6月10日 午前10時 ラ・ケーヌ村(ドイツ西部戦車集団司令部)
「私は、どうしてここにいるのだろうな」
ガイルの放心したような呟きを聞いて、参謀長・ダヴァンス少将は驚愕した。良かれ悪しかれ確信にあふれた、昨日までの司令官はどこへ行ってしまったのか。
「尊敬すべき人たちが、私を勇気づけた。私の言うべきことを教えてくれた。私がやらなければ、彼らは別の人物に、私と同じことをやらせたろう。そして今、私はひとりだ」
多くの高官、なかんずくOKWのヨードル作戦部長やヴァーリモント作戦課長は、ガイルの見解を支持し、必要な権限を与えた。それはガイルの個人的見解ではない。ドイツ軍の公式見解であった。そして今、ガイルは失敗の責任をひとりで負わされる雲行きである。
「ロンメルなら、海岸にたどり着けたと思うか」
ダヴァンスはかぶりを振った。
「閣下は最善を尽くされました。誰にもあれ以上のことはできません」
ガイルがまだ何か言いつのろうとしたとき、急に入り口が騒がしくなった。
「ロンメル元帥閣下です!」
誰かが叫ぶ。とことん現場の好きなロンメルが、渋面のシュパイデルを振り切って視察に出てきたのである。ガイルの目に矜持の灯が点るのを見てダヴァンスは安堵する。
「大変だったな」
力強く両手を握って、ロンメルはガイルを慰める。
「誰にも、あれ以上のことはできるものではない」
若い幕僚たちは、感激をあらわにして見守っている。
「戦車予備を放出してくれるよう、西方軍と協議してOKWに上申しているところだ」
たぶん。シュパイデルがうまくやってくれているはずだ。
「やはり正しかったのは元帥でした。空軍と艦砲射撃のもとでは移動は困難です」
「いや、艦砲射撃については私も判断を誤った。もし私が正しければ」
ロンメルは魅力的に笑った。
「我々は今、海岸で会っているはずだ」
すっかり打ち解けた様子のふたりに、司令部が明るさを取り戻す。
「では、これで失礼する。バイエルラインを見舞いにゆきたいのでな」
例によって電撃的にロンメルが去った後、皆それぞれに会見の余韻を味わっているときであった。
「空襲!」
叫び声と、航空機の爆音と、機銃掃射がほぼ同時であった。やや遅れて航空機用ロケット弾が次々に浴びせられる。連合軍はエニグマ暗号解読によって、新司令部の位置を報告する電文を入手して、天候回復を待って早速攻撃をかけてきたのである。トレーラーの背中がざっくりと口を開けて炎を吹き出す。木箱が爆風にあおられ、中の書類がひらひらと散らばる。
嵐が去っても、動く者はいない。通信機材と移動手段はすっかり失われてしまった。フランスの初夏の田園風景の中で、司令部は孤独である。
「不公平なものだ。爆撃を避ける運すら、ロンメルにはかなわないのか……ダヴァンス、ダヴァンス」
ガイルは力なくうつぶせに横たわりながら参謀長を呼ぶ。もはや答えることのできなくなった参謀長を。




