【49】
学校帰り、華江おばさんの美容院に寄り、ヒロ兄と並んで電車に揺られ最寄の駅で降りマンションに向かっている。
先日、引っ越したマンションは駅から歩いて行ける範囲にあるので、あっという間に着いてしまった。
「お帰りなさ~い」
「え?ママ?!」
鍵を開けて玄関に入ると、いつもこの時間は仕事で居ないのに今日に限ってママも、そしてお父さんも一緒に居て…。
「どうぞ、ヒロくんも上がって」
「あ、はい」
ママはニコニコご機嫌な様子。なのに、お父さんはソファーに腕組みして座っている。
「ママ、何か良い事でもあったの?」
「ふふ、それはまた後で話すから。先に着替えてきなさい」
頬をほんのり赤く染めて、幸せオーラが溢れてる。
こんなママは結婚報告をした時と同じ、ううん、それ以上に嬉しそうな笑み。
とにかく、制服からTシャツにジーンズに着替え、上にパーカーを羽織りリビングに向かう。
明らかに重々しい空気。
背筋をピンと伸ばし腕を組んだままのお父さん。そして、隣には終始満面の笑顔のママ。
向かいに座るのは、硬い表情のヒロ兄。
引っ越し当日も、こんな感じだったのを思い出す。
まさか、あの時の続き?
ドクンと心臓が跳ねる。あの時は、私一人が取り乱してみっともなかったと思い返す。
「美雨も、立ってないで座ったら?」
この部屋の空気をちっとも感じていないママは、明るく私に言葉を掛ける。
私が座るのを待っていたのか、難しい顔をしたお父さんが口を開いた。
「娘は、高校生なんだぞ」
「勿論、分かってます」
ヒロ兄の答えに、これから始まる事が何か分かり、顔を上げて二人の様子を見つめてしまう。
空気がピンと張ったような…。肌がちりちりと乾いていくような…。
「付き合うとか、認める訳にはいかないな」
「お父さん!」
「――っ!!き、君にお父さんと呼ばれる筋合いは!!」
「す、すみません…」
素直に謝るヒロ兄は、視線を落とし話し始める。
自分とって、父親とはどういうものかよく分からない、と……。
10歳の頃、亡くした父は既に思い出の中でしか会えなくて、もう何年も“お父さん”と口にする事もなく、つい言葉にしてしまって――「す、すみません…」と。
「和也さん、私から提案があるんですけど」
お父さんとヒロ兄のやり取りを微笑ましく見ていたママは、「お付き合い、認めてあげましょうよ」と言う。
「お互い、想い合ってるのに、引き裂くのは可哀想よ」
お父さんに、にこっと微笑んで見せれば、お父さんも「う、うん」と軽く唸って何も言えない様子。
「と、とにかく、娘は高校生なんだから、それなりの付き合いとするなら」
「ふふ、お許しも出た事だし。美雨、はい、コレ」
私の手の中に落ちてきたのは、今まで見慣れた輝きの少ない銀色のもの。
「ママ!コレ?!」
「はい、コレ。ヒロくんにも」と言って、私の手の中のものと同じものをヒロ兄にも渡す。
「あの部屋の鍵。ヒロくんには、家族割引という事で格安で貸してあげるわ」
「え?」
「えぇっ?!!!」
驚くヒロ兄。それ以上に驚いたのは、お父さん。
「え、衣里!!いくらなんでも一緒に暮らすとかまでは――!!!!!」
「和也さん、今までずっと、二人は一緒だったのよ」
二人って、ママ!普段から実結も居たから3人なんだけど…。
「でも、同棲は――!!!!!」
「あら、あくまでも今までと同じ生活をするという条件付きに決まってるでしょう」
ど、同棲ーーって?!お父さん!!話が飛躍過ぎですーー!!
「ヒロくんも、いい大人の社会人。美雨も今年、高校生」
すっと背を伸ばし頭を下げたママ。
「今までずっと美雨の事、ヒロくんにお願いしてばかりで…。これからも美雨の事、宜しくね」
「あ、いや、俺は、別に。……はい」
「ほんと、華江さんやヒロくんや、実結ちゃんと仲良くしてくれたおかげで、こうして私も頑張ってこれたんだもの。感謝してる」
笑顔だけど、瞳を潤ませたママ。
そんなママに誰も何も言わなかった。




