2話 - ロボット、働きに出る 後編①
「ええっと、ちみ、名前は?」
「水道橋ハチです」
「…芸名?」
「いいえ、本名です」
いいえ、設定です。
次の日、ハチはさっそく近所のコンビニに赴きました。名前は水道橋ハチ。水道橋博士によって作られたことだけはわかっています。生みの親の名前をいったん借りることにしました。ハチはイズミに呼ばれている名前をそのまま流用です。住所はイズミの住所を借り、学歴もイズミの学歴を借り、年齢は適当に21歳にしました。故に違和感のない偽の履歴書が出来上がりました。名前以外は。
コンビニのレジの裏手にある事務所に店長と二人っきりです。店長は落ち武者みたいな髪形をし、ものすごく前歯が出ています。ものすごい気になって顔よりも前歯を見てしまいます。ものすごいてかてかしています。乾燥しないんでしょうか?と思った矢先に乾いた前歯を湿らせるために舌でなめました。また、元のてかてかに戻りました。
「高校卒業して3年も何してたの?」
「前歯」
「え?前歯?」
「じゃなくて、えっと、ま、前は働こうと思っていたんですけど、やる気がなかなか」
「………あっそ」
危なかったです。前歯しか見ていないことが危うくバレるところでした。
しかし、目立つ前歯。よく見ると少し欠けています。舌をひっかければケガをしてしまいそうです。しかし、乾いた前歯を湿らせるために舌が再び出てきました。舌は欠けている部分をきれいにかわして前歯を湿らせて口の中に戻っていきました。
「おー」
「ん?なんだ?」
「何でもないです」
ロボットですので、無表情を作るのは得意です。しかし、視線はしっかり前歯を捉えています。
「ん。採用で」
「マジ?」
「マジよ。人足らんのだ」
店長は後ろのロッカーをおもむろに開けました。開けた衝撃でロッカーの上に乱雑に置かれていた古い雑誌が落ちてきましたが気にせず制服を取り出してハチに投げ渡しました。少しかび臭いです。
「じゃあ、それ、着て。今から仕事。教えるから」
「え?今から?」
「人足らないって言ったでしょ。ちみ、人の話聞いてる?」
落ち武者前歯店長はハチのことが少し嫌いなようです。その証拠にサルでもわかる店員の対応マニュアルという辞書並に分厚いボロボロの本をハチに投げ渡してきました。ハチは難なくキャッチしました。それを見て落ち武者前歯店長は舌打ちしました。
「その中に仕事のことが全部書かれてるから。5分で読んで」
「はぁ?5分で」
とても読める量でありません。
「ちみ、高校卒業してずっと遊んでたでしょ?」
遊んでなどいません。そもそも、ハチは高校に行ったことすらありません。すべて設定上の話です。
「そんな怠けたやつが社会復帰のためにうちに来たんでしょ?」
いいえ。自分の燃料代を稼ぐためです。
「その心意気はいいよ。でもね、社会って厳しいのよ。理不尽なことばっかりなのよ。その程度で根を上げてたらどこで働いても一緒よ?」
と嫌味っぽく言われました。ハチからしてみれば、50代半ばくらいの年齢であろう落ち武者前歯店長もその年齢でコンビニの店長をやっているのもどうだろうとは思いました。別に非難しているわけではありません。コンビニの店長も十分立派な仕事です。しかし、給料も待遇もいい仕事かと言われると何とも言えないのが現実です。
「じゃあ、マニュアル返して」
「え?まだ、読んで」
「うるさい!もう5分経ったよ!」
まだ、3分もたっていません。
「ちょっと待ってください」
ハチはマニュアルをペラペラとすべてのページに目を通しました。その時間はわずか数秒。その後、すぐにマニュアルを返しました。
「ちみは間抜けか!さっさと来なさい!」
半ば強引にレジへと連れていかれます。レジにはすでに店員がひとり立っていました。ビジュアルバンドみたいな緑とピンクに髪を染めて耳と唇にピアスをつけたいかしたお姉さんがいました。爪のマニュキュアを気にしています。
「マキちゃん。交代で」
「うぃーす」
女の子が相手になるとやたら優しくなる下品な店長のようです。
「おい!ちみ!ぼーっとしてないで、レジ打ちをするんだよ!」
