6月7日 午後3時 カーン市(ドイツ第21戦車師団司令部)
ソード・ビーチでの勝利の立て役者、第21戦車師団では、間に合わせの鉄十字を描いた緑色の新戦力が加わっていた。イギリス軍が海岸に残して行った、20台のアメリカ製戦車を分捕ったのである。しかしそれでも、師団長・フォイヒティンガー少将は浮かぬ顔であった。
「戦車と自走砲合わせて57両を喪失!? 我々は勝ったのではなかったのか」
むっつりと黙り込む戦車連隊長・オッペルン=ブロニコウスキー大佐。師団の作戦主任参謀が代わって事情を説明する。57両の喪失のうち、戦闘で失われたのは25両であった。全体に旧式車両が多い上、身をさらして開けた海岸へ突撃したのだからこれは致し方ない。問題はそれ以外の喪失であった。エンジンや駆動系が戦闘機動に耐えられず永久的にエンコしたのが14両。一時的なエンコや燃料切れで海岸近くに立ち往生した所を、早朝の爆撃で据え物斬りにされたのが8両。帳簿には載っていたが最初から出撃不能な状態であったのが7両。そして残る3両は……
「砲弾の在庫が払底いたしました。1940年のフランス降伏以来、この型の砲弾は生産されておりませんので、牽引車または回収車に転用するほかはありません」
フォイヒティンガーは渋々報告を承認した。
「フランス製、ドイツ製、チェコ製、イギリス製、ロシア製、今度はアメリカ製か」
今回戦闘以外で喪失したのは、ほとんどが1940年に接収したフランス製の戦車か、それにドイツ製-でなければロシア製-の砲を載せた車両であった。
「再び攻勢に出られるまでに、どれほどかかると思うか」
オッペルン=ブロニコウスキーは師団長の質問を受けて、答えた。
「燃料が補給され次第、すぐです」
深刻な問題であった。連合国空軍が徹底的に交通遮断に出てきているため、補給が届かないのである。オッペルン=ブロニコウスキーは、思い切った提案をした。
「第716歩兵師団から、燃料を分けてもらうことは出来ませんか」
フォイヒティンガーは、その一言で10年老け込んだ、という表情で、ゆっくりうなずいた。
「マルクス中将に提案してみよう」
まず無理だな、という無言のコンセンサスが座中に広がった。




