第一二話 クロスベイン公爵夫人が、城を訪れて
朝の城内は使用人たちがあわただしく働いていた。
ロイスは自分の上司である侍女調と長い廊下を歩くなか、
十字路で歩みをとめた侍女長にあわせてロイスも立ち止まる。
「あなたには少しの間、リコエッタ様、アンジェ様のお世話付きから客人の給仕をしてもらうわ」
それはあからさまな降格だった。
どうして突然そんなことを言うのか疑問に思い、ロイスは眉をひそめ聞き返す。
「申し訳ありません。理由をお聞きしてもよろしいでしょうか」
「アンジェ様たっての要望なのよ。今日の午後からお気に入りの吟遊詩人が滞在するから、彼の世話を貴方は任されたの。 まったくアンジェ様のわがままにも困ったものね」
侍女長はしかめ面で答えた。
(アンジェ様が?本当にそれだけなのだろうか)
ロイスはうつむく。ここ数日のアンジェは何か奇妙だと感じていた。毒は効果がないだけでなく、何かに吹っ切れたような、謎の自信めいたものを漂わせていた。
ロイスが、考えごとをしていると、その隣を、甲冑をきた複数の騎士が通り過ぎた。見ない顔だった。今朝は彼らのような人物を何人も見た。
「ありがとうございます……そういえば今日は城が慌しいですね」
「ああ、なんでも、兵士を連れてクロスベイン公爵夫人がお見えになっているのよ。息子のダン様がここのところ姿をけしてしまったから」
「クロスベイン公の…」
ロイスは先日ダンにぶつかったことを皆に黙っていた。
最後に見たのが自分ひとりでは、周りの人間何か関係があるのか怪しまれてしまう。それに、変に目立ちたくはなかった。
今はアンジェ暗殺のために色々動いているし、ダンの事を話したがために、姉のスターチスの関係が芋ずる式にばれでもしたら、一大事だ。
「私はこのまま厨房に向かうから、来客の方に失礼のないようにね」
「はい、かしこまりました」
侍女長は別れを告げ、さっさと十字路の奥に歩いていく。彼女を見送りながら、ロイスは窓辺からガラス越しに移る外の景色を眺めた。
秋の朝の心地のよい風と、雲ひとつない澄み渡るような快晴。全くの平和といっていい。
最近は、城内や町では竜を倒した熱も冷めてきて、最近は平和な日々が続いていた。
だが、そのあまりの平穏さが、ロイスを逆に不安にさせた。
まるでこれから起こることを予感していたかのように。
◇
会議の間には、詩人の歌声と、それにあわせた演奏が鳴り響いていた。
王と数人の家来、またアンジェ、リコエッタ、そしてその隣にはシオンが音楽に耳を傾けている。
歌の内容は、竜を討伐したシオンを褒め称えるもので、その優美な歌声に皆聞きほれている。
楽士たちが演奏が終え、吟遊詩人がぺこりとお辞儀をする。
「お上手でしたわ」
アンジェが褒めたたえ、王は惜しみない拍手をした。追従して皆もそれを行う。
「詩もよくできていたよ、特に勇者が竜を倒す場面は熱がこもっていた。私も熱中してしまったよ」
王はシオンをちらっとみて話しかけた。 吟遊詩人の一礼に、シオンは照れて頭をかく。
「とても素晴らしいかったです。ただ、自分の話をこういった形で聞くなんて、なんだかお恥ずかしい」
「はは、そうかそうか。それはそうと、今頃町は勇者の話で持ちきりであろうな」
ガハハと、笑い声がでそうな王だったが、町の話に切り替わると、すぐに神妙な面持ちに表情を変えた。先ほどとはずいぶん雰囲気が違い、まじめな調子で吟遊詩人に問うた。
「はい王様、竜が討伐されたことで、多くの人々が安心して生活できるようになりました。ですが……」
「ふむ……続けよ」
