クオリティの意味とは?
何でも今年はガンプラ40周年とのことでファースト映画版を視聴させて頂いてる。ありがたいこってす。これはもう恩返しの意味でもガンプラを買いに行くべきであろうか? みてみんにもアップできるし。とはいえ、ビギナーは何から買えばよいものやら。
RX-78はまずありえまい。ド素人丸出しである。いや、ド素人なんだけど。でもこちとらそこそこのマニアを自負しているのである。この機体は店員に顔を覚えてもらった頃合いで手を出すべきであろう。もう少し通なチョイスで行きたい。
じゃあ素直に好きなジムは? 悪くはないんだけど、「ジムぅ? けっ! ド素人が通ぶりやがって」とか店員に思われそうで少々怖い。却下。
鉄板はザクだと思うが、あまりにもお約束すぎないか? コダワリはないのかと思われそうだ。じゃあ意表をついてビグ・ザムとか……なんか、作るのがめっちゃ難しそう。無難なところでドムとかよさげだけど徳光氏ファンと見抜かれそうで癪だ。
普通に見てたGガンからシャイニングガンダム、あるいはガンダムXなんかが逆にいいかもしんない。ちなみにXは初代の方が個人的に好きだ。ダブルXはデラックスすぎてちょっと好きになれない。
ううむ、こう考えるとガンプラって、購入の段階からしてハードルが高い。てゆうか自分のこと、買っても勿体無くて作らず積んどくと思う。ま、ファンアイテムならそれでもいいと思うんですけどね。いや、そういう偉そうなことは買ってから言えや。
それはそうと、それなりに何度か見てる映画なのに目が離せないのは何なんだろう。ながら視聴のつもりだったのに、ついつい見てしまう。絵のクオリティで見る気になれないって人もいるらしいけど、クオリティがあまり気にならない自分は問題なく見れる。それより絵柄の合う、合わないの方がずっと深刻。他の人がどうかは知らんけど。
確かに線が歪んでたりパースが狂ってたり、意識して見れば気付くところはある。製作者自身も見るのがツラいと言ってるほどだし。しかしあの粗い作画が自分などは逆にリアリティを感じてしまう。最近の、やたら進化した映像のアニメの方がかえってうそ臭く見えるから不思議だ。個人の意見に過ぎないけど。
それとストーリー。あの世界の広さは何なのか? 内容は戦争に巻き込まれた少年たちの、小さな物語に過ぎないのに。
数日前から戦争映画を何本か見たのでそのイメージに引きずられてるのかもしれない。それでもやっぱり世界の広さを感じてしまう。
逆に最近のアニメは世界が狭いと、何故か感じてしまう。主要人物が世界の中心で、そこから先の世界が感じられない。閉ざされているような気がしてしまう。まあ、それが昨今の流行りなのかもしんないけど。しかしそれではファーストが今だに語られてる説明がつかない。ノスタルジーに過ぎないのであろうか? でも、それを言うなら埋もれてしまってるロボットアニメは星の数ほどある。
少々強引に考えてみる。
あの当時、アニメ業界ってのは少し見下されるジャンルだったらしい。仕方なし的にやってたとか告白する製作者も結構いる。絵描きになりたかった、映画監督になりたかった、小説家になりたかった。そういう人たちがとりあえず糊口をしのぐ仕事としてアニメやってた、ってのは割と有名な話だ。嘘かホントかは分からんけど。
また、今と違ってDVDなんかないから関連商品が売れなきゃ容赦なく打ち切られるのも日常茶飯事だったという。
そういう人たちが反骨心で作ったアニメを見て、影響を受けた人たちは最初からアニメ界を志向したのだろう。自分が作りたいアニメ、ってのも明確に頭の中にあるのだろう。
確かにそれは大きな武器だろうし、アドバンテージだとも思う。作画のクオリティはとんでもなく高くなったしストーリー性も高い、演出もはるかに上手い。エンタメとしては間違いなく進化してるのは分かる。なにしろかかってる人、モノ、カネが比較にならない。加えて技術の集積もある。
が、昔のアニメにあった、なにかよく分からないけど凄み、エグみ、ギラつきのようなものがいまひとつ、昨今のアニメ作品には個人的に感じられなかったりするのである。
そういえばBGMなんかでもずっと低調。ところが最近のアニメってやつはここぞという場面で有名アーティストの楽曲が流れたりします。
演出と言ってしまえばそうなのですが、こういう部分にも、妙な押し付けがましさを個人的に感じたりするのです……




