侠人大訓辞
ヒロユキは、ギンジの言葉を前に呆然としていた。ニーナを殺す……そんなこと、自分にできるはずがないのだ。
それ以前に、なぜニーナを殺さなくてはならないのだ?
「え……そ、そんな……ぼく……そんなの――」
「なあヒロユキ、ガーレンとかいう街で魔術師が言ってただろう……ニーナがどこにいようとも、魔法で見つけ出せる、てな。たぶん、奴らはこの程度じゃ諦めないぞ。オレたちがこの世界にいる限り、奴らは何度でも追っ手をよこすだろうよ。それは……ニーナが死ぬまで終わらないんだ。奴らから見れば……ニーナは裏切り者なんだぜ」
淡々と語るギンジ。ヒロユキにとって、まさに悪夢のような言葉だった。ヒロユキはうつむき、肩を震わせる。そして、目の前が涙で曇っていく……。
「なんで……なんでほっといてくれないんですか……あいつらは……」
「あのな……連中にとっては、ニーナを連れ戻すことが目的じゃないんだよ。これは組織のプライドの問題……ヤクザだってそうさ。百万の金を盗んだ奴を捕まえるために、一千万の金を遣う……裏社会じゃあ、よくある話さ。オレたちは奴らから、ニーナを盗んだわけだ。魔術師たちは全力を挙げて、オレたちを潰しに来るだろう」
ギンジはいったん言葉を止める。ヒロユキは泣き崩れていた。自分とニーナを取り巻く全て……そこには悪意以外ないのか。ニーナはあんな目に遭わされているというのに、まだ解放してくれないのか……。
しかし、ギンジはさらに言葉による追い討ちをかける……。
「ヒロユキ……もう一度聞く。ニーナをここで一思いに殺すか、それとも連れて行くか……ただし連れて行くのなら、これからはお前も戦うんだ。お前も奴らを殺す手伝いをしろ。さあ、どうするんだ?」
ヒロユキはギンジを見上げた。ギンジの顔からは、表情が消えている。そう、かつて自分に拳銃を突きつけた時と同じ……氷のように冷たい顔つきだ。
「そんな……ぼく……人殺しなんて――」
「お前は前に言ったな……人の命を簡単に奪っていいはずがない、と。生きたいと思う気持ちは貴いものだ、とも言った。その考えは正しいよ。立派なものだ。しかし、その考えを貫きたいなら……ニーナのことは諦めろ。諦めるなら、オレが一思いにニーナを殺してやる。苦しまずに逝けるようにな。そして、この先もお前は戦わなくていいよ。お前が戦わなくても、誰にも文句は言わせない。もちろん、人殺しに手を染めることもない」
(ぼくは……どんなに惨めでも……どんなに無様でも……生きたい! 生きていたいんだ! 人間の生きたいと思う気持ちに……世界は関係ないだろうが! みんな同じだろうが! その気持ちは貴いものなはずだろうが! それを……あんな簡単に奪っていいはずはない!)
確かに、自分は言った。目の前で人が死に、自分は抗議したのだ。人が簡単に死んだのが納得いかなかった。人を簡単に殺したギンジが許せなかった……。
ギンジの言葉は続く。
「もしお前がニーナを助けたいと願うなら……お前もニーナを守るために戦え。ニーナを助けるために……殺せ。お前は今まで、戦いの時はガイやカツミに頼りきっていた。確かに二人は強い。頼るな、とは言わない。しかしな……ニーナを助けるってことは、みんなを必要のない戦いに巻き込むってことでもある。なのに、巻き込んだ当のお前が戦わないなんてことは……オレは許さねえ。ニーナを助けるのなら、お前には戦う義務が生じるんだよ。ニーナのために、自分の手を汚す覚悟があるのか? 戦うのは嫌だ、でもニーナを助けたい……そんな風に考えているのか? だとしたら、お前はクズ野郎だ」
戦う……義務?
ニーナを助けるために……人を殺せって?
