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最終話 A


「死になさい!」


「やめてお姉ちゃん!!」



 ――リコエッタのその言葉で、アンジェの子供の頃の記憶がフラッシュバックした、してしまった。どうして今思い出したのか、それは彼女の良心によるものなのか。運命のいたずらだったのか。





 二人がまだ子供の時のことだ。


 アンジェとリコエッタは森の浅い茂みで、大文字で寝転んでいた。父には内緒で、城の近くの森まで来ていた。辺りは野花が咲き、あちこちをチョウチョが飛んでいる。暖かな風が吹いていた。


「ねぇ、リコエッタ?」

 アンジェが口を開いた。


「どうしたの、お姉ちゃん?」

「お母さんが死んでしまったけど、替わりに私があなたとお父さんを守る。嫌いな勉強もするし、稽古もたくさんする。それに私美人になるわ」

「えぇ、お姉ちゃんが?」


 二人はずっとくすくす笑っていた。


 その日二人は約束した。そう、約束したのだ。

 私が妹を守ると。それが私の始まりだった――





 リコエッタの体の寸分先で、ナイフが動かなくなる。


 一瞬の躊躇があって、アンジェはその手を止めた。

 

(ああ、あんまりではないだろうか……こんな時にそんなこと思い出さなくても良いだろうに)


「動くな!!」


 声が響いた。

 アンジェが声の方を振り向くと、屋根の頂上でシオンが弓を構えていた。


 彼は夜に照らされた月を背に、真っ直ぐに弓はアンジェを捉えていた。


 普通の人間なら、ここまで登れはしない。

 だが彼は勇者だ。


 数メートル離れた館の間を飛び移ることなど造作もない。


 でも、どうして――アンジェは自身が押さえつけていたリコエッタを見返す。

 彼女の胸元には普段つけない首飾りをしていることに気付く。


 埋め込まれた宝石が発光し、黄金色に輝いていた。

 自分の渡された首飾りとどこかデザインが似ている。


 アンジェにはそれがシオンからの贈り物だと直感で分かった。

 女の勘だった。


 そしてその首飾りがリコエッタの危機を知らせたのだと気付いた。

 そうでなければ、

 シオンがここに来た説明がつかない。


(そうよね……私に贈り物をしたんだから、リコエッタに何もあげないなんてことあるわけないものね……)


「そこから離れてください、アンジェ様。何もしなければ、あなたを撃つつもりはありません」


 アンジェはうつむく。

 自分の全身の力が抜けるのを感じた。


「あなたは本当に勇者様ね、お姫様の危機に颯爽と現れて…私の時は助けにきもしなかったくせに」

「この騒動もあなたがやったんですね、アンジェ様。どうしてこんなことを?」

「…あなたにはきっとわからないわ」

「アンジェ様……」

「もうやめてお姉ちゃん、あなたはそんな人じゃない」

 その言葉が引き金だった。


「……さっき言ったでしょう!もう何もかも遅いって!!」

 アンジェがナイフをリコエッタの首もとに向け突き刺した。首飾りが砕け散る音がする。


「リコエッタ!!!」


 その瞬間、シオンが弓を射る。

 矢がアンジェの腹部に命中した。


 矢は彼女をつきぬけ、血がドレスをにじませる。

 アンジェは腹部を押さえ、血液がリコエッタにかからないように彼女から離れた。


「……はぁはぁ」


 おぼつかない足取りで屋根の先端までアンジェは歩いた。シオンはリコエッタを心配し、彼女の元に駆け寄った。


(最後くらい、私の事を気にしてくれてもいいのに…)


 アンジェはシオンたちに振り向き、口を開いた。



「――二人とも幸せにね。愛していたわシオン、リコエッタ」



 アンジェは自身が愛する人達に思いを告げる。


 そして、屋上から飛び降りた。


 シオンは慌てて、アンジェのいた場所まで向かうも、もう彼女はそこにいない。


「アンジェ様!」


 シオンの声が虚しく響く。


 アンジェは重力に逆らわず地面に落ちていった。


(これでよかったのだ…最後にあの人の気持ちを独占できた。恋心ではないけれど、私はそれだけで十分だった。それに愛した人に殺されるなんて、こんな幸せなこときっとない……)


 アンジェは涙を流す。

 それは頬を伝わず、涙の粒が空中を舞う。


 水滴はとめどなくあふれ、やがて分裂し空に溶けていった。





「ゴホ!」


 屋根の上でリコエッタは息を吹き返す。


 彼女は起き上がると首飾りの破片が屋根の上にぱらぱらと落ちていく。

 首飾りが壊されただけだった。体に外傷はない。


「リコエッタ!」


 リコエッタを力強く抱きしめるシオン。

 その力が余りに強いものだからリコエッタは声を出してしまった。


「痛いよ、シオン…」

「生きてて本当によかった!」


 リコエッタの意識が覚醒する。

 どうやら、自分は気を失っていただけだったようだ。

 彼女は辺りを見て姉のアンジェがいないことに気付く。


「お姉ちゃんはどうなったの?」

 シオンは首を横に振って、それで彼女はすべてがわかった。


 きっとアンジェはシオンに自分を撃たせるために、自分を刺そうとする演技をしたのだ。リコエッタの瞳から涙があふれ、どうしようもなく悲しい気持ちになった。



 

