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時間の問題

「リネット、貴女ずいぶんと愛されているのね。」


主であるキャサリンにしみじみといわれ、内心の動揺を表に出さないように気をつけながらリネットは頭を下げた。


最初に屋敷に招かれて以来、2日と明けずにリネットのもとにやってくるキースの姿は近衛の詰所を中心に噂になっているようだ。にこやかにリネットをエスコートしていくキースを一目みたいと望む令嬢たちも、近衛の詰所まで入ることはできない。しかし、同僚である近衛から主の耳に入ったようだ。


「いいことだわ。うさんくさい男だと思っていたけれど、リネットに目をつけるなんて、女性を見る目はあるわね。」


「うさんくさい…」


「そうよ。あの何か企んでいそうな笑顔。うさんくさいったら。」


今をときめく貴公子をさんざんに言うキャサリンに、侍女たちも苦笑いしている。


「まあでも、ロブウェルの一族の男たちは皆伴侶に一途だそうだから、その点の心配はないでしょうね。なにより、彼自身がリネットに夢中ようだもの。ねぇ、コレット。」


「そうでございますね。大変お熱いようでようございます。」


イダズラっぽく笑い、侍女に話を振るキャサリンに、返す言葉がない。侍女も笑顔で頷いている。恥ずかしすぎて切実にリネットはこの部屋から退散したかった。


「ほんとに。先週珍しくご機嫌伺いになどくるから、何かと思ったら、あんなのリネットを見に来ただけじゃない。おかしいったら。」


お菓子をつまみながら、キャサリンは鈴を転がすように笑う。


先日、キースが王女のご機嫌伺いと称して王女宮にやってきていた。リネットが着任してから、一度もキースがキャサリンを訪ねたことはなかったのだが、どうやら働くリネットを見に来たらしい。来客の場合は室内にも近衛がつく。


いつものように気配を消し、隙のないように立つリネットに、キースは優しく笑いかけた。一応キャサリンと話しはしていたが、話題の中心はリネットのことで、事あるごとにキースはリネットを見つめていたため、最後には呆れたキャサリンの「もうすぐ交代だから、そのまま2人でお帰りなさい」との言葉で追い出されたのだ。

そして今日も勤務が終わり次第、キースが迎えに来ることになっている。


「リネットもまんざらじゃないんじゃない?なんだかんだ拒絶しないものね。」


リネットの動揺をおかしそうにキャサリンが見る。


「王命ですので、私に否やはありません。」


「ふふ。わたくしの騎士は本当にぶれないわねぇ。でも、真実、ロブウェル公子がわたくしの、というか王女宮にくること自体がないのよ。迂闊に異性に近づけば要らぬ憶測を呼ぶのだから。」

「はあ。」

「なあに?その気の抜けた返事は。」

「リネット様にめずらしいことでございますね。」

キャサリンや侍女たちは呆れ半分面白半分に話を続ける。

「あなたは令嬢としてはあまり夜会に出ないから知らないと思うけれど、本当ロブウェル公子は徹底していたのよ。ねぇ?ディア?」

「はい。私もロブウェル公子様が異性と近くで話しているのを見たことはございません。せいぜい、紹介されるときくらいでしょうか。それでも誤解させないように細心の注意を払った対応でございましたよ。」

「王女宮にはオーガスタもいるから、今まで絶対に近寄ってこなかったのよ。」

オーガスタはキャサリンの妹で、幼い頃からキースに熱を上げているともっぱらの噂だった王女だ。

「少しでも妙な噂が立つと、相手がおかしなことになったりするから。」

「おかしなこと?ですか?」

「ええ。公子の伴侶を夢見て親子でその気になってしまったりするでしょうね。しつこくつきまとわれても困るでしょう。そういう意味では、わたくしたち王族と同じくらい気は使っていたはずよ。」

優しく笑うキースにもそんな人知れない苦労があるのかと、リネットは初めて思い当たった。


「さて、来週の婚約披露ではその眼鏡とそばかすの化粧は落とすのでしょう?」


その言葉に思わず主をみつめる。眼鏡はともかく、そばかすの化粧に気付いているとは思わなかった。近衛に入った時からずっと続けていたからだ。


珍しいリネットのその様子に、キャサリンは少し肩をすくめた。


「それはわかるわよ。そんなことをしている理由もね。でも、その化粧を落として眼鏡を外したら、貴女とっても素敵だと思うわ!私は行けないけれど、腕のいい侍女をいかせましょうか?」


