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狐の住む岸辺  作者: マイソフ
第5章 日没、あるいはソード・ビーチ
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第1章~第5章への解説

 1995年に書いた小説に2000年につけたヒストリカルノートが、今日から見るとかなり古くなってしまっています。


 多くの登場人物には実在のモデルが居ますが、この小説はフィクションであり、架空の状況における架空の行動を記述したものです。


 市、町、村といった地名への接尾語は、筆者がイメージをつかみやすくするため加えたもので、実際のフランスの行政区分とは一致しません。


「実在の人物の階級はいろいろな書物でまちまちに伝えられており、1944年6月当時として比較的妥当に思えるものを選んでいます」と当時書いたのは、当時は日本語のネタ本に頼るところが強かったのです。えーと誰のことだっけと読み返すとヨードルの階級が間違っていますね。1944年1月から上級大将です。直しました。


 ドイツ国防軍には准将の階級はありませんが、SS(武装親衛隊)にだけはあります。


 この作品は、1994年にNifty-SERVEのSFフォーラムで行われた企画をもとに、マイソフが独自に執筆したものです。この企画は1944年6月のDデイを題材とした架空戦記をみんなで作ろうというもので、当時すでに仮想戦記作家であった人がふたり、後に架空戦記作家になった人が少なくともふたり参加していました。


 しかし、まとまりませんでした。


 マイソフが他の参加者と違っていたのは、史実を厳密に踏まえようとした点と、「ドイツらしさ」を強調した点でした。他の参加者は、例えばエニグマ暗号が解読されていることをドイツが気づいたことにしようとか、国防軍情報部の二重スパイが露見したことにしようとか、ドイツ軍に柔軟な対応を求める提案をしました。私は、状況の変化を認識して柔軟に対応することは、そもそもドイツらしくない、と主張しました。


 一方、特定の兵器が量産されることで戦局が変わったことにしよう、という意見にも、マイソフは強硬に反対しました。当時私がデータ登録時に自分でつけた紹介文の一節は、当時の私の考えを端的に示しています。


「史実を正しく理解していると言うだけでは、エンターテイメントとして既存の架空戦記に対案を提示したことにはならないでしょう。この作品では、現在歴史小説の確保している市場に食い込むことをもくろみ、兵器の固有名詞に頼らず、人と組織を描くことを主眼に置いています」


 作品全体に、やや説明調の部分が見られますが、これは電子会議室での議論を蒸し返しているためです。


 この作品で史実と異なっている点は、第12SS戦車師団と戦車教導師団がより海岸に近い位置に布陣していることです。これに伴って、いくつかの小規模な部隊(例えば第6空挺連隊)も少しずつ位置を変えています。また、ロンメルがベルリンに帰っていません。


 この作品はピーター・ツォラウスの「Dデイの惨劇」(大日本絵画)の邦訳が出版される半年前に執筆を開始したものです。「Dデイの惨劇」ではまったく同じと言って良い配置を採用していますが、これはロンメルのアドバイザーであったルーゲ海軍中将(当時)の「ノルマンディのロンメル」(朝日ソノラマ文庫)に紹介されているロンメル自身の献策です。


 執筆に当たっては、フランス国土地理院が発行した現代の地図を参照しました。


 シュパイデルは博士であったことは確かですが、学位は軍事史で取っていて、教授資格にうるさいドイツで戦後、現代史の講義にゲストスピーカーとして呼ばれたことが履歴で取り上げられることがあります。


 あとで知ったことですが、降下中のパラシュートは高速で落下してくるので、銃弾はほとんど当たりません。


 この作品では、あまり戦史に詳しくない読者を想定して、降下猟兵(ドイツ軍の空挺兵)、装甲擲弾兵(ドイツで、自動車やハーフトラックを与えられ、戦車と共に行動する歩兵)といった定訳を用いませんでした。単に空挺兵、歩兵などと記しています。


 シュパイデルの回想録は「戦力なき戦い」という邦題で、昭和20年代に出版されています。これにはドルマン大将の健康が思わしくなかったと記されています。


 ところがずっと後になって、アーヴィングという(悪名高い)作家()がドルマンの参謀長をしていたペムゼル少将の証言を引き出し、心臓発作とされていたドルマンの死が、実は戦況悪化の責任を問われたことを苦にしての自殺であったことを明らかにしました(『狐の足跡』早川書房)。シュパイデルは真相を知っていたのか、報告をうのみにしていたのか、今となっては分かりません。ですから、ドルマンが健康上の問題を本当に抱えていたのかも、今では判断が難しくなっています。


 ノルマンディーにケーニッヒティーゲル重戦車はいたのか? 本によってその答えは違っています。この作品では、いてもいなくても戦況は変わらなかったでしょうから、いたことにしています。多分いなかったと思いますが。


 いままさに『士官稼業』で取り上げつつありますが、シュライヒャーはヒトラーの前の前の首相で、その後任のパーペンと共に、共産党と右翼政党の勢力が伸び過ぎた国会で安定多数が確保できず、ヒンデンブルグ大統領の大統領令を使って政治を行いました。1934年に親衛隊に暗殺されています。あっしまった『士官稼業』第14話のネタバレをしてしまったぞ(棒読み)。


 第2章の最後で学生が思い付いた質問の答えは、史実そのものです。上陸初日の第21戦車師団は、ほとんど何も出来ませんでした。


 第21戦車師団の戦車連隊からは、実際には(上陸作戦の直前にどうにか)フランス製戦車がドイツ製戦車で置き換えられていたようです。フランス製車体の自走砲はかなり残っていたようですが。執筆からずっと後になって、この点はシュピールベルガー「捕獲戦車」(大日本絵画)で明らかになりました。


 第30歩兵旅団は、史実ではたびたび移動命令を受けて混乱した挙げ句、もともと位置していた地点の近くで敵と出会い、簡単に撃破されました。当時のドイツ歩兵師団では、自転車に乗って移動する1個中隊が偵察任務を引き受けることが通例で、この旅団はそのための訓練/補充部隊という性格を持っていたようです。


 第91(空輸)歩兵師団のファライ師団長は、史実では自動車で移動中にアメリカ空挺兵と鉢合わせして戦死しました。


 最近のイギリス軍情報部関係者の回想録によると、ドイツ陸軍の(モールス信号による)エニグマ通信は、一時期の北アフリカ以外ではほとんど解読されていませんでした。ローカルに色々な解読用ディスクが使われるので、解読作業の効率が悪いからです。代わりに、高級司令部間で使われる、テレタイプによるエニグマ通信が集中的に解読されました。従って、高級司令部の報告書に反映されたとき、部隊の移動ははじめて認識されることになります。


 執筆当時は知らなかったのですが、ネーベルベルファーは開発当初は毒ガス兵器であったようです。日本陸軍の重迫撃砲同様、毒ガスを撃ち合う展開にならないことがはっきりすると、火薬や焼夷弾を詰めた弾丸が用意され、支援火力部隊として再編・増設されました。


 あらためて読み返して感じるのは、現在の私と「ヨードル観」がまったく違うことですね。これは追々、『士官稼業』や同人本で展開していくつもりです。当時のヨードルはヒトラーと1942年に衝突した後、関係が修復できないままでした。


 そうそう。当時知らなかったことがもうひとつありました。フォイヒティンガーの当時と、その後と、戦後の数々の不始末です。最終的には戦後にソヴィエトに弱みを握られてスパイにされて発覚して、遡っていろいろバレてしまったのですが、この作品ではちょっと官僚っぽいだけの軍人にされています。

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