6話 - ロボット、猫を飼う 前編①
ちょっとずつ寒さが和らいできました。コンビニのバイト終わりのハチはコートを着てマフラーをして帰宅途中でした。まだまだ寒い季節ですが、日差しがさして少し暖かいので途中でマフラーをするのはやめました。ハチの視界に表示されている外気温からどれだけ着込むか判断していました。それが人間に紛れる手段です。
マフラーを外してイズミと住む団地の部屋へ向かうのにショートカットとして使う公園に入りました。ハチはここの滑り台の下にいました。あの日は雪が降り、雪が積もっていましたが、今はありません。
「あら、ハチ君。こんにちは。お仕事帰り?」
「そうですね」
たまたま公園で掃き掃除をしていた同じD棟に住む野村さんが声をかけてきました。40代前後の女性です。小学生の息子が二人いて、物腰が優しく皆から慕われる団地のお母さん的な存在です。時々、自主的に公園の掃除をしています。
「今日は少し暖かいですね」
「そうね~」
こういった簡単な世間話をすることもロボットが人間の生活に馴染むひとつの手段です。
最初は警戒されましたが、イズミの同居人とわかると対応が柔らかくなりました。それだけイズミがこの団地の馴染んでいることがわかります。もちろん、誰も彼女が魔法使いであることを知りません。
「そういえば、さっきイズミちゃん見たけど、挨拶もせず逃げるように帰っていったわよ」
「そうなんですか?」
イズミは普段、誰にでも気兼ねなく接することができます。
「しないということは…あいつ、何か隠してるな」
とボソッとハチはつぶやきました。
以前も似たようなことがありました。
その時はお金もないのにちょっと高いデザートを食べていました。ふたつも。
その前にはハチが買った灯油をこぼしたことを隠していました。
もちろん、どちらもしっかりハチは説教しました。悪いことは悪いのです。
今回は何をやらかしたのか。心配です。ハチには人の行動をある程度予測する機能が内蔵されています。元々は移動する標的を攻撃するためのものです。しかし、イズミの行動にこの予測機能は全く役に立ちません。
一抹の不安を抱えながらイズミからもらった合鍵で部屋の鍵を開けます。
「ただいま」
とりあえず、何も知らない体で部屋に入ります。
「おがえり~、はぢ君~」
なぜか泣いていました。
「どうしたんだ?」
緊急性のなさそうな泣き声だったのでのんびり居間に向かうとそこには猫がいました。
「にゃーん」
茶色と白の毛並みの三毛猫がいました。毛並みが整っていてとてもかわいい猫です。大きさからして子猫ではないようです。
猫は何かを警戒するかのように部屋の隅っこにいました。
そして、イズミは手指と顔に引っかき傷だらけでした。
「何があったんだ?」
事情をハチが尋ねます。
「学校の帰りにいつも公園を歩いてたらね」
いつも公園というのはこの団地の中にあるハチとイズミが初めて出会った公園、先ほど野村さんに声をかけられた公園のことです。
「この猫がカラスに襲われてたの」
助けてもらった恩人に傷を負わせるのは何とも温情知らずの猫だとハチは思いました。
「だから、魔法で炎を起こしてカラスを追い払ったの」
それはカラスもビビりますが、猫もビビります。
「いい子だから~」
イズミは猫をなでようとしますが。
「しゃー!」
鋭い爪で引っかかれます。
「なんでぇ~?」
「たぶん、イズミのことが怖いんじゃないのか?」
炎を突然人が怪獣みたいに吐き出したら普通に怖いです。相手が大道芸人であろうが、魔法使いであろうが。
「なんで?私自慢じゃないけど、この団地で一番可愛がられてるよ?」
ハチの中でイズミの評価が急転直下しました。自覚しているのはなんか腹が立ちます。
