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狐の住む岸辺  作者: マイソフ
第8章 ガイル
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6月8日 午前9時半 バリ


 西方戦車集団司令官・ガイル=フォン=シュベッペンブルク大将は、決して空理空論の徒と言うわけではなかった。むしろ彼の主張する作戦は、ドイツ軍の長い経験に裏打ちされた正統のものであった。戦車部隊を海岸近くに押し出して移動の自由を奪うロンメル元帥の主張は、1939年以来ドイツ戦車部隊がかち取ったすべての成果を否定するようなものだったのである。


 いま彼は、その自分の主張を試す機会を与えられたところであった。ノルマンディーに展開するすべての戦車部隊は彼の指揮下に入る。戦車部隊は独自の機動の自由を与えられ、統一的な指揮を受けて集中運用されるのだ。


 にわか仕立ての自動車キャラバンが、彼の司令部の機材と人員を一杯に積んで、まさにパリを出発しようとしていた。ガイルは名残惜しげにパリの風景を目に焼き付ける。その顔立ちは武人としては柔和といえるほどである。


 感傷に浸るガイルの心情に、無粋なクラクションが割り込んだ。むっとして振り向いたガイルの顔は、無表情に凍り付いた。なぜ彼がパリにいる。いや別に不思議なことではなかった。パリの会議はしょっちゅうあるのだ。


「どうやら間に合った」


 自動車を下りたロンメルは何の屈託も見せず、論敵と笑顔で握手した。


「都合出来る限りのものは都合するが、あまり期待しないでくれ」


 ガイルは一部のエリート部隊(つまり戦車部隊)を指揮するに過ぎないから、周囲のロンメル指揮下の部隊になにくれとなく支援を仰がねばならない。ロンメルはそのことを言っている。聞きようによっては失礼な物言いである。


「司令部が決まったら、知らせてくれ」


 ガイルが反撃の機会をつかめないまま、ロンメルは疾風のように次の用務先へ向かおうとしていた。


「会議ですか」


「クランケがパリに戻ってきたのでな」


 ロンメルはかっきり2秒間、2度目の握手をすると、自分の乗用車に戻って行った。


----


 海軍西方部隊司令官・クランケ海軍大将は、大戦初期に小型戦艦シェーア号艦長として通商破壊で名を成した人物である。フランスのドイツ海軍はすべて彼の指揮下にあるわけだが、いま彼のもとにあるのは、ずたずたになったUボート部隊、数十隻の魚雷艇と数隻の小型駆逐艦、いくらかの砲台と砲兵、訓練中の海軍兵士、そして数百台の輸送用トラックといった、昔海軍であったものの雑多な残り屑であった。


 長年交易の途絶えたドイツではコーヒー・紅茶が払底して、ロンメルとクランケの前に供されているのはミルクである。


「最近は浮上中のUボートが空から爆雷を落とされるケースが増えましてね」


 クランケの口調は淡々としている。対策は打ち尽くした、という風情である。


「ビスケー湾ももう安全ではないのです」


 ビスケー湾とは、要するにフランスの大西洋沿岸のことである。


 当時の潜水艦は、水上を航行すれば水中の倍のスピードが出るし、換気のためにも夜間は浮上することが多かった。連合軍は旧式爆撃機を盛んに投入して浮上中のUボートをつけねらい、直接護衛の充実と相まってその封じ込めに成功しつつあった。


 なごやかな雰囲気は議論が本題に入っても維持されたが、議論はそれに先立つ雑談と同じように何の成果も生まなかった。ロンメルは訓練中の海軍水兵も、自動車も、なにひとつ分捕ることは出来なかったのである。フランスのドイツ海軍基地はどれもみな健在であり、健在であるうちはその当然の付属物を陸軍には渡せない。クランケの言い分はこうであった。


「ラング、私はときどき思うのだが」


 帰りがけの車内で、ロンメルは運転席の副官に話しかけた。


「連合軍では陸海空の協力をどう取り付けているんだろう」


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