がいなくなった今、彼の生きるという気力が消えかかっているはわかりました。彼の生きる気力は飼い主にしか与えることができません。しかし、その飼い主はもういません。

 どうする?

 相手は人ではありません。猫です。ハチのロボット三原則に猫を守るような指示はありません。でも、死んでほしくないです。それが例え、人であろうが、猫だろうが。

 こういう時に限ってAIは何も指示をくれません。

 どうする?

 ギンジに生きる気力を与えるためには何をすればいい?

 ハチはギンジの飼い主が眠る墓地を見ました。

 そこにいるんだろ?何かしゃべろよ!猫でもお前のたったひとりの家族だろ!

 声に出さずそう訴えかけました。

『タバコが吸いたい』

 ハチは再び背後に視線を感じ取りました。素早く振り返ってもそこには誰もいませんでした。

 幽霊なんてものは存在しない。心霊写真はレンズの光加減や影等々がたまたま幽霊みたいに映ったものです。要するに人間の錯覚が生み出した幻想の存在です。幽霊なんてこの世には存在しない。それが科学の結晶であるロボットのハチの結論です。

 しかし、今回ばかりはその幽霊に頼ることにしました。

「ギンジ。ここで少し待ってろ」

 そういうとスーパーマンみたいに両手を高々と突き上げるようにジャンプしてブースターを焚いて煙を上げながら飛び上がりました。そのまま最寄りのコンビニに着陸して入店します。すぐにレジに向かい煙草とライターを購入するとコンビニを飛び出して再び空を飛んで墓地の入口まで戻ってきました。

 それから買ったばかりの煙草を一本取り出してライターで火をつけます。煙を吸うとハチの視界の表示にエラーメッセージが表示されました。すぐに異常をきたすものではないので視界の隅にスモッグ吸引、フィルター過負荷という表記が出ました。煙草は人間の体に悪いのはもちろんロボットの体にも悪いようです。

 それでも煙草をふかしながらしょんぼりするギンジの背後に立ちました。そして、煙草をふかして煙を口から吐きました。

 懐かしい匂いがしました。思わず振り返るとそこには飼い主がいました。いえ、そこにいるのはハチですが、涙で視界がにじみ、煙草の匂いで鼻が利いていませんでした。しかし、嗅ぎなれた煙草の匂いでした。

「ギンジ」

 ハチは飼い主になったつもりで言いました。

「元気か?元気ならいいんだ」

 わかりません。なぜ、そのような言葉が出てきたのかわかりません。

 でも、ギンジにはしっかり届いたようです。

 流れていた涙が滝のようにあふれてきました。

「おめー、良い奴だな。ハチ。ムカつくくらいに」

 悪口を言われていますが、気分は悪くありませんでした。

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