可愛がられるのはイズミの容姿がいいからです。普通にかわいい女の子には優しくしたくなります。
「この子と会話できたらな…」
猫と会話なんて簡単にできるものじゃありません。
「魔法じゃできないのか?」
ハチの認識では時間も操作できる魔法なら何でもできると思っていました。
「できる人を見たことはあるけど、私はやり方を知らない」
「魔法にもやり方っていうのがあるんだな。俺から見たらどの魔法を同じように使っている風に見えるな」
魔法を使うときは総じて瞳の色が変化します。瞳の色は使う魔法に沿った色に変化します。例えば、炎を使うときは赤に、水を使うときは青色になります。ハチはその程度しか魔法のことを知りません。
「たぶん、ロボットのハチ君に話したところで理解してくれるかどうかわからない。魔法って理屈じゃなくて感覚で使い方を掴むんだよね。最初のうちは道具を使って補助するんだけど、だんだんコツをつかんできてそのうち補助しなくても魔法を使えるようになるんだよね」
再び猫をなでようとしますが、噛みつかれそうになって思わず手を引きました。
「感覚か。俺には理解できないな」
魔法には計算式のような法則はないようです。
「でも、補助さえあればハチ君にも使えるよ」
「まじ?」
それはとんでもないことです。ロボットが魔法を使う。あまり想像ができません。
「じゃあ、教えてくれよ」
「機会があったらねぇ〜」
その返事は二度と教えてくれないものですね。
三度、猫を撫でようとしますが、引っ掻かれます。
「しゃー!」
「なんで?」
涙目で猫に触れそうとしますが、まったくダメです。
「もう!私の何が嫌なの!」
と猫に怒りますが、首を傾げられたので全然伝わっていません。
「聞いてやろうか?」
ハチが助け舟を出しました。
「え?聞くって?」
ロボットと猫が会話できるわけないと思っていました。ですが…。
「ニャー、ニャ〜ゴ、ニャアー」
突然、ハチが猫語を話し始めました。イズミは少し引きました。
「にゃ!にゃにゃ〜にゃ」
しかし、猫には通じたようです。目の前の人間が突然自分に伝わる言葉で話すものですからとても驚いていました。
「にゃ、にゃにゃ~、にゃ~」
「ニャ~、ニャニャニャ~、ニャ~ニャ~」
一台と一匹が会話を始めました。
「え?何!お話したの!」
「ああ」
驚愕のあまり目が点になりました。
「な、なんて言ってたの!」
忙しい人です。点になっていた目を今度はいっぱいに見開いてキラキラした目で尋ねました。イズミが期待していることは態度でハチにもわかりました。が、気を使うことを知らないハチはそのまま事実を伝えました。
「触るな。ブスって言ってるな」
空気が固まりました。このような比喩表現をハチは感じることができません。イズミの目がまた、点になりました。
「ワンモア?」
「触るな。ブスって言ってるな」
「うるさい!」
突然、ハチはイズミに腹を蹴り飛ばされ押し入れに頭から刺さりました。さらに腹を蹴った衝撃で腹筋のスイッチが押されて腕が飛んで壁に刺さりました。衝撃映像に猫は慌ててテーブルの下に逃げ込みます。
「こんなかわいい猫ちゃんがブスなんていう下品な言葉使うはずない!そんなに私のことが嫌いなの!このゴミハチ!クソハチ!バカハチ!ウンコハチ!」
自分で自分のことがかわいいとか言っていた人がいう言葉ではありません。下品です。
ハチは何も言わずに黙々と飛んで行った腕をくっつけます。
「こんなかわいい猫ちゃんがそんなブスなんて言うわけないよね?」
イズミは四つん這いになりながらテーブルの下に逃げ込んだ猫の視線で猫に近づきます。すると猫はイズミが伸ばした手を握るように手を添えてきたのです。
「ほら!見て!ハチ君!手つないでくれたよ!普通、ブス相手に手なんてつないでくれないよ!」
ブスっ!
