6月9日 正午 ルマン市(ドイツ第7軍司令部)
第7軍参謀長・ペムゼル少将は、第7軍管区全域から引き抜いたノルマンディーへの増援の状況を把握する果てしない戦いから、一旦撤退することにした。テーブルの上の作戦地図は、訂正をちらほら含んだ雑多な書き込みに占められている。ペムゼルは情報参謀に作戦地図の管理を委ねた。
「報告を受けたらまず別の紙に書いて置いてな」
ペムゼルは重要な戦訓を伝える。
「5時間経って、それまでに矛盾した報告がなければ、地図に書き込むんだ」
第7軍司令官・ドルマン大将のもとへペムゼルが現れたのは、それから間もなくのことである。
「第7軍での机上演習の結果を、ガイル大将閣下に伝えますか」
「要らんだろう」
ドルマンはそっけない。
「要点は西方軍に報告したし、今からでは吟味する暇はあるまい。まあ掛け給え」
ドルマンは椅子を勧める。
「ここだけの話だが……ガイルは職務を全うできるだろうか」
ペムゼルが返答に窮している間に、ドルマンはひとりで続けた。
「彼は長いことこの戦域にいる。彼は権限と責任を長いこと欲してきた。ちょうど彼がいま持っているような類のものだ。しかしそのときの準備を、誰がしてきたかね」
私は椅子です、といわんばかりの無表情を決め込むペムゼルに、ドルマンは初めて苦笑を漏らす。
「わしはロンメル元帥の考えを知っている。理解するのに長いことかかったがな」
ドルマンがにやりとしたので、ペムゼルも釣り込まれた。海岸防衛への取り組みを巡って、ロンメルはドルマンの理解と協力を取り付けるため、何度もノルマンディーまで足を運んだのだ。ロンメルの主張は大胆で破天荒であったし、老境のドルマンは飲み込みの早い生徒ではなかった。
「わしはガイルがロンメルは間違っていると言ったのを知っている。ではガイルはどうすべきだと言ったのか。わしは知らん。わしが知らんくらいだから、最近やってきた師団の者はみな知らん」
バイエルライン、マイヤーらのことを言っているのである。
「ロンメルの言いそうなことならわしにも言える。現在地から海岸へ向かって前進!」
ペムゼルはドルマンの頬が紅潮しているのに気づいた。血圧が上がっているのではないか。こんなドルマンは珍しい。
「正しいか正しくないかを言っているのではないぞ。方針はひとつでなければならん、ということだ。こういう混乱の時期にはな」
さっきまで悩まされていた作戦地図を思い浮かべて、ペムゼルは思わず頷いてしまった。しょっちゅう連絡が途絶して、いろいろなレベルの個人が自分の判断を強いられるのだ。
ドルマンが急に押し黙ったので、ペムゼルはその顔を見た。重圧と苦悩の影がどす黒くドルマンの顔を染めている。連合軍が彼の海岸に上陸したと言うのに、その対策が彼の頭の上で揺れ動いているのである。
「閣下、よくお休みになっていますか。体力を保つことも軍人の職務です」
ペムゼルはドルマンをあやすように言った。




