麗しの公子
見切り発車で始めたので、まばらな更新ですみません…。
国王の執務室に呼ばれてから1週間後、正式に勅命として、ロブウェル公爵子息キースとシュルーズベリー侯爵令嬢リネットの婚約が発表された。
美しい容姿と温和な態度、高貴な血筋を兼ね備えているにもかかわらず、婚約者はおろか噂すら何もなかった貴公子の婚姻決定の報は、多くの貴族令嬢の紅涙を絞った。
朝から幾度となく奥歯でため息を殺していたが、早番勤務を終えた昼下がりの麗らかな陽射しを浴び、ついにリネットはため息をもらした。
(あれからずっと、注目されてて落ち着かないわ…)
キースとの婚約が発表されて以降、行く先々で人々の視線を感じるのだ。ごく親しい者や同僚などは婚約を祝う言葉をくれるが、視線を向けてくる者たちはリネットを値踏みするような視線を向けこそこそと囁き合う。今までに感じたことのない居心地の悪さに、リネットは疲れてしまった。
(そもそも、リンダブルグへの陸路整備と輸出の円滑化のための結婚なのだから、仕方ないじゃない…)
別の派閥であるロブウェル公爵家とシュルーズベリー侯爵家でわざわざ婚姻を結ぶのは、国を挙げた事業であるリンダブルグとの交易の円滑化のためであることは文官ではないリネットにすらわかる。この事業の中心が、隣国に娘を嫁がせた宰相ロブウェルであり、今度は国内で動きやすくするために、息子の結婚相手として白羽の矢がたったのがリネットだった。実家からは王命に従えとのごく短い手紙が届いただけだ。
(まあ、麗しの貴公子の結婚相手が、こんな地味な年増の行き遅れじゃあ、納得できないわね)
キースはリネットより2つ年下の18だ。貴公子に憧れる適齢期のうら若き乙女からしたら文句の一つも言いたくなるだろう。
視線の中に混じる敵意をこれからも受け続けなけばならないかとおもうと、ため息を吐かずにはいられなかった。
(まあ、結婚して何年か経てばみな飽きるだろうし、どうでもいいか)
リネットのあきらめの速さと切り替えの速さは近衛随一だった。
「リネット、すごい人気者じゃない?」
今日は平民街の食堂で気安い仲間と夕食をとっていた。平民街であれば、リネットに注目する目はほとんどない。
「楽しそうだな、ヴェルマ。みられることには仕事柄慣れているが、さすがにちょっと気が休まらない。」
ヴェルマは一つ下の男爵令嬢だが、自ら騎士団に志願して近衛に配属された、数少ないリネットの女性の同僚だ。いろいろなことに無頓着なリネットと、身分を気にせず明るく気が利くヴェルマは不思議と気が合った。今日も、気疲れしているリネットを平民街の食堂で気兼ねなく過ごせるようにとヴェルマが誘ってくれたのだ。4人とも貴族ではあるが、近衛に入る前の下っ端の時は、騎士団の仕事の一つとして町の巡回にも出ていたので、慣れたものだ。夜の食堂は騒がしく、4人の会話に耳を傾けるものもいない。
「そうよねぇ。今を時めく最優良婚姻相手だったロブウェル公子が王命で婚姻するんだものね。」
「相手が近衛のリネットだしな。」
おすすめの定食を豪快に、かつ下品にならずすごいスピードで平らげながら、これもリネットより一つ下だが、気安く接してくれる子爵家の三男のザカリ―も相槌を打つ。もう一人、むすりとした様子で上品にサラダを口に運んでいるウリエルと4人での食事だ。リネットもようやくパンに手を付けつつ、ザカリ―に同意した。
「そもそも王命での婚姻なんて、現国王陛下になって初めてのことだろう。」
珍しく黙りこくっていたウリエルがぼそりとつぶやいた。
「そうね。そんなに重要なのね、陸路の整備って。」
「今の国王陛下は、恋愛結婚だけあって、あまり王命での婚姻は結ばせないのかと思っていたけど、国の益になるならってことなんだろうな。」
下級貴族の、しかも四女なだというヴェルマと子爵家の三男のザカリ―は自分には関係ないからと気楽なものだ。しかし、注目の的であるリネットといるだけで、城内ではいやがおうにも4人に周りの視線が集まる。
