58話 ニコラウス 前編
ニコラウスは魔女の作り出した樹木の宿で、魔女の持ってきた浄花のお茶を飲みながら、テーブルの上の緑株をぼんやり眺めていた。
この茶は魔女が会議詰めの騎士団とニコラウスへ差し入れたものだ。この宿に台所や火を使う魔道具はないが、魔法使いなら火魔法を使って湯を沸かすくらいは朝飯前である。
あまり寝起きが良い方ではないニコラウスは、頭が働くようになるまでは茶を飲みながら一人でぼうっと過ごすのが常であったが、このビット村に来てからは付き添いが一体いた。
(さっきからカップを覗いて何してるんだ?)
魔女の眷属であるマンドラゴラのうち一体、この緑株は最近ずっとニコラウスの傍に居る。魔物のくせに中々愛嬌もあるので邪魔にはならないし、特に不都合もないので好きにさせていた。
そんな緑株はニコラウスが浄花の茶を淹れている間、自分にもと言いたげに右根を挙げながら短い足で飛んでアピールしていたため、仕方がなくもう一杯カップを用意したのだけれど、そのカップを覗き込んだまま動かないのだ。
(……ああ、熱いからか。マンドラゴラはあんまり熱に強くないし)
淹れたてで湯気の立つ浄花の茶が触れられる温度まで冷めるのを待っているのだろう。よく見ると水面が揺れているので、小さい体で起こせる精いっぱいの息を吹きかけているのかもしれない。
それに気づいて鼻で笑ってしまったニコラウスは、魔法で弱い風を起こして熱を冷ましてやることにした。
「【命じる。風よ熱気を飛ばせ】……あ」
カップの上の湯気を飛ばすように風を起こしたはいいが、突然熱が吹きかかってきたことに驚いたのか、緑株はころりと後ろに転がってそのままテーブルから落下し、床からゴンッと大きな音がした。
そっとテーブルの下を覗き込むと、着地のポーズを決めている姿があった。重さがあるので音が大きかっただけで、着地自体はうまくできたらしい。
「悪かったね、冷ましてやろうと思ったんだけど……温度はたぶんもういいから、飲めば」
そう言えば子株はテーブルの脚をよじ登って上に上がった。丸い身体に短い手足の割には器用に動くものだ。
今度こそ茶を飲もうとカップに近寄った緑株は、少しずつカップを傾けて口から器用にその水分を吸収している。根である手足を浸ければ早いのに、人間の真似をしようとしているところが魔女のマンドラゴラたちの興味深く面白い部分である。
(……これの観察は飽きないな。ずっとこうしててもいい……とはいえ、さすがに……避けすぎ、か?)
妙な夢を見てからというもの、ニコラウスは魔女と顔を合わせづらく彼女を避けていた。目も合わせていないのであちらもさぞ気にしていることだろう。
だからおそらく、ニコラウスの様子を気にしてこの緑株を傍に置いたままにしている。このビット村の出入り口に眷属の子株が常駐していることからも、何かしらの異常が発生した場合は主人である魔女へ報せることができるような仕組みがあるはずだ。ニコラウスの傍に居る緑株も、過保護な魔女がニコラウスを気にして置いているものだと思われる。
(……こいつらの進化についても話があるし……そろそろ、行ってもいいか)
リッターは魔女の眷属のうち紫の布を纏ったマンドラゴラと冗談ではなく結ばれる気であり、そのために眷属たちの進化について魔女の許可を得ようと思っていたのだ。
今日こそそれを話に行く。そう決意したニコラウスは、背筋を駆け上がるような悪寒、強い違和感に思わず立ち上がった。ぞっとするほど、周囲の魔力が大きく揺らいだ。慌てて外に出て、あたりの植物がざわめいていることにすぐ、この魔力の持ち主を察する。
(あの魔女! 何やってるんだ……!?)