しかし、ハチは今日コンビニに来たばかりです。レジの使い方なんて知るはずがありません。
しかし、お客さんはそんな事情を分かってくれるはずもありません。
30代くらいの外回りをしているであろうサラリーマンが温かい缶コーヒーをもってレジにやってきました。
「まったく、ちみは全然できない間抜け以下か。まずはお客様には———」
と落ち武者店長はハチを罵りながら、見下しながら自慢げに客対応をしようとしました。しかし、
「いらっしゃいませー。ようこそー」
「へ?」
突然、ハチはまるで手慣れたコンビニ店員のようにふるまい始めました。それに店長も驚いて目が点になっています。
何事もなかったかのように缶コーヒーのバーコードを読み取ります。
「113円になります。ポイントカードはお持ちですか?」
「ああ、そういえば」
ハチに言われて思い出したかのようにサラリーマンはポイントカードをハチに渡してきます。カードを受け取ったハチはレジのボタンの解析に入りました。視界にボタンの情報が一斉にインプットされます。そして、ほんの数秒だけ目を通したマニュアルを録画してあるため、録画画像からポイントカードの読み取りのガイドラインを検索し探し出します。
この間にかかった時間、0.002秒です。さすが機械ですね。
ポイントカード読み取りのボタンを押してカードを読み取ってサラリーマンに返却します。
「120円お預かりします」
レジに金額を打ち込むとお釣りの金額が表示され、レシートが出てきます。
「7円のお釣りとレシートです」
「レシートはいらないよ」
お客さんの中にはレシートを受け取らない人も多くいます。
「レシートに次回、缶コーヒーが一本無料でついて来るクーポン券がついていますけど、どうなさいますか?」
「え?そうなの?」
「はい。ポイントカード会員様に抽選で当たるようになっています」
「そうなんだ。もしかしたら、今までも当たってかもしれないのか。ありがとう。次からはレシートをちゃんと確認してみるよ」
とサラリーマンは満足そうな表情を浮かべてお店を後にしました。
「ち、ちみ!なぜ、そんなことを知っている!」
「え?マニュアルに書いてありましたよ」
「え?読めたの?」
ロボットだから読めたのです。
「店長ー」
先ほど、レジから交代を告げられたマキがレジの方にやってきました。片手にはホコリ取りが握られていました。サボらず店内の掃除をしていたのでしょう。見かけによらず真面目なのようです。
「なぁに~。マキちゃん」
鼻の下を伸ばしてとてもキモイです。マキは全く気にしていません。
「なんかー、コピー機動かないらしいんですよー」
「どれどれ、任せなさい」
白髪のおばあさんがとても困っています。
「どうなさいました?」
「コピーしようとしたらエラーになって」
「ここは店長におまかせください。なんて言ったって店長ですよ」
と自信満々にコピーを操作します。エラー音が鳴ります。
「お、おかしいな。いつもならこの辺を適当に押せば直るんだけど」
再びエラー音が鳴り響きます。
「こ、このエラーコードはなんだ?見たことないぞ」
「そうなんですよー。私も初めてでー。店長なのにわからないんですかー?」
「な、何を言う。私が店長だ」
しかし、コピー機は不機嫌そうにエラー音鳴らします。
「こ、この!ちみ!言うことを聞かないか!」
コピー機を叩くとより一層大きなエラー音が鳴り響きます。
「ちょっといいですか?」
見かねたハチが様子を見に来ました。
「今日来たばかりのちみに何ができるというんだね!間抜け!」
と隣でわーわー文句を言いますが、そんな店長を無視してハチはコピー機の型番とエラーコードをネットで検索を掛けます。目を通したマニュアルにはコピー機の対処が乗っていないため、ネット上で取扱説明書をダウンロードしてエラーのないようを確認します。
「紙詰まりみたいですね。4番を開けると」
エラーコードからどこの紙詰まりか特定したみたいですね。
紙詰まりを解消してあげるとコピー機は機嫌を直して素直に動き始めました。
「ありがとうございます。助かるわ」
白髪のおばあさんはとてもほっとして喜んでいました。
「ち、ちみはいったい何者だ!」