「確かに国の一大事業ではあるが婚姻による両家のつながりは必要なのか?」
ウリエルのいい方には珍しくとげがある。
「さあ。私は命令に従うだけだ。」
「さすがリネット。」
感心したようにザカリ―が相槌を打った。
「リネットは自分のことに無頓着すぎる。王命ということは理由をつけて離縁することも、相手に愛人がいても文句を言うことすらできないのだぞ?」
最近のウリエルはあまり機嫌がよくない。
「確かに。愛人のことは考えていなかったな。」
「リネットは頓着がなさすぎるんだ!」
「だが、高位貴族ともなれば、夫婦のお互いに愛人がいるなど当たり前ではないか?」
「当たり前かどうかはわからねえけど、ロブウェル公爵は愛妻家で有名だよな。」
「父親がそうでも、息子はわからないんじゃない?」
じとりとウリエルの紫にも見える青い目が恨めしそうにリネットを見る。
「なぜウリエルのほうがそんな顔をしているんだ?」
「まあまあ、ほっといてあげなさいリネット。」
「ほら、この鳥の香草焼きうまいぞ?ウリエルも食え。」
4人でこんな風に過ごせるのもあと少しかと思うと、それだけはリネットはさみしいと思ってしまった。
リネットの数少ない楽しみであった、気の置けない仲間たちとの食事の翌日、いつも通り眼鏡の奥になんの感情ものっていない目をしたリネットは通常の勤務に臨んでいた。今はキャサリンの勉強の時間で、講師と勉強しているキャサリンの部屋を守る任務なので、あたりを警戒はするが、頭の中は暇だった。昨日の仲間たちとの会話を考える。
そもそも典型的な貴族の夫婦である両親を見て育ったリネットには、結婚に対する平民のような憧れは全くない。また、男性のように育てられた期間が長かったため、愛人云々より貴族の奥方として振る舞えるかの不安もあり、結婚など考えただけで憂鬱だ。
「こんにちは、レディ・リネット」
勤務を終えて、近衛騎士以外入れない区画にはいり、人の目を逃れて一度小さくため息を吐いたところで、声をかけられた。
先程から思い描いていた人物の登場に、わずかに眉を動かしてしまったが、すぐに胸に手を当て礼をとる。
「ごきげん麗しゅう存じます。」
目上の人間への礼に、一瞬キースの顔をよぎった寂しげな表情はリネットには見えなかった。
「リネット嬢、そんなにかしこまらないでください。婚約者なのだから。顔をあげてください。」
キースにうながされ、顔を上げると柔らかい笑みを浮かべた彼と目が合う。
(さすがは美の一族と呼ばれる公爵家。まつげの一本一本まで綺麗なのね)
「どのような御用でございましょう?」
美術品を見るような気持ちで、無表情のままリネットは尋ねた。
「婚約者と交流をと思いまして。リネット嬢はもう退勤だと伺いました。よろしければこの後我が家にいらっしゃいませんか?」
「お誘いは大変嬉しいのですが、今日は騎士服しかありませんし、付き添いの者もおりませんので…」
また後日、と断ろうとしたところで、キースがリネットに一歩近づく。リネットは反射的に後ろに下がりそうになって反応した体を留めた。
「勤務後にお誘いしているのですから、そのままで問題ありません。それに、お父上にはリネット嬢お一人で我が家に来ていただくことに許可をいただきました。今私はタウンハウスの敷地内の別邸におりますので、家族とも鉢合わせることはありませんから、お気軽にいらしてください。この先の西門に馬車を用意してあります。」
にこりと微笑まれながら、柔和な口調で捲し立てられているが、いろいろと細かく聞きたい内容である。
(父上…仮にも嫁入り前の娘を、付き添いもなしに…しかも家族のいない別邸って…)
普通ではありえないが、王の名の下に結ばれた婚約は絶対に覆らないし、異例の半年後に結婚するのだから、なんでもありなのか。無表情のまま言いたいことを飲み込み、差し出された手を拒絶もできずに、騎士服のままエスコートされることになってしまった。
(人の目のない詰所でよかった…)