飛行魔法を唱えて空に上がる。そうすればすぐに村の変化が見て取れた。元からこのビット村を守るように鎖薔薇という植物が柵を作っているが、その範囲が広がり、高さも一際伸びている。これはまるで城壁だ。
当の本人がどこにいるかもすぐに分かった。村を抜け、魔女の家を通り過ぎ、魔境へと向かう途中。魔物災害に備え、防衛拠点を作る予定地だ。そこだけまだ植物が増殖している様子だったため、急いでそちらに向かった。
(こんなに魔力を使って、一人で拠点建築? たしかに最近魔物の生息範囲が変わってきてるし、壁は急いだほうがいいにせよ……さすがにお人よしが過ぎて馬鹿だろ)
予想通り、魔女はその場にいた。上から見ればほとんど騎士団とニコラウスが組み立てていた設計図通りの配置に植物で作られた建物があることが分かる。問題は、その設計図を見せて魔女と二人でこそこそとやり取りをしていたであろうもう一人の人間がそこにいることだ。
(……コイツ、またか。こんな時間から二人きりで、僕にも知られないように拠点作る計画立ててたわけ?)
聖騎士団の第一部隊長を務めている男、レオハルト。おおよそこの地位に居る人間は将来的に団長になることが多い。それだけ周囲に期待され、信頼されているという証でもある。
だがニコラウスは、この男の魔女への態度から少々疑問を抱いていた。……周囲が言うほど、立派な人間ではないだろう。
「何してるの、お前たち」
咎めるような声が出た。言い訳はもちろんレオハルトがする。魔女は困った子供でも見るように腕を組みながら微笑んでいるだけだ。
しかし今回は誤魔化されてやるつもりはない。一体どれほどの魔力を使ったか、魔力に敏い魔族が分からないとでも思っているのだろうか。
(この女、土地の魔力を完全に塗り替えたな。……土地に自分の魔力が満ちれば植物の魔法は使いやすいだろうし守るにも便利だろうけど、無茶だ)
これはとある魔族が残した日記から知ったことだが、魔物の中には支配区域を持つ者が存在し、それらは土地に己の魔力を行き渡らせて、区域内での自己強化をしているらしい。そして魔族もそれを真似れば強力な魔法を使いやすくなるという研究をしている者がいた。
魔族の祖が魔物という説を後押しする情報だったので、ニコラウスもよく覚えている。ただ、自己領域を作るにはとてつもない魔力を消費するため、過去の魔族たちでもせいぜい自分の家とその周辺くらいしか領域化することはなかった。それを村一つ囲うなんて荒業をやって、体に負担がかからないはずがない。
そう思っていたが魔女にはまだ余力があったらしい。それだけ魔力を消費したくせに、必要もない植物を作り出してレオハルトに贈っている。心配そうにしているレオハルトへ「まだ魔力は使える、問題ない」と言外に伝えたいのだろう。
(たしかにまだ余力はあるんだろうけど……それでも魔力消費はしてる。それなのに、わざわざその男のために植物を作り出すのか)
その光景に何故か心底苛立った。何よりレオハルトが魔女を見る目が気に食わない。
「……ふうん、まだ余裕って言いたいわけか。お前のおかげで計画のやり直しが必要だから、宿に戻って会議を再開した方がいい。この騎士は連れていくから、早く帰れ。……余計な魔力を使わず休めよ、馬鹿め」
そうしてつい苛立ちのままきつい言葉を口にしてしまい、魔女は困ったように微笑みながらニコラウスに背を向けた。
帰れと言ったのは自分なのに、去っていく背中を目が追ってしまう。……いや、余裕があるとはいえ魔力を消費して疲れているだろうから、家で休ませるのは間違った判断ではない。何も間違ったことは言っていない、はずだ。
(……僕は、何をしてるんだか)
普通に話をしようと思っていたのに、予定が狂った。……まあ、魔女については後で考えるとして、今はこちらの男の方が問題だ。
朝から草々しいからニコラウスがきちゃったようですね
次回こそ要塞の見回りを…
昨日、公式サイトの特設ページが公開されたので、↓の画像から飛べるようにしてみました。
特典情報だけでなく、カラー口絵やキャラクターたちが全公開されています。そして子株戦隊もいる。
ちなみに魔女さまのピンクから緑に変わっていくグラデーションの髪はホウレンソウの根元のイメージです。可愛い色ですね!