「…水道橋ハチですけど」
ロボットですとは答えるわけにはいきません。
恥をかかせることに失敗し、逆に恥をかかされたことに腹が立った落ち武者店長はその後、様々なトラップをハチに仕掛けていきます。
「品出しが遅いぞ!」
「終わったんですけど」
商品の位置は一度見ればマッピングされるので、分からないはずがありません。
「商品が来たぞ!さっさと運べ!」
「終わりました」
ロボットですので、スタミナ切れを知りません。
「たばこの銘柄覚えたか!」
「マルボロがここで、マイセンがここで、ピースがここで」
ロボットですから簡単に記憶できます。
「揚げ物くらいひとりで揚げろ!」
「ファミチキ揚げたてでーす」
フライヤーの使い方はマニュアル検索で分かります。
「掃除は!」
「やってまーす」
「検品は!」
「やってまーす」
「賞味期限の確認は!」
「終わりました」
「商品の補充は!」
「終わりました」
ぜぇぜぇと落ち武者店長は荒い息を立てます。
ハチはロボットですので、仕事は完璧にこなせます。それが人間と機械の大きな違いです。
「くそ。どうすれば、あの小僧を叩きのめすことができるのだ」
店の裏側に移動して監視カメラでハチの様子をうかがいながら次の手を考えているようです。その間も監視カメラの向こうのハチは淡々と仕事をこなしています。新人店員には見えません。
「店長ー。諦めたらどうっすかー。スペック違いすぎっすよー」
店の裏に保管されている品物を運ぶためにやってきたマキに言われたらおしまいです。
「そ、そんなー。マキちゃんはあんなロボットみたいなのがタイプなのかい?」
「タイプとかではないけどー」
「やったー!それはよかった!」
「でも、仕事ができる男は好きかなー。あ、ちなみに私は店長生理的に無理なんでー」
「え?」
店長はまるで壊れたロボットみたいに泣きながらマキの後を追いました。
「ちょっと、今のは冗談だよね?ね?」
「それはどうかなー」
店長をからかいながら店の中に入る直後でマキは店内のお客とぶつかってしまいました。ぶつかったお客は少し小太りの若い男でした。恰好は少し着崩れていましたが、スーツ姿でした。おそらく仕事の合間にコンビニに寄ったのでしょう。
「あー。すいません」
マキが平謝りしますが、ぶつかった衝撃で男の服の下からポテチとコーラが出てきました。
「はぁー?なんでー?」
それは決まっています。男が万引きをしたからです。
焦った男はマキの口元を覆ってそのまま壁に押し付けました。その衝撃で手に持っていた商品が床に散らばりました。その散らばった商品なんて見えていない男は商品を踏みつぶしてマキに迫ります。
「ち、違うんだ。こ、こ、これはちょっと下出来心だったんだ。見逃してくれよ、よ」
焦った男は明らかに挙動が不審でした。息は荒くひどく慌てていました。
マキも目の前で起きたことの整理が全然できていませんでした。自分がなぜ目の前の男に襲われているのかも理解が追い付かず、恐怖だけが先走りました。震える足や口はまるで自分の体の一部ではないなくなっていました。
「もー、マキちゃん。何やってるの?」
運んでいた商品をぶちまけたところをフォローするために運よく落ち武者店長が裏から出てきました。床に散らばった商品を拾い、顔を上げると声を上げられないように壁に押し付けられているマキと男がいました。
「え?」
男は見られてしまったことを焦り、ポケットからカッターナイフを取り出してマキに突きつけました。
「う、動くなー!」
その怒号は店中に広がりました。
男はマキの首元を腕で巻き付けるように抑え、空いた手でカッターナイフを突きつけます。
「ここ、この女がどうなってもいいのか!」
店内に響き渡る怒号で現場の空気が一気に張り詰めました。たまたま居合わせた買い物客は腰を抜かし、動けなくなるものや一目散に店の外に逃げ出す者もいました。レジで商品の読み込みをしていたハチも緊迫した状況は伝わってきました。
男から遠くにいたお客さんたちは一目散に店の外に逃げていきます。レジ打ちを待っていたお客さんも例外ではありません。逃げていきました。たまたま、近くにいたおばあさんは腰を抜かしてしまって動けません。