他者の目のあるところでは、とてもではないが目立って仕方ない。しかし来月の婚約披露パーティーでは大勢の前でキースにエスコートされなければならない。考えただけで憂鬱だ。
用意周到に、普段ほとんど使われない西門に留められていた公爵家の馬車に案内される。柔らかな座面に座ると、すぐに馬車は走り出した。リネットは動かない表情の下で揺れの少ない馬車に感心していた。そんなリネットを、相変わらず柔和な笑みでキースが見ている。大聖堂の天使のごとき顔に見つめられる居心地の悪さに、勤務時のように神経を走らせ気配を消していると、程なくして馬車がとまった。
「着いたようです。さあ、どうぞ。」
来た時と同じようにエスコートされ、馬車を降りると、別邸とは思えない佇まいの屋敷に案内された。
「いらっしゃいませ、お嬢様。」
入ると同時に使用人たちに頭を下げられ、荷物を預けるよう促される。侯爵令嬢であっても、騎士であるため普段あまりこういう扱いはされないので、いささか戸惑う。キースも使用人に外套を渡すと、そのまま軽くリネットの腰に手を添わせてきた。親しげな仕草に驚いたリネットがピクリと体を震わせる。隣のキースが小さく笑ったのがわかった。
(からかっているのかしら。)
すこしむっとするも、表情には出さない。
(こうしてみると、背が高いのね)
女性の中でも長身のリネットよりも、さらに頭ひとつ分ほど高いのだから、男性の中でも大きいのだろう。そういえば宰相も身長が高かった。
「どうぞこちらへ。」
キースに促され、そのまま応接室へと案内される。
応接室は、落ち着いた雰囲気ではあるが、あしらわれた意匠や色の配置がとてもリネットの好みだった。家族のための場所なのだろう、実家の応接間のように大きな空間ではなく、家具もそれほど多くない。ごく自然にソファに座らせられ、ごくごく自然にキースがそのまま隣に座った。すぐに飲み物が給仕される。
(隣?)
思った以上に近い距離に、さりげなく身体をずらそうとしたが、キースに手を重ねられ、それ以上離れることができなかった。
「そんなに警戒しないでください。婚約者なのですから。」
優しく諭すように言われると、意識しているのがおかしいのかと思ってしまう。促されてだされた飲み物をひとくち飲む。口の中いっぱいにまろく甘い香りが広がった。
「これ…」
「お口に合いましたか?」
「…はい。とてもおいしいです。」
「こちらもどうぞ召し上がってください。」
紅茶に続けてクッキーを勧められる。甘すぎず、口の中でほろりと溶けるようなそれは、リネットが今まで食べたクッキーの中で1番美味しかった。何種類かのクッキーを勧められたが、どれもリネット好みでおいしい。
「どうですか?」
「…お茶も、お菓子もとてもおいしいです。」
「それはよかったです。」
心なしか今までの笑顔とは違い、キースは嬉しそうに笑った。
「結婚までの間、またお誘いしても?」
おいしいお茶とお菓子に、少しだけ心ほぐれたのかリネットは首を小さく傾げる仕草をした。これはリネットがなにか考える時の癖だ。
「夫婦になるのですから、私のことを知っていただきたくて。」
そう言われると断りにくい。
「……はい。」
小さく了承すると、柔らかい色の瞳に見つめられる。
「貴女のことも教えてくださいね。」
それにも了承すればキースは嬉しげに目を細めた。
おいしいお茶とお菓子をいただき、危ないから日が暮れる前にと馬車で送られた。そこら辺の素人暴漢には負けないのだが、キースが心配だからぜひにと押し切られる。帰りの馬車にもキースが乗り込み、今度は向かいではなくリネットの隣に腰掛ける。
「少しずつ慣れましょうね。」
と微笑まれれば、リネットに拒否権はなかった。宿舎の前に降ろされると、手を取られる。
「次に会えるのが待ち遠しいです。」
そういわれ、指先に口付けられた。ふわりと柔らかな唇の感触を感じる。右手はすぐには解放されず、名残惜しげなキースにもう一度キスされたリネットは珍しく自分の顔が真っ赤に染まっているであろうことを確信した。




