7月11日 午後4時 ロシュ・ド・ギヨン(ドイツB軍集団司令部)
ラジオを傍受したパリでは混乱が起こった。ヒトラーが生存しているのではないかと言う疑念がにわかに広まって、反乱の深間にはまりこんでいない部隊が逡巡を始めたのである。
「至急ロンメル元帥にパリにお出かけ願い、ラジオで将兵に呼びかけて頂きたい」
ブルーメントリット参謀長は、B軍集団司令部に電話で懇請した。
ロンメルは、ディートリッヒを伴って、直ちに出発することにした。最初は護衛なしで出発し、道半ばでパリから急行したシュツルプナーゲル軍政長官の保安大隊が護衛につく。シュパイデルは丸腰での出発に反対したが、ロンメルは一笑に付した。
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「あれは?」
「ロンメルよ」
パリへと続く田舎道で、シモーヌは断定した。何の変哲もない軍用車だが、赤と白の二重縁取りのついたチェッカー柄の旗をつけている。あの旗をつけている車は、ドイツ国境のこちら側では3台しかない。軍集団司令官の乗車を示すのである。
突入計画はおじゃんだ。もしパリに行かれたら、厳重な護衛がつくに違いない。アンドレは一瞬で決断した。
「行くぞ」
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イギリス製の短機関銃がうなりを立てる。先導するサイドカーの士官が体を折ってころがり落ちる。ロンメルの乗用車は急停車すると思いきり後進をかける。後衛のサイドカーは車載の軽機関銃を射つ余裕があった。2人のレジスタンスが倒れる。しかしシモーヌの狙撃で、機関銃手とドライバーはあえなく絶命する。主のいないサイドカーはレジスタンスめがけて突っ込んで行く。
SSの将官は、レジスタンスの標的になりやすい。ディートリッヒは、たった4人ではあるが護衛の乗った乗用車を連れてきていた。2台のサイドカーは、4人が路肩に伏せる貴重な時間を稼いでくれた。サイドカーに気を取られた隙に、そのうちのひとりが手榴弾を投げた。ひとりが吹き飛ぶ。もうひとりは飛び出したところを一斉に射たれた。
静寂が、戻ってきた。
「女か」
ドイツ兵がシモーヌを蹴飛ばす。
「見慣れない銃だ」
ロンメルがシモーヌの持っていた短機関銃に手を伸ばしたときであった。
「元帥!」
繁みから立ち上がった大男がいる。誰かがロンメルを突き飛ばした。無秩序な銃声が響いて、やがて消える。
ロンメルは起きあがった。ふたりが新たに倒れている。アンドレと……
ディートリッヒ。
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「私は、こういう風にして、ヒトラーを何度も守ってきたのですよ」
「しゃべってはいけない」
ディートリッヒは短機関銃を腹に数発浴びていた。乗用車に載せて、マン市の病院に運ばれようとしている。
ディートリッヒは、ヒトラーが一介の遊説家であったころから、ヒトラーの個人的護衛を務めていた。無頼の親分であっただけに人情に通じている。
「元帥、聞いて下さい」
「もう静かにしなさい」
「いいや、あなたには政治が分からない」
ディートリッヒは澄んだ目をしていた。
「ラジオでは、ヒトラーを批判してはいけません。ヒトラーを継ぐと言いなさい。ヒトラーの真の意志はこうだと言うのです」
ロンメルはもう何も言わず、聞き入っている。
「あなたはこれからヒトラーの罪をすべて負わなければならない。あとひとつくらい嘘をついても、あまり違いはありませんよ。兵士はまだまだ、我が総統を崇拝しています」
ディートリッヒは息を継いだ。
「彼を引き回しなさい……彼に正義を与えるのです……」
意識が混濁しているらしく、主語がはっきりしない。耳を近づけていたロンメルは、やがて顔を上げた。
ディートリッヒの運転手が、目に涙をためている。
ロンメルは無言で、軍帽を脱いだ。
7月の夕陽は、まだまだ高い。




