とある少年の悪夢
ヒロユキは今、馬車の上で仰向けに寝かされていた……顔から大量の汗を吹き出し、時おり苦しそうなうめき声を上げる。その傍らでは、ニーナが心配そうな表情でヒロユキの汗を拭いていた。
マウザーたちと別れて間もなく、ヒロユキの体に異変が起きた。一行が馬車を止め、野営の準備と食事の支度をしている最中に、ヒロユキは突然倒れたのだ。ギンジが駆け寄り、額に手を当ててみると……。
「ひでえ熱だ……ヤバいぞ、これは……」
「ギンジさん……ヒロユキの奴、どうしたんだ? 大丈夫なのか?」
ガイが心配そうに尋ねると、ギンジは深刻そうな顔で首を振った。
「わからん……さっき、ダークエルフからもらった薬を飲ませてはみたが……オレは医者じゃないからな。治るかどうかは運次第だよ。こいつの強運に賭けるしかない」
「そうか……」
そう言うと、ガイはヒロユキのそばに行き、しゃがみこんだ。
「ヒロユキ……すまねえな……オレがあの狼男と戦えば……さっさと片付けていれば、こんなことにならなかったのに……本当にごめんな……」
頭を下げるガイ。そして……ガイの隣にいるチャムもうなだれた様子で、おずおずと声をかけた。
「ヒロユキ、ごめんにゃ……チャムは怖くて、動けなかったにゃ……チャムは弱虫だにゃ……でもヒロユキは勇敢だにゃ……狼と戦うなんて……凄いにゃ。でも……チャムは本当に……弱虫だにゃ……ニャントロ人なのに……」
言葉を絞り出すチャム……今にも泣き出しそうな表情だ。すると、ニーナがそばに近づき、ニコニコしながらチャムの手を握る。
チャムの顔が輝いた。
「ニーナ、ありがとうにゃ……ヒロユキもニーナも本当に優しいにゃ……そうだにゃ! ヒロユキのために、チャムが美味しいウサギを捕まえて来るにゃ! ニーナ、待ってるにゃ!」
言うと同時に馬車を飛び降り、林の中に入っていくチャム……すると、
「チャム! お前どこ行くんだ! 勝手なことすんじゃねえ!」
ガイが慌てふためき、後から飛び出して行く……だが、ヒロユキはその微笑ましい光景にも気づかなかった。
そして馬車から少し離れた位置では、ギンジとカツミとタカシがその様子を横目で見ながら、野営の準備をしていた。
「ったく、あいつらときたら……本当に緊張感の欠片もねえな……」
苦笑いするカツミ。すると、今度はタカシが口を開いた。
「ギンジさん……ヒロユキくんは大丈夫ですかね? 野生動物の牙は雑菌だらけでしょうし……まして、噛みついたのは人狼ですからね……我々には想像もつかない症状が出る可能性もありますよ。飲み薬で何とかなるんでしょうか?」
「どうかな……まあ、オレたちに出来ることは、これくらいしかないからな。オレは医者じゃないし、下手なことをして傷や病状を悪化させたくない。あとは……運よく助かることを祈るだけだよ」
・・・
マウザーは目の前の出来事が信じられなかった。ポロムも恐怖に震え上がり、マウザーにしがみついている……。
可愛い孫のパロム……恐ろしい力を手に入れたとはいえ、それでも自分の言うことは聞いてくれると信じていたのに……。
突然現れた、山賊らしき数人の男たち……彼らは武器を構えてマウザーたちの乗る馬車の前に立ちはだかり、金品を要求してきた。マウザーは交渉し、できるだけ安くしてもらおうとしていたのだが……。
いきなり、パロムが馬車から降りて来たのだ。そして次の瞬間――
山賊たちを全員、燃え盛る炎で焼き殺してしまった……。
「いいかパロム……人を……人を殺してはいかん。絶対に殺してはいかんのじゃ――」
「何で? あいつらは悪い奴らだよ。おじいちゃんを殺すって言ってたし……何で殺しちゃいけないの?」
無邪気な表情で聞き返すパロム……マウザーは背筋が寒くなった。彼とて、この残酷な世界で長年生きてきた。人一人の命の値打ちなど、この世界では本当に安いものだ。一切れのパンのために、人を殺す者もいる。飢饉の時などは、病死した自分の子供の肉を食らった者もいるのだ。
人の命は安い……それがこの世界の現実だ。
しかし、パロムの殺し方は異常だ。
何のためらいもなく……いや、むしろ楽しそうに殺しているのだ……。
「パロム……人は死んだら、人ではなくなる……全てが無になる……消えてしまうんじゃ……全てが……その人間の全てが消えるんじゃ……そして、後に残ったものは――」
「お爺ちゃん、何言ってんのかわからないよ」
「パロム……人が死ねば、誰かが悲しむんじゃ。この山賊にだって、家族がいたかもしれん――」
「そんなの知らないよ」
パロムはきょとんとした顔で、マウザーを見上げている。マウザーは絶望的な思いに支配された。パロムは何もわかっていない。この年代の子供に、命の大切さを教える……どうすればいいのだ?