「竜の被害が甚大で、多くの農民たちは食い扶持に困っております。このままでは冬も越せないかもしれませんと、皆不安がっているのです。暴動が起きている地域もありました」
……暴動ね、アンジェは心の中でつぶやいた。
確かに、ここ最近使用人たちからも、調味料がないだとか、肉が不足しているとか食料の話でろくな話を聞かなかった。食事の量も明らかに、夏ごろと比べ、制限されている。竜を倒し浮かれているのもつかの間なのかもしれない。
今の季節は秋だが、もうすぐ冬が訪れる。
そうなると、備蓄しておく食糧のことを考えなければならず、農民達の食事はほとんど最低限のものになる。
酷い年では、何百もの農民が飢えて死んだという。
そして今年は、竜の被害により、そうなる可能性が濃厚だった。
「ああやって下々の者たちの話を聞いているの。王たちは彼らの意見を聞いて、政策を調整するのよ。あなたも領地を盛ったら出来るようにならなくちゃ」
アンジェが考えごとをしていると、隣からリコエッタとシオンの声が聞こえた。なにやら、耳打ちしているようだった。
「何、にやついているのよ、シオン」
「いや、リコエッタは物知りだね」
「はぁ?もう何言ってるの」
二人のやりとりをみて、アンジェはニコニコとした。ただし、目は全く笑っていない。
アンジェはその表情とは裏腹に、ぐちゃぐちゃに絵の具を塗ったキャンバスのように、内心は激しく揺れ動いていた。
すると突如、扉を開けて使用人が現れた。
「王、来客が……」
「何、今日はもう面会の予定はなかったと思うが」
王のもとにひざまずき、慌てた様子で言葉を続ける。
「クロスベイン公の婦人が直々にお見えに……ご子息のダン様の件で」
王は小さくため息をして眉間を押さえた。
「ご婦人自らいらっしゃったか。わかった通せ……芸はこれで終わりだ。お前たちも自室にもどりなさい」
(時間は思ったより、ないみたいね…)
使用人の話を聞いて、アンジェは死体が見つかるのも時間の問題かもしれないと考えた。 ダンの件も急がなければならない。
そろそろあの計画を実行しなければ。 そのためにも商人を呼びつけ準備を急がせなければならない。
アンジェは手元の扇子で顔を隠し、クロスベイン夫人と目を合わせないようにした。私の表情を見て、万が一彼女が何かに気付く可能性だってあり得ると考えたからだ。
アンジェはあの日、ベッドで一日中寝ていたことになっており、ダンを殺すだけの力も、体力もないことは、皆が納得していたし、そういう話をしてきた。それにダンの死体だってまだ見つかっていやしない。バレる可能性は限りなく低い。
だが、最後にダンが訪問しようとしたのはアンジェのもとだということは、皆知っていることだ。
色々とクロスベイン夫人からも根掘り葉掘り話を聞かれたし、そのたびに、ポーカーフェイスでのりきった。だが、犯人が見つからなければ、いよいよまた怪しまれる可能性は高い。
そしてふと、アンジェはシオンとリコエッタに視線を移す。
二人の恥ずかしそうに笑いあう姿が目に入る。
(必ず、あなたを手に入れるわシオン様。例え妹をこの手で殺めることになっても……絶対に貴方の心を手に入れる)
だが、アンジェは思想とは裏腹に、その胸は苦しくなる。
昔はリコエッタみたいに笑えたのだ。
アンジェはリコエッタに自分の姿を重ね、昔の自分を見ているような気になった。子供の頃の、まだ何も知らない無垢な少女だった自分の、その微笑。
無邪気さをなくした自分には到底出来るわけがなかった。どうしてこうなってしまったのか、だが、それもシオンを手に入れれば、全てがなんとかなる、そんな気さえした。
アンジェは一人でいる時よりも、ずっと深い孤独感に苛まれていた。