「ど、どどどどど、どうすればいいのかね?」
腰を抜かしながらも、生まれたての小鹿みたいに足が震えながらも、いくらぬぐっても流れ続ける冷や汗を流しならも、落ち武者店長はマキを案じていました。
マキちゃんを助けないと。でも、怖い。逃げたい。ちびりそう。
一方のマキは恐怖で体がこわばったまま動きません。本当はすぐに大声を上げて振り払って逃げ出したいのに体がいうことを利かない。突きつけられた刃物が次の瞬間、自分の命を奪いかもしれない恐怖がすべての思考回路をショートさせます。
「う、うるせー!俺は何も悪くないんだ!分かったか!」
男の要求はありません。ただ、万引きしたところを目撃されてしまったのをどうにかしたかっただけです。その場で店員を脅して黙らせればよかったのですが、たまたま別の店員に目撃されてしまいました。焦って手近にいた店員を人質にしてしまった。万引きを見逃してほしいだけだったのが、大事になってしまった。男はひどく後悔していましたが、引き下がるわけにはいかなくなってしまいました。
「わ、わっかた。ち、ちみは悪くないから、マキちゃんを」
「う、うるせー!どうせ、時間稼いで警察に捕まえてもらうんだろ!丸わかりなんだよ!」
ハチは横目で店の外に逃げ出したお客がスマホで電話している姿を確認しています。警察が来るのは時間の問題です。しかし、それよりもマキが大変危険な状態です。
「いいか!近づくなよ!近づくな!」
男はマキを引きづってトイレの方へ向かおうとしています。
このまま、マキを監禁するつもりです。
どうせ、捕まるのだからこの女の体でいいことをしてやろう。
追い込まれた人間は非常に恐ろしい生き物です。気持ち悪いですね。全人類の女性の敵です。
トイレに連れ込まれるマキを落ち武者店長はただただ見ていることしかできませんでした。
この世におぎゃーと生まれて早53年。女の子にモテたくて、流行りのものには何でも手を出した。自分のセンスのなさに絶望した。流行りのものほど、身に着けるにはセンスがいる。自分がつけると流行りの時期はかっこいいはずなのに、とてもダサくなってしまう。俺は何をしてもダメだった。
モテたい一心で必死にスポーツを頑張ってみたが、ベンチ入りが精いっぱい。
モテたい一心で勉強を頑張ってみたが、二浪して入ったのは中堅の大学。
モテたい一心で金持ちになるために大企業に就職しようとしたが、就職できたのは中小のブラック企業で今はコンビニの店長。
この世におぎゃーと生まれて早53年。うまくいったことなんて一度もなかった。俺はダメな人間なのは俺が一番知っている。何もかもが中途半端でうまくいかない。コンビニの店長だって今日入ってきた新人に追い抜かれそうだ。
それでもモテたい。女の子にモテたい。
そのためなら、命を懸けられるか?たぶん、無理だ。そう俺はいつもダメなのだ。
「店長」
声が聞こえたのだ。実際、誰にも聞こえていない。
「助けて」
マキちゃんが助けを求めた。そう聞こえた。
モテたいから?―――いや。違う。
自然と足が動いた。
「ま、マキちゃんを離せ!」
ふり絞った勇敢な声が店内に響き渡りました。落ち武者店長が男に飛び込みます。突然のことに動揺した男はマキに突きつけていたカッターを向かってくる店長に向けました。
終わったな俺は―——。
ブッシャ!と液体が飲み物が入っている棚の扉に飛び散りました。
そう思った落ち武者店長は目をつぶってそのまま床に倒れ込みました。しかし、どこも痛くありません。体を起こして自分の体を手探り確認します。どこも傷を負っていません。
「ん?」
目を開け男の方を見るとカッターを握っていた手にはカッターはなく、壁に跳ね返ってレジの方向に滑って転がっていました。手は落ち武者店長の血ではなく、オレンジ色の蛍光塗料だらけで、塗料は飲み物が入っている棚の扉に飛び散っていました。誰かが防犯用のカラーボールを男に、しかもカッターを持つ手にピンポイントでぶつけたのです。
男は怒りの形相でレジの方をにらみました。そこには防犯用のカラーボールを振りかぶっているハチがいました。




