7月11日 午後9時 マーリニー村(サン=ロー市西10キロ)
夜になった。パットンはわずかの護衛を連れて、進撃の先頭に立っていた。
全般的には勝っているようだが、局地的にはドイツ戦車に進撃の代償を払わされている。部分的な進撃と退却が数限りなく繰り返されて、戦線は混沌としていた。
明日は新手の1個戦車師団でサン=ロー市を攻略する予定であった。
「いったん戻らねえといけねえな。ここで夜を明かすのは危険すぎる」
パットンが後退を命じたその時であった。同じく後退してきたドイツの歩兵部隊と、鉢合わせしてしまったのである。すでに日はとっぷりと暮れている。
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周囲は甲高い銃声に満たされる。いや、戦闘の大部分はほとんど音を立てずに、銃剣やスコップや銃の台尻で行われていた。互いに、見通しの聞かない地形で長時間戦って、近距離で猛威を振るう短機関銃が弾切れになっている。
パットンは、誰かに組み付かれるのを感じた。激しい殴りあいになる。パットンは口では元気なことを言うが、なにしろ59才である。1発殴るあいだに2発殴られ、ついに組み敷かれてしまった。
首を締められて意識が遠くなる。終わりか。これで終わりか。畜生。パットンは生涯に習い覚えた悪罵の中から、最も冒涜的なものを並べ立てようとしたが、声を出すことが出来なかった。
出し抜けに首が楽になった。ああついに死んじまったのか。
「将軍! 将軍!」
さっきまで一緒だった副官が怒鳴る。パットンが目を開けるとそこはまだ現世で、さっきまでの格闘相手が倒れていた。副官はジープからはずしたらしいスパナを握りしめている。
「ベルトの下を打ったな」
パットンは恐怖を押さえて笑顔を作った。どうやら白兵戦は全般にアメリカ側有利で、ドイツ側はリングアウトしつつある。
パットンは、自分の対戦相手をしげしげと見た。
「なんだ、これは」
肩章を覆う軍服色の共布をはぎとってみると、将官の房飾りがあるではないか。パットンは笑いだしてしまった。
「将軍が将軍と殴りあっただと」
そのドイツの将軍が、小さくうめき声を上げた。
「お前さん、名は何という」
「マイヤー。クルト・マイヤーだ」
パットンは口笛を吹いた。
「お会いできて光栄だ。パットン。ジョージ・パットン。わかるか」
「高名な将軍にお会いできてうれしい」
パットンの差し出す手を、マイヤーは握った。
「将軍!」
副官が叫ぶ。
「どの将軍だ? ふたりいるんだ」
パットンの上機嫌も、ここまでであった。
「停戦命令です! ドイツとSHAEFが、和平交渉に入りました」
マイヤーは英語がそれほど得意ではなかったので、パットンの口からあふれ出る噴流のような言葉をほとんど理解できなかった。やがてパットンは悲しそうに、マイヤーに尋ねた。
「停戦だ。どうやらベルリンには乗合バスで行かなきゃならんらしい」
パットンは真剣にマイヤーの顔をのぞき込んだ。
「誰かお前さんの知り合いで、俺と一緒にモスクワへ乗り込もうって奴は、いないか。もちろん戦車でだぞ」
マイヤーは笑って、首を横に振った。
「戦車はもう……ごめんだ」




