57.5話 レオハルト 前編
夜明け頃、誰よりも早く目を覚ましたレオハルトはすぐに身支度を整えた。災害時期までの猶予は一年もなく、それまでに防衛の手筈を整えなければならない。
拠点の建築は急いだほうがいい。出来上がったばかりの設計図を手に、下見に行くつもりだった。
「ん……早いな、レオハルト」
「おはようございます、リッター。起床時刻までもう少しですから、よろしくお願いしますね」
昨夜の寝ずの番、後半はリッターが担当していた。まだ休んでいる部下たちを起こさないよう、ひそひそと小声で挨拶を交わす。
そしてリッターの傍、机の上にはしどけなく寝そべる紫株がいる。植物の魔物であるマンドラゴラにも睡眠は必要で、本来の生態ならば彼らは日光のない夜には土の中で眠っているはずだ。しかしどうやらこのマンドラゴラはリッターに付き合って起きていたようで、だらりと気の抜けた姿をしていた。
「大丈夫だ、紫ちゃんには指一本触れてない」
「いえ、そのような心配はしていませんが……」
そんな紫株を見ていたレオハルトに、真剣な顔で掛けられた一言。一体何を言っているんだ。誰もマンドラゴラとそういう意味で一夜を過ごしていたなどとは思ってない。
同僚はすっかりマンドラゴラの虜になってしまっている。むしろもう、人間の女性の方を異性として見られなくなっているのではないか、とすら考えた。
「……建設予定の場所を下見に行ってきますので、他の者にはそのように伝えてください」
「ん、分かった。お前はほんとにまじめだな」
「そのようなことはありませんよ。この地を守る騎士として当然です」
本当に真面目な騎士であるかどうかはレオハルト自身が一番理解している。そもそも急いで防衛の手筈を整えたいのも好きな相手を危険から遠ざけたい一心であり、不純な動機でしかない。
日の出の時間帯であればまだ人気もなく静かだ。そんな村を通り抜け、魔女の家の前に差し掛かったところで一度足を止める。
(会えたらいい、と思ったが……まだお休みの時間だろうな)
魔女は村はずれに住み、村の中へは困りごとがないかを確認に来る程度で、あまり長居することはない。つまり中々話す機会は訪れないのだ。軽い挨拶くらいしか交わせないことも多く、先日も会議の休憩中に訪れた彼女は、差し入れだけおいてすぐに帰ってしまった。
(あの人は人前で話すことができないから、仕方がない。……声に籠った呪いでは、私のように覆い隠すだけでどうにかなるものより大変だ)
しかし言葉を発せずとも魔女の優しさや魅力は周囲に伝わっている。だから彼女はあらゆる人間に慕われているし、それはよかったのかもしれない。
ただ呪い無効であるレオハルトでも、それ以外の者がいる場所では会話できないのが少し、残念だ。
再び歩き始め、拠点の建設予定地を下見する。魔女の茨が守っているこの場所なら、大規模な工事をするにも危険が少なくてすむ。
(まったく、魔女殿には頭が上がらない。人々を守る役目の聖騎士が守られてばかりで……何か、もっと返せるものがあるといいのだが)
話す機会さえあれば彼女の望みを聞くこともできるのに。そう考えてぼんやりとしていたら、背後から足音が聞こえて振り返った。
朝日を受けて輝く若芽のように柔らかい緑。まるで花を体現したような美しさ。会いたいと願ってやまない人がそこに居て、思わず笑み零れてしまう。
「ああ……魔女殿、おはようございます。奇遇ですね」
本当に奇遇だ、そして運がいい。会えたら嬉しいとは思っていたけれど、まさか本当に花の魔女に会えるなんて、幸運でしかないだろう。
彼女は微笑みでレオハルトに応え、そして辺りに視線を彷徨わせた。どうやら他の人間を探しているらしい。
(……魔導士殿、だろうか)