 その日全てが終わりを迎えた。この国と多くの人たちに深い傷を与えたまま…





 ラングランド王国の王城、その最上階にある王の寝室。


 そこに皆が集まっていた。


 ベッドに横たわる王と兵士長を中心とした数人の騎士達。

 そしてリコエッタとシオンが王に寄り添う。


 王はあの事件で体調を崩し、ほとんどこの寝室から出ることはなくなった。

 痩せ細り、以前の彼からは想像もつかない容姿だ。


「王、あまり無理をなさらずに」

 何度も咳をする王を騎士団長が気遣い、声をかけた。


「大丈夫だ、今日は体調が良くてな」


 王は無理をしているようで、とても体調が良くは見えなかった。

 ただ、皆は彼に気を使い、気付かないフリをしていた。

 王はリコエッタを見て、笑顔を浮かべる。


「おお、顔を見せてくれ、ははリコエッタは今日も元気そうだな」

「はい、お父様…私とシオンはこれから教会の礼拝に向かいます。その姉さんの…」

「そうか、アンジェが死んでもう一月も経つのか。老体のワシではなく、アンジェが生き残るべきだったのにな」


 王は切ない顔をして、言葉を発した。


「王よ!そのようなことを言うべきではありません!」

 シオンはその言葉を否定する。まるで自分の親のことのように彼を心配していた。


「すまん、そうだな。それとシオン卿。娘とこの国を頼む」

「仰せのままに、王よ」


 お辞儀をし、シオンとリコエッタは王室を出た。

 皆が部屋から出て、王はただ一人、窓の外をぼーと眺めていた。





 教会の前、礼拝が行われている。


 何列にもオーク材の会衆席が並び、大勢の人間が座っていた。貴族のみならず多くの民衆も参加し、シオンとリコエッタ達も出席する。

 説教壇に立っていた司祭が告げた。


「それでは皆さん黙祷を」


 あの事件から一月が過ぎた。

 季節はもう冬になる。


 アンジェが亡くなった後、竜の血を飲んだものは暴動をやめた。


 竜の血を飲んだものはほとんど暴れ狂い死んでしまう。


 以前ならそうだった。


 だが、アンジェを失った彼らは、皆、糸が切れた人形のようになり、ただその場に立ち尽くしていた。不気味な光景だった。


 そして事件はあっけなく終わりを迎えたが、それだけではなかった。


 王は兵の一人に刺され、今も、体調を崩し、王政の一部はリコエッタに教えてもらいながらシオンが行っている。あの騒動で婚姻はもう少し先になりそうだった。


 町は大勢の人間が死に、竜の血を飲んだものは、呪いが移ることを恐れ皆、殺された。だが、一人たりとも抵抗するものはいなかった。


 そして事件の首謀者はスターチス令嬢によって行われたこととなった。


 ロイスは結局あの事件では見つからず、商人や呪術師たちが共々処刑されることになった。


 アンジェがやったことを…あの事件の真実を知るものはシオンとリコエッタの二人だけとなる。

 シオンは壇上の聖母像を見て、あの時のことを思い出していた。


 あの三人が絞首台にかけられた時のことを。


(神様、俺のやったことは本当に正しかったのでしょうか?)





 あの事件から数日後、捕らえられた首謀者達が処刑されることとなった。


 町の広場、そこには三つの絞首台がある。


 呪術師が絞首台にかけられ、後ろには商人やスターチスが順々に自分の番を待っていた。


 彼らを囲む民衆達。

 三人を罵倒し、石や手元のものを投げる。

 シオンは騎士団長とともに彼らが、逃げ出さないよう見張っていた。

 そんななか、スターチスは正気を失い、ただ茫然とその絞首台を見ている。


 商人はあきらめたようで、ただうなだれていた。

 

 呪術師の老婆だけは違った。


 辺りに罵声やのろいの言葉を浴びせていた。だが突如それがやみ、笑い声をあげる。


「今お告げがきた!竜はお怒りだ!竜の加護を失ったこの国に近いうちに大いなる災いが訪れる!!今に見ていろ!先に地獄で、貴様たちが来るのを待っているぞ!!!アーハハハ!!!」


 呪術師が絶叫し、皆恐れおののいた。

 その呪詛は呪術師が死ぬまで永遠と続き、彼女の笑い声だけがこだました。





 礼拝が終わりを迎え皆席を立っていた。

 教会にいるのは司祭を除き、リコエッタとシオンのみだった。


「行きましょう、シオン」

 隣を見るシオン。リコエッタは聖母のように微笑んだ。

「はい」


 シオンはそれにうなづく。


 シオンはアンジェのことを考えていた。


(アンジェ様、俺はあの時の君のことをどうしても思い出してしまう…この混迷の時代、俺はこれからどうすればいいのかわからないことばかりだ。でもせめて、今は彼女の笑顔を守ろう。生涯をかけて……)



 

 シオンとリコエッタは教会の扉を開けて外に出る。

 二人は手をつなぎ、冬の日差しの、その光の方へと歩いていった。






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