猫がしまっていた爪を勢いよく立ててイズミの手に突き刺しました。引っ掛かれるよりも深々と爪が刺さり、血が滴り垂れました。
「にゃ~」
「…なんて言ってるの?」
ゆっくりと涙目で猫から手を放しながらイズミは尋ねました。
「ブスにブスっと爪が刺さったって言ってる」
するとイズミの瞳の色が灰色に変わるとイズミの頭上で周囲のものが集まってきました。テレビのリモコンやコップにゴミ箱。部屋中のものが集まってきて塊になってきます。それがソフトボールサイズに位になったところでハチの視界に危険を知らせるアラートが鳴りました。イズミの頭上の塊をハチの危機管理システムが砲弾と判断しました。つまり、こちらに飛んできます。
「待て!イズミ!俺は事実を!」
逃げられる間合いではないので、話し合いで解決しようと試みますが。
「うるさぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!!」
イズミの頭上の塊がミサイル並みのスピードで飛んできますが、ハチは咄嗟にその場でかがんだので塊はハチの頭をかすめて押し入れの中で破裂してふすまに塊の材料になったリモコンなどが突き刺さりました。すさまじい威力に背筋が凍ります。それはハチだけでなく猫も一緒でした。
驚いた猫は逃げ場を求めてハチの背後に隠れました。
「なんでなの!」
再び同じ魔法を使うのではないかとハチは警戒しました。
「なんで私には全然近づいてくれないのに!」
自業自得な気がします。
ハチはイズミが使う魔法を分類化しています。使う魔法も種類も何もわからないので、危なそうなものをピックアップしています。今の魔法は危険度レベル5です。一番危険です。次回からは同じ魔法を使う兆候が確認されたらすぐに逃げることに決めました。
しかし、イズミは仲良さげに身を寄せ合うロボットと猫の姿を見て涙を浮かべながら今の窓を開けて足をかけました。
「ちょっとイズミ!」
身投げするのかと思い助けに入ろうとします。
「ちょっと出かけてくる」
その言葉に少しホッとします。
「出かけてくるってどこに?」
「魔法使いの里」
つまり、地元です。
「そこで猫とお話できる魔法を教わってくる!」
まるでロケットのように部屋中の軽いものを巻き上げながらどこかへ飛んできました。正確には魔法使いの里です。イズミが飛び立ってすぐに窓から顔を出してイズミが飛んで行った方角を確認しますが、視認できるところにはもういませんでした。
「魔法使いの里ってどこにあるんだろうな?」
「にゃ~」
「興味ないか」
そう猫が言ったようです。
「にゃにゃ~にゃ~」
「ニャニャーニャー」
と猫と話しながら窓を閉めて散らかった部屋の片づけを始めます。
「にゃ~」
話したりないのか猫はハチにちょっかいをかけます。
「ニャー」
このままではハチと猫が何の話をしているのか全然わかりません。なので、ここからは猫語ではなく、人の言葉でどんな話をしているのか聞いていましょう。
「ちょっと、邪魔しないでくれるか?」
と猫語でハチは話しています。もちろん、普通の人にはニャーとしか聞こえていません。
「少しくらいいいではないか」
イズミの脳内ではアニメ声の女性声優がかわいい声で語尾ににゃんっとつけてしゃべっていると思っています。しかし、現実はそうではありません。
「俺はあんな小便臭い小娘よりもあんちゃんみたいな若い男の方が好きなのさ」
猫はオスでした。人間の年齢でいうと中年くらいで野太く渋い声でしゃべりました。とてもイズミの言うかわいい猫ではないとハチは思いました。
「見ない方がいい現実もあるんだな」
「なんか言ったか?」
さっきのつぶやきは猫語ではなく、人語です。
「たく、あの小娘、俺を助けたつもりだったみたいだけ、あんなカラスくらい俺が本気を出せば追い払うくらいできる。なんなら、食ってやることもできる。俺、一応猫だし。食物連鎖的に鳥に負けるわけない」
と大口をたたいています。
「あんちゃんもそう思わないかい?」
と猫はハチに触れました。すると猫はびっくりして触れた肉球をすぐさま離しました。
「…これはびっくりだ。あんちゃん人間じゃないのか」
「え」
ハチは思わず固まってしまいました。初めて人間だと見破られたからです。イズミにもすぐロボットであることがばれていますが、あの時は腕が外れてしまったのであれを見破られたとは言えません。ハチは今まで他人に触れられたこともあります。それはバイト中や買い物中、街を歩いている最中と数え切れないほどありましたが、一度も「お前、ロボットだな」や「お前、人間じゃないな」と言われたことはありません。
「そうだけど、よくわかったな」
普段なら真っ向から否定しますが、相手は猫です。今のところ、猫語をしゃべることができる人間には出会ったことがないので正体を明かしても問題ないでしょう。
