50話 ニコラウス 前編
「マンドラゴラの根に針を刺して体液を吸い出す。根の真ん中あたりに液が溜まってる器官があるから、そこに刺すんだけど」
「なんてことするんですか……!?」
「薬の成分を抽出する方法の一つなだけ。……だからお前はやりたくないだろうって言っただろ」
マンドラゴラはただの植物系魔物で有用な薬の材料でしかない。まるで人や愛玩動物のように扱う方が特殊なのである。しかもこの魔物は感情も意思も強くない、はずだった。
しかし目の前の二体はニコラウスの話を聞いて震えているため、少なくとも人の言葉を理解する知能があり、かつ感情や意思も人並みにあるのかもしれない。
(どういう進化をしたらこうなるんだろう。……レベルだって3しかないのに)
魔物の成長具合を示す数字であるレベルは、魔物同士が争って命を奪い合うことで上がるもの。人間のステータスと魔物のステータスでの最も大きな違いはこの項目があるかないか、だろう。
これは倒した魔物の魂を吸収し、食らった魔物の魂がその分成長したという証。というのがニコラウスの考えだ。そうしてこの魂の成長は、器である魔物にも影響する。魂が成長すればするほど、器は形や機能を成長させることができるようになるのだ。
このレベルが高ければ高いほど魔物はあらゆる進化ができるようになり、その進化の仕方によっては特殊な個体へと変わる。レベルが低いのにすでに特殊な進化をしている魔女の眷属たちは非常に興味深かった。
(真っ先に歩けるようになる進化を選ぶなんて、魔物の思考じゃないからな……マンドラゴラはそもそも移動する必要のない魔物だし。まずは大きく成長しようとするのが普通の魔物の感覚のはずだけど……)
魔物自身に人間のような思考力がなければ独自にこのような進化はできないから、魔女が思考力を与えたのか、それとも魔女がこのように進化させたのか。どちらにせよその方法が気になるところだ。
「それから、そのマンドラゴラの成長も必要だと思うよ。今は風変りなだけのマンドラゴラだし……ほかの魔物を倒して、レベルを上げて、進化しないといけない。まあ、その紫株に人間と番う気があればそういう変化をすると思うけど」
「それって……紫ちゃんと魔物を戦わせるってことですか……? そんなことできませんよ、魔女殿の命令で村のマンドラゴラたちは戦う能力がないんですから」
「別に直接戦わなくても弱ったり気絶させた魔物を連れてきて、それに吸収させれば成長するとは思うけど……」
「あの、さすがにそういう研究をするなら魔女殿の許可を取ってくださいね、お二人とも。このマンドラゴラたちは魔女殿の物なのですから」
「分かってるよ。……レベルが上がったところで支配下から抜け出せそうにないし、問題ないとは思うけど。ただし魔力が成長したらお前が追い付けなくなりそうだから、レベルの上げ過ぎは厳禁だ」
研究に対し以前ほどの熱心さはないとはいえ、魔物の進化に興味があることには変わりない。魔族の祖が魔物と人間の間の子供だとするならば、リッターは今後新しい魔族の血統の親になるのかもしれない。
とはいえ、相手は人間と遠く離れた植物の魔物なので確率としては非常に低いだろうが。
(子供ができたら面白いな。……生まれてくる子供は魔物か、人間か……それとも新しい魔族か)
想像するだけで非常に興味を惹かれるため、やはりリッターのことは積極的に支援したい。魔物を伴侶に選ぶ特殊な嗜好の持ち主はそうそう現れないだろうから、これは新しい魔族を作る研究において最初で最後の機会かもしれないのだ。
(魔族の祖が魔物と人の間の子だって説が確定するかも。……まあ、そうだとしても僕らとは別の血統になるか)
今の魔族の祖が魔物だとして、その魔物は植物系統ではないだろう。花の魔女は植物の魔法を使っているからあの姿なだけで、魔族自体には植物の特徴がない。形は人間と変わらないため、元から人型の魔物だと思われる。
しかし今、リッターが伴侶にしようとしているのはマンドラゴラだ。眷属だからこそ、主人である花の魔女を真似た形をしているだけで――。
(ん? ……眷属が新しい魔族の祖になると、ある意味あの花の魔女はその親……というか真祖みたいなものか……?)
血縁はないにしろ魔力的な影響はあるし、完全に無関係とはならないだろう。魔女を母体としなければ魔族は生まれず、それは胎児に魔力の影響があるからとされている。眷属のマンドラゴラたちは魔女と同じ魔力をまとっているので、眷属から生まれる新種は花の魔女の系統と呼べるかもしれない。
(というか、そっか。……魔女がいるから……絶えたわけじゃないな、僕たちの一族も)
魔女がいなければもう魔族は生まれない。だからニコラウスは一人だったし、新しい魔族を作るしかなかった。
しかし魔女が生き残っていたのだから、もしかすると今後新しい同族が生まれる可能性はあるのだ。いつか彼女が誰かを伴侶に迎えて、それを望む日がくればの話ではあるが。……そして、その相手は――。
「あの、魔導士殿。……急に考えこまれてどうしました?」
「……ああ、ちょっと思考に入り込んでた。……そろそろ休憩は終わりでいいんじゃない?」
「ああ、そうですね。リッターも変な世界に入りそうですから」
余計なことまで考えそうになっていたところに声を掛けられ、意識を引き戻される。これ以上考えすぎないためにもニコラウスは会議の再開を提案した。
その後、休憩や食事を挟みつつも会議は続き、日付が変わるよりは早く解散となった。続きはまた明日以降にすればいい、急いで雑になってもいけないし、根を詰めすぎて騎士たちの通常業務に影響をきたしてもいけない。
ニコラウスは騎士団の宿を後にして、隣にわざわざ作られた木の家へと向かう。背後に気配を感じて振り返ると、そこには緑の服をまとったマンドラゴラがいた。
「……なんだ、お前。僕についてくる気?」
短い手を挙げて見せたのは肯定の意だろう。観察したい興味の対象でもあるし、拒絶する理由はないかと好きにさせることにした。……少しだけ歩く速度を落としたのは長時間の会議で疲れたからだ。短い脚を動かして懸命についてくる植物のためではない。
マンドラゴラの緑の株とともに、ニコラウスは魔女が作った家の前に立つ。自分以外の魔族による、自分より優れた魔法でできた家だ。
(……これは、そう。魔法への興味だから。さすがにこんなの、残された魔導書には載ってなかったし。僕より優れた魔法の使い手がいなかったから、好奇心がくすぐられてるだけ)
ニコラウスの体の中であまり覚えのない感情が巡っている。そわそわと落ち着かないのに、不快ではない。久しく感じていなかったこれはおそらく「楽しい」とか「嬉しい」とか、そういう類のものだ。
しかしこんなことで喜んではまるで新しいおもちゃにはしゃぐ子供のようだ。ぐっと眉間に力を込め、一度気持ちを落ち着かせてから手を伸ばす。
――その手に反応して勝手に開いた家の扉のせいで、これまで出した覚えのないような驚きと喜びの混じった声が上がったが、それを聞いたのが物言えぬマンドラゴラだけでよかったと心底思った。
嬉しそうに「わぁ……!」みたいな声がでたのかもしれません…初めて夢の国に来た子供のように…。
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