6月8日 午後9時 サン・マルティン・ド・バレヴィル村
夜になっても、アメリカ第4歩兵師団司令部の周囲は忙しく往来があった。ようやく確保した地域が広がってきたので、重装備の揚陸が始まったのである。その往来をぬって、杖をついた老人が師団司令部のテントへと一直線に歩いてくる。奇妙なことだが、軍服のはっきりしない薄暮の中でも、周囲の兵士たちは誰何の声をかけようとしない。上陸初日にユタ・ビーチを歩き回ったこの老人の姿は、すべての兵士の脳裏に焼き付いていたのである。
「やあ、セディ。ちょうど良かった」
師団長・バートン少将に迎えられた老人の名は、セオドア・ルーズベルトという。別に日露戦争当時のアメリカ大統領の魂が現世に蘇ったわけではない。同姓同名、しかし実際に親戚ではある、第4師団の師団長補であった。師団司令部に来客があるらしい。
「元気かい。報道班の連中が、君の話を聞きたがっていたぞ」
第7軍団長・コリンズ中将は快活に握手の手を差し出した。
「次の大統領選で誰に投票するか、知りたいんでしょう」
ルーズベルト准将は、ホワイトハウスにいる親戚とは違って、共和党員である。
「ユタ・ビーチには第4師団、第9師団が上陸を完了した」
そしてコリンズの軍団司令部も海を渡ってきた。
「明日には第90師団がやってくる。面倒を見てやってくれ」
コリンズの言葉に全員が声を立てずに笑う。第90歩兵師団は、実戦経験が不足しているのだ。アメリカ軍の人的資源は比較的潤沢であったが、経験を積んだ中級指揮官の層の厚さはドイツに及ぶべくもなく、それらに率いられた新兵は実力を発揮することが出来なかった。
「気になることがあるのですが」
「オマハ・ビーチのことか」
ルーズベルトの台詞をコリンズが先取りする。
「ゴールド・ビーチの西の端をアメリカ軍が受け持つことになった」
戦線をつなぐ努力はされるらしい。アメリカ軍の勘定で。
「ジーは留任だ」
「それはよかった」
ルーズベルトは静かに喜びを口にする。オマハ・ビーチを担当したジェロウ中将は更迭される危険があった。
「ところで、オマハ・ビーチの夜はもう少し騒がしいと聞いていたぞ」
バートンが苦笑する。
「強力なSS師団が、今し方次々に戦線を離れたと報告を受けています。大規模な攻勢の準備でしょう」
入れ違いになって、バートンの報告がコリンズの目にまだ触れていないらしい。
「それでは、私は司令部に戻った方がよいようだな」
コリンズは笑顔で挨拶を交わすと、軍団司令部に戻って行く。
「何の御用だったんです」
ルーズベルトが尋ねると、バートンはいたずらっぽく笑った。
「さあね。やっこさんはあんたの話しかしなかったし、あんたの方ばかり見ていたぞ」
「はあ?」
「昇進するということだと思うな」
バートンはズバリと言った。
「57才にもなって、昇進ですか。名誉除隊じゃないでしょうな」
ルーズベルトは照れ笑いした。