半ば本気の申し出を、リネットは丁重に断った。王宮の侍女たちに来てもらうなんて恐れ多すぎる。渋々キャサリンは引き下がった。


ひとしきりキャサリンがリネットをからかったところで、本題となる。次の週の公務の確認だ。半年後に輿入れするキャサリンは、少しずつ公務を兄弟たちに引き継いでいた。同時に嫁ぐ国の文化などを学ぶ授業が増えてきていた。


公務の予定を確認し、キャサリンの居室を退出してリネットは上司のもとへと勤務報告に向かった。婚姻後はリネットも近衛兵を辞することになっている。重要人物が王族を守ることはできないからだ。

好きで選んだ仕事ではないにしろ、自分の勤務もあと少しなのだと思うと、寂しさを感じる。


感傷に浸りながらもその日の勤務を終えると、まるで見計らっていたかのようにキースが現れた。


「こんにちは、リネット嬢」


「ごきげん麗しゅう存じます。」


にこりと笑顔のキースに対し、初めの頃と変わらないリネットは挨拶をした。キースは気にせず、リネットに手を差し伸べ、乗せられたリネットの手を握った。最初は乗せるだけだったリネットの手は、いつのまにかキースに指を絡められるようになった。

最初は気恥ずかしかったそれも、少し慣れてきた。


「リネット嬢、婚約披露のドレスができたのです。」


屋敷に着くと、キースに連れられはじめてリネットは応接間以外の部屋に連れて行かれた。明けられた扉の向こうには明るい壁紙に淡い色の家具を合わせた部屋があった。部屋の中央に、トルソーに着せられたドレスがある。それは公爵家で用意されていた婚約披露用のドレスであった。淡い青い布をふんだんに使われた、その全体の形はスカートの膨らみを抑えた細身のドレスであるが、胸元を覆うレースは美しく肌を隠している。裾に向かって宝石が縫い付けてあるようで、窓から差し込む日の光を受けて煌めいていた。


「…すごく…きれい…」


思わずリネットの口から呟きが漏れた。そのドレスはあまりにも美しかった。


「気に入って頂けましたか?」


「…はい…」


見惚れるリネットの腰にそっとキースの手が添えられる。


「よかった。この部屋は貴女の部屋です。いつでも使えるようにしてありますが、気に入らないところがあれば言ってください。」


そう言われて、改めてリネットは部屋を見た。明るい日光を入れる窓は大きく、天蓋のついたベッドはまるで御伽噺のお姫様のベッドだ。落ち着いた淡い色合いの調度品は、ずっと男性らしさを求められていたリネットが捨てきれなかった心が求めていたものだった。


「そんな。すごく…お部屋もドレスも素敵すぎて…あの、ありがとうございます…私なんかに…」


「私なんか、などと言わないでください。」


リネットの腰に回された手に力が入り、2人の体が密着した。驚いたリネットが向かい合わせに抱き合うような姿勢になったキースを見上げると、いつもは凪いだ海のような色の瞳に、いつもとは違う色がのっている。


「リネット、どんな部屋もドレスも、貴女を引き立てるものでしかないのです。貴女の前ではどんなものも霞んでしまう。」


密着した身体と、いつもより近すぎる顔の距離にリネットの鼓動はスピードを上げる。


「あの、そんなに気を遣っていただだかなくても…」


「貴女はご自分を知らなさすぎます。」


リネットの言葉に被せるようにキースが力強くいい、より一層リネットを抱く腕に力を込めた。


「こんなに愛らしいリネットが、誰かに盗られてしまわないか、私は心配です。」


先程の力強い答え方とは対照的に切なげに眉をひそめ、キースがそっとリネットに顔を寄せる。リネットは動くことができなかった。そのまま、頬にキスを落とされる。リネットの身体は縛られたかのようになされるがままだ。


もう一度頬にキスされ、その後そっとキースの唇がリネットの唇に触れた。


(く、ちづけされ、た…?)


予想外なことに、リネットは全く動けなかった。


「貴女の夫になるのは私ですからね。触れていいのも、口付けていいのも私だけです。」


優しく言い聞かせるような言葉と共に、キースに何度も口付けられる。


その口付けは、なぜだかリネットを引き止めるための必死なもの思えて、そのままリネットはされるがままになっていた。

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