【36】
駅へと続く大通りをお父さんが運転する車はゆっくりと走っていく。
特別遠くへ引っ越す訳じゃないのに、懐かしさが込み上げてくる。
忘れていた小さな想い出達が、目の前に浮かんでくる。
実結とヒロ兄と――いつも3人だった。
窓の外へ目を向ければ、見慣れた景色が私の横を流れていく。
ヒロ兄…。
ん?
あれ?
幻かな?だって…、自転車に乗ったヒロ兄が、こっちに……まさか、本物?
「えっ?!うそ!ヒロ兄?!」
私の驚きにママが「は?ヒロくん?」と言って、私と同じ窓の外に目を見張る。
運良く赤信号で止まった車に、ヒロ兄は自転車を乗り捨てて駆け寄ってくる。
汗だくになりながら必死な表情で、しかもふらふら状態のヒロ兄。
今にも倒れこんでしまいそうな足取りが、私を突き動かす。
「ヒロ兄!!」
信号が青になる。
走り出そうとする車のドアを開け、私は飛び降りた。
「危ない!!」
それは、ヒロ兄の声だったのか、ママのものだったのか。
バランスを崩して、アスファルトにそのまま転びそうになるのをヒロ兄の腕に守られる。
「馬鹿!無茶するな!!」
力強く抱きしめられ、ヒロ兄も腕の中で震えるのは私の身体?それともヒロ兄?
自分でも、考え無しの行動に今頃になって、震えが止まらない。
「ヒロ兄!怪我は無いっ?」
私の問いかけには答えてくれず、車道脇から歩道へヒロ兄は私を抱きかかえて移動する。
「美雨!ヒロくん!」
ママ達が慌てて走ってくる。
「なんて危ない事を!!事故にでも遭ったらどうするの!!」
ママが怒るのも無理は無い。だって、走り始めた車から飛び降りたんだもの。
とにかくここに居ても――という事と、引っ越しの途中である事もあって、お父さんの車に4人乗って誰も言葉を発する事無く無言のまま、お父さんのマンションに向かう。
それほど多くない荷物は、引っ越し業者の人たちが、あっという間に運んでしまった。
荷物のほとんどは、私の荷物なので私の部屋に積み重ねられたまま。
リビングには、ママとお父さんとヒロ兄。
難しい顔をして腕を組むお父さんの前に座るのは、ただ俯くだけのヒロ兄。
そんな二人の間に入って、このピリピリした空気をどうしたものかと、ママは温かな紅茶を淹れている。
そして、私はママの淹れてくれた紅茶をゆっくりとした動作でお父さんの前に、ヒロ兄も前に。
ママはお父さんの隣に座り、私は一人掛けの椅子に座る。
「全く、こんなにヤキモキするとは思わなかったわ」
クスっと小さな笑みを浮かべて、ママはヒロ兄と私を見た。