そんな……。
でも、ギンジさんの言うことは間違ってない。
確かに、ぼくは卑怯者だ……。
「い、今は……まだ決められません……もう少し考えさせて……ください……」
ヒロユキは蚊の鳴くような声で答える。だが……。
「いや、今すぐ決めろ。はっきり言うがな、この選択は、どっちを選んでも確実に後悔することになる……オレ的には、ニーナを殺す方を勧めるよ。少なくとも、お前の手は汚さなくてすむからな……今も、そしてこの先も。そしてオレたちも、しなくてもいい戦いを回避できるしな。さあ、どっちにするんだ? 早く選べ」
ニーナを……殺すのか……。
ニーナが、死ぬ……。
でも、それはぼくのせいじゃない。
そうだよ……仕方ないんだ……。
ニーナが死ななきゃ、他に何人もの人が死ななきゃならないんだ。
それはダメだ……。
そんな理不尽なこと、許されない。
ニーナ一人のために、そんなこと……。
そう、仕方ないことなんだ……。
ヒロユキは頭を抱えた。仕方ない、仕方ないと自分に言い聞かせようとする。だが、その手は頭の傷痕に触れた。まだ、うっすらと残っている傷痕……それは、城塞都市ガーレンでできたものだ。
ニーナが治療してくれた傷痕……。
ふざけるなよ……。
ニーナは……ぼくのせいで魔法を使ったんじゃないか!
ぼくがケガさえしなきゃ、ニーナは魔法を使わなかったんだ!
仕方ないことなんかじゃない! 全てはぼくの責任だ!
「ギンジさん……ニーナはぼくが連れて行きます。何人殺すことになろうが、ニーナをこの世界から連れ出します……」
ヒロユキは答えた。そう、ニーナは自分のせいで廃棄処分にさせられるのだ。なのに、今ここで見捨てたら……。
一生、自分を許せないだろう……。
「そうか……だが、一つ言っておく。これはゲームじゃない。殺す相手は本物の人間なんだ……家族も親戚もいて、好きな相手だっているかもしれない。子供だっているかもしれない。そいつのこの先、生きたであろう時間をお前は奪うんだ……ニーナを助ける、ただそのためだけにな。お前の人殺しには……大義名分も何もない。お前は自分の欲望のためだけに他人の命を奪う、本物の極悪人になるんだ。それを忘れるな」
「……はい」
「あとな……人を殺すのは簡単なことじゃない。その罪悪感やプレッシャーに耐えきれず、イカれちまった奴をオレは何人も見てきた……かと思うと、人殺しが病みつきになっちまった奴もいる。そう、お前はもう今まで通りの普通の生活は送れない。二度と後戻りできない道に、お前は足を踏み入れるんだ。それだけは覚悟しておけ」
「……」
ヒロユキはギンジと並んで歩き、馬車に戻る。ヒロユキの足取りは重い。これから進むであろう道、そこに待っているものを想像すると……それだけで胸がムカついた。人を殺し続ける修羅の道。そこを通り、いつか自分は本物の地獄に行くのかもしれない……この世界に来てしまったがゆえに。
ヒロユキは崩れ落ちそうになりながらも、何とか歩いた。ギンジの後ろから付いて歩く。そして、馬車を止めた場所までどうにか戻ってきた。
しかし――
「ニーナ……どうしたの? 大丈夫かい?」
膝を抱えて座り、うつむいているニーナ。その周りを囲んでいる一行。ヒロユキは不安になり、そばに駆け寄ると……。
ニーナは虚ろな目で、ノートを開いた。
(シニタイ)
「ニーナの奴、短剣で手首を切ろうとしやがったんだよ。チャムの奴が見つけて張り倒したから良かったけどな……それに、手入れしてなくて切れ味の悪いなまくらの短剣だったのも幸運だったがな」
そう言うガイの顔には、複雑な表情が浮かんでいた……ガイはニーナのことを憐れんでいる。だが同時に、先ほどの戦いはニーナの存在が招いた、という点に対しても思うところがあるようなのだ。
それはガイだけではないのだ。ギンジも、カツミも、恐らくはタカシでさえ同じような思いを抱いていることだろう。
自分が守るしかない。
外敵から……そして、皆からも。
「ニーナ……死にたいなんて言わないでおくれよ……ぼくと一緒に行こう……ぼくが君を連れて行ってあげる。ニホンっていう、平和な素晴らしい国に……だから、死にたいなんて言っちゃ駄目だ。わかったね?」
そう言うと、ヒロユキはニーナの手を握り、顔を覗きこむ。ニーナの目は虚ろだった。自分の言葉が耳に入ったのかも怪しい。
だが、次の瞬間――
(ヒト タクサン シンダ ワタシ ノ セイ ワタシ イキル ナゼ?)