この子を育てるのは……儂には無理なのか……。
「パロム……お願いだから約束してくれ。もう二度と力を使わないと……人に火を点けたりはしないと……頼む」
「わかったよ……」
パロムは不満そうな顔をしながらも、仕方なく頷いてみせる。だが、マウザーにはわかっていた。
今のパロムには、自分の言っていることなど理解できないであろうことを。理解したふりだけをしているであろうことを。
そして、今のパロムならば……自分を三秒もかからずに殺してしまえるであろうことを。
しかし、その翌日――
「パロム……お前……何て事をしてくれたんじゃ……お前は……」
マウザーは呆然と立ち尽くし、ポロムの手を握りしめて呟くことしかできなかった。目の前の、地獄のような光景……それを引き起こしたのが、自分の孫なのだ。
炎に包まれる村……逃げ惑う村人たち……そして、燃え盛る巨大な建物の前で得意げな表情でたたずんでいるパロム……熱気も煙も、彼には何の影響も与えていないらしい。
「ねえ、神様! この火を消してみてよ! さあ早く! この、ぼくの出した火を消してみてよ!」
パロムは空を見上げながら叫ぶ。その瞳には奇妙な光が宿り、恍惚とした表情を浮かべていた。
自らの力に酔いしれているかのように……。
そもそも、発端は些細なもめ事だった。二人の孫を連れ、生まれ故郷の村に帰って来たマウザー……しかし、そこには怪しげな新興宗教の施設が建てられていた。そして、村人たちはほぼ全員が、その宗教に入信していたのだ。
「マウザーさん、あんたもメモリー教に入りなよ」
村人たちに誘われたが、マウザーは丁重に断る。しかし、パロムは村人に尋ねたのだ。
「その神様は、ぼくより強いの?」
すると、村人はゲラゲラ笑った。お前みたいな子供など相手にならないよ、と……その言葉を聞いたパロムは――
「じゃあ、あの建物が燃えたら……神様はどうするのかなあ?」
すると村人は言った。そうしたら、神様はすぐに火を消してしまうよ、雨を降らせて火を消してしまうよ、と……。
「へえ……じゃあ試してみるよ……」
無邪気な表情で言った次の瞬間……。
パロムの手から、炎が吹き上がった。
「パロム……なぜじゃ……なぜ、こんなことを……」
マウザーはそれだけ言うのがやっとだった。炎は村中に燃え広がり、あっという間に村を灰に変えてしまったのだ。それに伴い、何人もの人間が焼け死んだ……生き残った人々も、恐怖のあまり逃げ去ってしまったのだ……。
一つの村が、一日で灰と化した。
一人の子供のために。
「あーあ、燃えちゃったよ……神様なんか、いないじゃないか……」
そのパロムは、つまらなさそうな顔で炭と化した建物を蹴飛ばしていた。何の罪悪感もない、無邪気な表情……マウザーは言い様のない恐怖を感じた。今のパロムは、幼子の姿をした怪物だ。もはや、自分のような人間にしつけられるような存在ではなくなってしまったのだ。
かといって、このまま放っておいたら……。
この世に災いを為す、悪魔と化すだろう。
どうすればいい?
その夜、マウザーは心を決めた。親代わりの自分がやるしかないのだ。このままにしておいたら、パロムはさらなる災いをもたらすだろう。罪もなき者の命を奪い、この世界に破壊をもたらす本物の悪魔と化す。幼子の今ですら、これだけのことをしでかすのだ。善悪の判断がつかぬまま成長し、大人の知恵を身に付けたら……。
かといって、自分にはパロムをしつけられるだけの力はない。下手なことを言ってパロムの機嫌を損ねたら、自分は殺される。自分一人が死ぬのならいい。だが、ポロムはどうなる? ポロムもまた、いつかはパロムに……。
そんな事になる前に、終わらせなくてはならない。
マウザーは眠っているパロムに、そっと近づく。チャンスは今しかない。殺り損ねたら終わりだ。
パロム……儂は許してくれ、などと甘えたことは言わん……儂を恨め……儂を憎み……呪いながら逝くのだ……。
そして神よ……儂は貴様を憎むぞ……このような運命を……いたいけな子供に……かような呪われし力を与えた貴様を……儂は絶対に許さん!
マウザーは細い首に両手をかけ――
・・・
「や、やめるんだ……」
呻きながら、ヒロユキは目覚めた。体を起こし、辺りを見回す。マウザーもパロムもいない。いるのは、心配した表情のニーナだ。ニーナはこちらににじり寄って来て、顔の汗を拭いてくれた。
「ニーナ……ありがとう……」
そう言って、ヒロユキは微笑む。すると、ニーナはノートを広げた。
(ヒロユキ コワイ ユメミタノ? コワイ コエ ダシタ ダイジョウブ?)
「うん……大丈夫……だよ……」
そう言いながらも、ヒロユキは頭痛のため顔をしかめた。頭が割れるように痛む。さらに、体の節々も痛い。ヒロユキは再び横になった。
向こうからは、楽しそうな声が聞こえてくる。
「にゃははは! チャムはウサギを捕まえようと思ったにゃ。で林の中を歩いてたにゃ。そしたら……キジを捕まえたにゃ! みんな、チャムのことを誉めていいにゃ!」
「わかったわかった。お前は偉い。だから静かにしろよ。向こうではヒロユキが寝てるんだぞ」
ガイとチャムの声が聞こえてくる。ヒロユキは苦笑し、目を閉じた。まだまだ病は治っていないのだ。頭も体も、普段の数倍の重さに感じる。これでは戦うことはもちろん、動くことすらできない。みんなの迷惑になるが……仕方ない。
ヒロユキは再び、眠りに落ちていく……だが、その寸前――
夢で良かった……本当に良かった……。
現実に起きちゃいけないよ、あんなこと……。
そう、夢の中に登場したパロムは……まるでラノベの主人公のように、自らの力に酔いしれ、そして平気で人を殺していた。
悪い奴だから殺す、という……あまりにも単純にして短絡的な行動原理で動いていた……。
そして、孫に手をかける老人……。
ヒロユキが眠りにつく頃――
遠く離れた場所。虚ろな表情で馬車に乗り、焼け跡と化した村を後にするマウザーとポロム……ヒロユキが夢で見た光景とまったく同じだった。
そして、パロムの姿はなかった。




