6月6日 午前8時 バイユー市
装甲教導師団長・バイエルライン中将は、落ちついているふりをするのに疲れ始めていた。海岸の障害物製作を支援していた工兵大隊からは午前6時半に伝令が来たきり音沙汰がない。早々に戦車連隊と歩兵連隊をゴールド・ビーチ支援にやったものの、こちらからもほとんど連絡が入ってこない。第716歩兵師団からの連絡に至っては言わずもがなであった。
オマハ・ビーチ後方の偵察大隊もトラブルに巻き込まれた様子である。ロンメルが事前にしつこく指示していた通り、上陸の報を受けてすぐに戦車部隊は海岸を指して出撃したが、ユタ・ビーチと違ってこの戦区には空挺降下がなかったので、夜明け以降の出撃となってしまった。圧倒的な密度の航空攻撃の中で、戦車部隊が無事に前進しているか、はなはだ心許なかった。
前線に行きたい衝動を、バイエルラインは懸命に抑えた。アフリカ軍団の参謀長として北アフリカにいた頃、ロンメルがちょくちょく最前線で行方不明になってどんなに困ったことか。ロンメルが病気でアフリカを離れた後、後任のトーマ中将はロンメルのまねをした訳でもなかろうが、前線でイギリス軍の捕虜になってしまい、バイエルラインがその代理として数週間の退却を指揮する羽目になったのであった。