書きなぐったノートを広げるニーナ。さっきまでの虚ろな表情ではない。顔を紅潮させ、体を震わせ、全身全霊を持ってヒロユキに尋ねていたのだ……。
「君が……生きる……理由……」
ニーナの生きる理由……ヒロユキに答えられるはずがなかった。ヒロユキはすがるような目でギンジを見る。だが、ギンジはその視線から目を逸らした。ガイもカツミも目を逸らす。チャムですら、この空気を察して黙ったまま、悲しそうな顔でニーナを見つめている。
しかし――
「ヒロユキくん……答えてあげるんだ」
そう言いながら、タカシが立ち上がる。そして、二人のそばに歩いて来た。
「ヒロユキくん、今の君なら答えられるはずだよ。今の君ならね」
そう言って、いつものようにヘラヘラ笑い出した……ヒロユキの中で、目の前の男は本物のキチガイなのではないだろうかという考えが浮かんだ。こんな状況でもヘラヘラしながら適当な事を言う……何を考えているのだろう?
しかしヒロユキの戸惑いをよそに、タカシの言葉は続く。
「ヒロユキくん……ニーナに言ってあげるんだ。好きだの愛してるだの、そんなことを言えと言ってるんじゃない。君の心からの思いを……彼女に伝えるんだ」
「タカシ……お前何を言ってるんだ……」
ギンジが口を挟む。しかし――
「ギンジさん、ここは私に仕切らせてください……ガイくんもカツミさんも……お願いします」
タカシはヘラヘラ笑いながら、頭を下げる。態度や表情そのものはふざけているようにしか見えない。しかし、タカシから発せられる空気は変わっていた。初めて見る、凶気の笑み。そう、ガイやカツミすら怯ませるほどの何かを放っていたのだ。
「さあ、ヒロユキくん……言いたいことを言うんだ。君の気持ちを……君自身の思い、君自身の言葉だ。ニーナの生きる理由……君なら答えられるはずだよ」
タカシの言葉……ヒロユキはさらに戸惑った。
何だよ、それ……。
訳わからないよ……。
ニーナの……生きる理由……。
わかるわけない。
ぼくに答えられるはずない……。
でも……嫌だ……。
ニーナに……死んで欲しくない……。
ニーナを……日本に連れて行きたい……。
そして……一緒に暮らしたい。
どんな血塗られた人生でも……どんな呪われた人生でもいい……。
誰からも祝福されなくてもいい……。
二人で生きていきたい……。
「ぼくには……ニーナの生きる理由はわからない……でも……ぼくはニーナに生きていて欲しい! どんなに無様でもいい! 誰のためにならなくてもいい! ワガママだって言われてもいい! 極悪人だって言われてもいい! ぼくは生きたい! ニーナと一緒に生きたいんだ!」
ヒロユキは感極まり、涙を流しながら叫んでいた……その視線の先には、タカシではなくニーナがいる。自分と同じように、泣きながら言葉を聞いているニーナが……。
「ヒロユキくん、君は泣き虫だなあ……だが、やればできるじゃないか」
タカシはヒロユキにそう言った後、ニーナの方を向いた。
「ニーナ……君は生きる理由なんか考えなくていいんだ。誰も生きる理由なんか知らないんだよ。それに……人には、生きる理由なんか必要ないんだ。君はただ、泣き虫でカッコ悪いヒロユキくんのために、仕方ないから生きてあげる……ぐらいの気持ちでいいんじゃないかな……少なくとも、私はそう思う。どうしても生きる理由が知りたいなら……我々と旅をしながら、ヒロユキくんと二人で探せばいい」
タカシは笑っている。だが、その笑みはまたしても変化している。今度は暖かいものに満ちた表情だ。ヒロユキは泣きながら、ニーナの手を握った。ニーナも握り返してくる……いつの間にか、チャムもガイにすがりつき、もらい泣きを始めた。もっとも、ガイの方も溢れる涙をぬぐっているが……その横では、神妙な面持ちでじっとヒロユキとニーナを見つめているカツミ。ギンジですら、二人の姿から何かを感じたらしい。黙ったまま、天を睨んでいる。
そしてニーナはノートを広げ、ヒロユキの前で書き始める――
(ワタシ イキル ヒロユキ ト イキル イッパイ イキル)
「ニーナ……一緒に生きよう……君のためなら……ぼくは誰でも殺してやる……殺人鬼にでも何にでもなってやる……」




