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狐の住む岸辺  作者: マイソフ
第13章 クロス・カウンター
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第10章~第13章への解説


 ロンメルは北アフリカで空挺旅団を放置して撤退しました。おそらく実際には、ロンメルはデア=ハイテの第6空挺(降下猟兵)連隊の運命に大きな関心は払わなかったでしょう。


 ホーンブロワー少佐とバンドのエピソードは、映画「グレン・ミラー物語」を下敷きにしています。


 イギリスがこの当時、ロンメル暗殺計画を持っていたという話は、信じて良いのか悪いのか判断がつきません。


 パットンはエニグマを解読したいわゆるウルトラ情報を知らされていませんでした。本文ではアーヴィングの「将軍たちの戦い」(早川書房)に従って、パットンは舌禍事件が多かったのでウルトラ情報を知らされていない、と説明しています。


 しかしあとでウインターボーサムの「ウルトラ・シークレット」(早川書房)を読んでみると、どうも実相はそれと違ったのではないかと思われます。イギリス軍情報部は、誰にどのウルトラ情報を知らせるか、常に自分で判断していました。他の将軍がそれを判断することはありません。


 ウインターボーサムによれば、ウルトラ情報を明かされる人物は、捕虜になりかねないような危ないところには行かない、という誓約を要求されました。パットンはこれを拒んだのではないかと、私は想像しています。


 ロンメルが本文のように暗殺計画に深入りしていた可能性は、じつのところ、あまり高くないでしょう。暗殺計画そのものに関わるメンバーと、それに事後的な協力を表明したメンバーは、峻別されていたようです。


 7月20日の史実における暗殺未遂事件は、このグループが計画した爆破のうち4回目のものであったとされています。その前の7月11日の機会に、計画が実行に移されたと想定しています。このとき、会議はラステンブルクでなくベルグホーフで行われました。


 フェルギーベルは史実の7月20日にも同様にシュタウフェンベルクを助けましたが、このために荷担が露見して処刑されました。


 ディートリッヒはいくらなんでも、本文ほど聡明な人物ではなかったと思います。ただああいう役回りの人がいないと、小説の構成上困りますのでご了承ください。


 当時はWikipediaもなく、中央の司令部の相互関係がよくわかりませんでした。ブロンベルク国防大臣が1938年に失脚し、カイテル「幕僚総監」が国防大臣としての職務を引き継ぎ、国防軍総司令官は空席とされました。国防省はそのままOKWとなり、戦時になるとヴェントナー街の広い区画を占めるOKWの一部が「予備軍司令部」に変わりました。ですからフロムの司令部はOKWの一角にあったわけです。OKHは陸軍参謀本部が戦時に名前を変えたものですが、一部はベルリンから少し離れたツォッセン市の通信基地近くに陣取り、残りはヒトラーが移動するたびに専用列車などを使ってついていきました。ただし補給物資を割り振りする補給総監部(平時の陸軍参謀本部補給課)と、鉄道輸送を管理する輸送総監部(平時の陸軍参謀本部鉄道課)は、それぞれ独立した本部を構えました。これらと整合するように、ちょっと記述を変えました。


 グデーリアンが『電撃戦』に書いているように、ハルダーの下でOKH組織課長を長く務め、ヒトラーが陸軍総司令官を兼任したときカイテルの直属に移ったヴァルター・ブーレ歩兵大将がツァイツラーの代わりに参謀総長事務取扱となる予定でしたが、7月20日の暗殺事件で負傷したため、7月20日付でグデーリアンが参謀総長事務取扱になりました。

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