「へぇ~。よくできてるな。人形か?」
「ロボットだ」
「ロボット!ロボットってあれか?人間がいなくても勝手に掃除してくれる奴と同じってことだな?」
たぶん、ルンバのことでしょう。
「そうだな」
「すごいな。全然わからなかった。あんちゃん、おもしろいな。」
物珍しそうにハチの周りをぐるぐると回りました。
「なんで俺がロボットだってわかったんだ?」
猫は目が回ってきたのかハチの周りを歩くのをやめて座り込みました。
「なんでって、それは………なんとなくだ」
「根拠とかないのかよ」
ハチは今後自分がロボットであることを隠し通すための参考にするつもりでしたが、なんとなくでは意味がありません。ロボットになんとなくという曖昧な言葉を理解するのは困難です。
「強いて言うなら、触ったとき、人間っぽさを感じなかった」
「人間っぽさって?感じなかったって言うのは?」
「…俺にそれ以上難しいことを聞くな」
猫は嫌がって毛づくろいを始めました。
先ほどのイズミから聞いた魔法の使い方もそうでしたが、なんとなくのような第六感を感知する機能はハチには備わっていません。感知できない以上、理解もできません。たまにバイト先でロボットみたいだと言われるのは、イズミやこの猫の言うような第六感を理解できないからでしょう。
「あんちゃん、名前は?」
「俺か?」
ロボットとばれているので八〇一八番と答えても問題ないだろうと思いましたが、人間らしさを意識するならば、
「ハチだ」
イズミのつけてくれた名を名乗ることにしました。
「いい名前じゃないか。俺はギンジだ。よろしく」
「ああ」
猫はギンジと言いました。
イズミが魔法で集めたものを元に位置に戻していきます。ロボットですので、物の位置は映像として記録できるので正確に戻すことができます。すると隣の台所からがしゃーん!何かが豪快に割れる音が聞こえました。
慌てて台所のほうへ向かうと非常食が入っている棚をギンジが漁っていました。漁るときに棚が揺れて上に置いてあった皿が床に落ちて割れたようです。
「ギンジ!何やってるんだ!」
悪いことをしたときは叱らなければなりません。ハチは叱りながらギンジの首根っこを掴んで捕獲します。
「離せー!」
ギンジは暴れます。
「こら!暴れるな!」
暴れるのを抑えようとしますが、どのくらいの力加減で押さえていいのかハチにはわからず暴れるギンジを離してしまいました。ギンジは台所の上に逃げて食器が干してある水切りラックの近くでシャーっと威嚇します。
「いきなり何をするんだ!」
「人ん家の棚を勝手に漁るな!せっかく片づけたのに!」
「どうせあの小娘が魔法を使って散らかすんだ?」
「まぁ、そうだけどさ」
これまで何回押し入れのふすまや障子紙を修理したことかとため息が出そうでした。稀に魔法で修理してくれることもありますが、本当に稀です。
「何してたんだよ?」
「いや~、居心地のよさそうな狭い空間を見つけると入ってみたくなって」
狭いところが好きなのは猫の習性です。
「急に猫みたいなこと言って…」
「猫だが?」
「とにかく、散らかさないでくれ」
「やなこった!」
「はぁ!」
「やられたくなかったら捕まえてみろ」
ハチは右手のひらをギンジに向けました。
「なんだ?」
すると突然ポンっ!と勢いよくハチの右手がギンジに向かって飛んでいきました。
「にゃ!」
突然飛んできた右手をよけることができず鷲掴みにしてそのまま押さえつけます。ギンジは必死に暴れて抜け出そうとしますが、しっかり首元で掴むことができたので抜け出すことはできません。
「何をする!離せ!」
「俺はロボットだって言っただろ?」
「腕飛ばせるとか聞いてないぞ!ロボットみたいなことしやがって!」
「ロボットだが?」
さて、捕まえたギンジをどこか段ボールの中にでも一度入れていこうと思った時でした。
勢いよく腕を飛ばした影響とハチの右手に押さえつけられてギンジが暴れた衝撃で食器を乗せた水切りラックがバランスを崩して床に落ちそうでした。
「危ない!」
咄嗟に左手で水切りラックを掴むことに成功しますが、中身が雪崩のように崩れて落ちていきます。それを右手で防ごうとします。が、右手はありません。
がしゃーん!ぱりーん!
「………」
「………」
イズミに怒られることが確定しました。
先ほどのように周辺のものを集めて飛ばしてくる魔法を使われたとき、割れた食器は危ないので飛ばした腕を左手でくっつけてホウキとちりとりで掃除を始めました。どんな魔法で攻撃されるか脳内でシミュレーションしていますが、圧倒的に魔法に関する情報が不足しています。
「…逃げるか」
「お前も同罪だ!」
逃げようとするギンジを今度は左手を飛ばして捕獲しようとしましたが、ぴょんと飛び上がってかわしました。飛ばした左手はガラス戸を突き破りました。
「そう何度も捕まってたまるか!」
「逃がすか!」




