6月7日 午後1時 ダウニング街10番地、ロンドン(イギリス首相官邸)
イギリス首相、ウィンストン・チャーチルは、いくつかの数字を示した書類を照合していた。
ひとつは、イギリス軍の兵員及び士官の補充余力を示したものである。太平洋の損害はアメリカ軍に引き受けてもらうとして、とチャーチルは考える。ヨーロッパの戦争が来年まで長引けば、速成教育の士官の比率が危険なまでに高くなる。人口の少ないイギリス本国に取って、この戦争はもはや限界であった。一般兵士の状況もそれに比べてそれほど良いわけではない。少年や老人に銃を持たせようとしているドイツと違って、イギリスは勝っているのである。あまり極端な動員も出来かねる。
もうひとつは、昨日の戦闘記録である。チャーチルは統計学者ではなかったが、イギリス軍の上陸地点への空軍の出動が多かったのは彼の目にも歴然としている。アメリカ軍はへそを曲げるかも知れない。
チャーチルは後者の問題を、昨日からずっと考え続けていた。誰かイギリスの高官がお膳立てをしたはずだ。誰なのか見当はつくのだが、どう処理したものか。
机の上の電話が鳴った。SHAEF副司令官、イギリス軍のテッダー空軍大将が面会を求めていると言う。チャーチルはすぐ応じた。いま呼ぼうと思っていたところである。
「モントゴメリーとリー=マロリーの共謀か、あれは」
テッダーは、空軍の地上支援がイギリス・カナダ軍担当のゴールド/ジュノー・ビーチに集中した経緯を詳しく報告した。
「誰かが責任を取るべきだと思います」
テッダーは、モントゴメリーとリー=マロリーの一方または両方を罷免すべきだと示唆した。
「それはできん。イギリスの国益は、誰かが守らねばならん」
「しかし、アイゼンハワー大将が罷免権を行使することになれば、外交上最悪の事態ではないのですか」
2人のいずれとも仲の悪いテッダーは食い下がる。アイゼンハワーが内心でモントゴメリーを嫌っていることもテッダーは知っている。
アイゼンハワーの出自はそれほどエリートと言うわけではないが、士官学校で人望を集めるにつれ、将に将たるエリートの資質を磨いている。イギリスの貴族社会で成り上がってきた、人を押し退けるタイプのモントゴメリーとはどうしても肌が合わない。そして会うたびに、アイゼンハワーが一方的に損をするのである。
「テッダー君、次の選挙で保守党から出馬する意志があるなら、私が口添えするよ」
チャーチルはテッダーの政治への口出しをたしなめて、続けた。
「アイゼンハワーは私の承諾なしに罷免などはしない」
「どうしてそうお考えになるのです」
「私が、気に入らないイギリス軍の幕僚は罷免して良い、とあらかじめ言っておいたからだ」
テッダーは目を白黒させた。チャーチルの言っていることが分からない。
「つまり私は、アメリカとイギリスの宥和を図る責任をやっこさんに押しつけたのだよ」
アイゼンハワーの気質を逆手に取るチャーチルの手並み、というより手口には、テッダーは呆然とするしかない。チャーチルはぶつぶつと言った。
「私はグレート・ブリテンのために、スターリンと握手した。君は」
チャーチルはテッダーを見る。
「グレート・ブリテンのために、モントゴメリーを我慢しろ」