ニコラウスは魔女にとってたった一人の同族だ。彼専用に用意された木の家はとても手の込んだ作りで、仮宿というには豪華すぎた。余程居心地がいいのだろう、ニコラウスも好んで宿の中で過ごしている。それを呼びに行ったレオハルトは宿の機能に驚かされたのだ。
なんと宿の入り口にはニコラウスに反応して開閉するという特殊な魔法をかけられている。レオハルトが訪れても開くことはなく、これにはニコラウスも驚いていたくらいだ。余程高度な魔法であるらしい。人を判別して自力で動くドア。こんなもの、他のどこでも見たことはない。
それに、ニコラウスがいる時が花の魔女はもっともよく笑っている気がする。自分と居る時よりもずっと、ニコニコと楽しそうで――少しだけ胸に重しがかかる。
(それだけ魔女殿にとって魔導士殿は可愛い存在なのだろうな。……五百年生きた魔族も子ども扱いなら、私など赤子よりも幼く見えていそうだ)
種族の差をありありと感じてしまい、魔女が何処か遠い人のように思えて、胸の中に冷たい風でも入り込んだような心地だった。
人族は長生きしてもせいぜい八十年。人種が違えば寿命が違うからこそ異人種恋愛は推奨されない。そこから自分たちより寿命の短い獣人を避ける人族が多く、差別意識が生まれた歴史もある。
(対等を望むのがそもそもおこがましい、か)
魔女はレオハルトが居なくなった先の未来もずっと生きていく。自分はそんな彼女の一生に、ほんのひと時の間存在するだけ。そんな相手に、自分と同じ情を求めるのは欲張り過ぎだ。……何せレオハルトはこの感情を持ったまま、相手がいなくなった未来を生きる想像ができない。
(それなのに同じ感情を求めるなんてとてつもなく身勝手だからな。……なら、私が死ぬまで一人、想っているだけでいい)
レオハルトがただ彼女を慕っていて、彼女の幸せを勝手に願っていればいい。
それでも自分よりずっと長い時を生きる魔女の記憶の片隅には残っていたい。いつかそんな人間がいたと、穏やかに思い出せるような、そういう相手になりたいとそれくらいは望んでしまうけれど。
だから少しでも彼女の記憶の中に残れるように、会話できる貴重な機会は逃したくなかった。他の者は連れてきていないこと、そして二人きりなので声を出しても問題ないことを伝えると、魔女も話しかけてくる。
「……下見、というのは……」
近い距離で静かに語り掛けるように話しかけてくる魔女に、レオハルトの心臓の鼓動が速くなるのは仕方のないことだったと思う。
内容は甘さの欠片もない、魔境への対策についてだ。それでも自分だけが彼女の凛と透き通るような声を聞けるのだ、という特別さに喜ばないはずがなかった。
(魔女殿もこの村の防衛については関係者だ。決定した内容の情報を共有するのは当然だからな)
そうして建設予定の拠点について説明していたところ、元々近い距離に居た魔女がさらに一歩踏み込んで、レオハルトの手元の地図を覗き込んだ。漂う花の香りが一層強くなり、一瞬息を呑む。
魔女が顔を上げ、身長差のせいで上目遣いになりながら見つめてくるガラスのような輝きの黒い瞳にレオハルトの顔が映っていた。
「あの、レオハルトさん」
「……はい」
「私が、好きにしても……?」
名を呼ばれ「好きにしていいか」と問われ、何が何だか分からなくなる。一体何を好きにするのか、どういう意味なのか。それを問う余裕など、耳の奥で響く自分の心臓の音にかき消されてしまった。
「どうぞ」と答えるのが精いっぱい。魔女はその答えに満足したように微笑んだ。
レオハルトの目は節穴…蓮根のように穴だらけ……恋根…ってコト…!?
子株の姿も見たいとお声を頂くのですが書籍にはがっつりのってますので安心してください。紫もいます。
しかし…大抵の作品では主人公の次にビジュ待機されそうなヒーロー枠(?)の二人よりも子株の方が楽しみにされているような…子株にお株を奪われてどうする頑張れ二人とも




