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金色の螺旋  作者: 亜薇
第八章 霞む四星
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七.淡い異香(いきょう)【3】(★)

※挿絵は中ほどにあります。

「紅燐!」

 血に染まった彼女の右手を握り締めると、魁斗は苦悶の表情を見せて術に籠める力を強める。

「くそっ!」

 黒神の力を前にして為す術も無い魁斗は、絶望に近い無力感にさいなまれた。半神と呼ばれ持てはやされているものの、大切な者一人守れない自分が恨めしく、歯痒はがゆかった。

『与える代わりに……其れと等しい価値のものを貰う』

 朦朧とする紅燐の意識の底で、黒神の言葉が聴こえくる。こう為った今、邪神が奪い去らんとしているものが、紅燐にも漸く分かった気がする。

――私に……私が望む死を与える代わりに、愛しい魁斗さまを更なる奈落へと突き落とす……

 珠帝の命を果たせず、想い人を裏切ったという罪の意識により、死を以って償おうとした紅燐。魁斗を苦しめるという『対価』が、誠実で正直過ぎる彼女にとってどれ程酷なことなのか、黒神が知らぬはずはない。

「申し訳ありま……貴方の仰る……通りです。魁斗さ……」

 言い掛けて、咳き込みせてしまう。冷えてゆく身体を温めようとしたのか、魁斗は弱った紅燐をきつく抱き締める。ところが黒の力は、紅燐の命火をたちどころに奪ってゆく。

『君の願いは聞き届けた。最期の時まで抱き離さなければ、全て叶うだろう』

――私の願いは……魁斗さま。貴方の腕の中で……

「紅燐、紅燐!」

 魁斗の呼び掛けも虚しく、紅燐の瞳は閉じられた。手足から力が抜けてしおれた花のように崩れ、間もなく動かなく為った。

「紅燐……」

 暫し其のままで、紅燐を抱いていた魁斗だったが、彼女の血で汚れた口元を着物の袖で拭いてやり、柔らかな草の上に横たえてやる。改めて其の美しい貌を見下ろしてみると、あれ程苦しみ抜いたにしては穏やかで安らかな表情で、眠っているだけのようにも見える。

 久し振りに腕に抱く紅燐からは、微かだが桂花の香りがした。魁斗の知らぬところで彼女が纏った、異香いきょうであった。

 黒神の気は忽然と消え失せ、紅燐の気も完全に無くなった。其れは彼女が『死んだ』ということを意味していたが、魁斗には如何どうにも信じられない。『命を奪われた』というのは明らかであったが、俄かには受け入れられるはずが無い。紅燐は魁斗にとって、今でも掛け替えのない女なのだ。

 小刻みに震える両手で人形のような紅燐を起こし、胸元に耳を近付け心音を確認しようとする。其の時、魁斗の背を戦慄が駆け抜けた。

 ぞっと総毛立つ感覚が全身を巡ってゆく。四肢が硬直し、振り返りたくても振り返れない。

――誰だ……誰の気だ?


      挿絵(By みてみん)


 涙で霞んだ両目を袖で擦り、地面に投げていた刀を握る。正体不明の『力』を感じた方向へ何とか向き直ると、見覚えの有る黒衣の大男が歩んで来ていた。

「おまえ……まさか」

 先刻、紅燐が『其の姿』を取って現れた時とは、存在感がまるで違う。覆いで隠していない方の右目も、色彩と形は同じはずなのに、宿している眼光の質が異なる。人の形をしていながらも人ではない……しかし、確かに人であるという、度し難い、実に解し難い男。

「おまえが……青竜?」

 男は答えぬまま立ち止まり、魁斗を見据えていた。魁斗も彼から目を逸らせず、一瞬の油断も許さぬ緊張感が漂う。身を切られる哀しみと怒りに捉われ、気がおかしく為ってしまいそうな動揺が、男を前にしたことで冷まされ収まっていた。

――こいつ……本当に人間か? だが、かと言って……妖でもなければ神でもない。

 魁斗は此れまでに、妖だけでなく天の神にも非天の邪神にも会ったことがある。いずれの存在にも……此の男は似ていない。

昊天君こうてんくんとお見受けする」

 低く響く青竜の声に、魁斗ははっと我に返った。

「朱雀を殺めたのは貴殿か?」

 青竜は冷静其のものだったが、彼の内に秘められた憤りと殺意を、魁斗は見逃さなかった。無論問いの答えは否であるが、もし是と答えれば、其の瞬間、斬りかかられていたかもしれない。

「断じて、俺ではない」

 再び渦巻く、感情の奔流に手足が震えるのを抑え、声を振り絞って言い切る。真偽を確かめようとしているのか、青竜は暫時ざんじ、刺すような視線を魁斗に向けていた。

「では、黒の邪神か?」

 そうだ、と答えようとしたところで、魁斗は言葉を飲み込んだ。黒神の術が原因で紅燐が倒れたのは事実だが、其処まで彼女を追い詰めたのは自分自身なのではないかという考えが、頭をよぎったのだ。

――俺が、紅燐を殺したも同然……なのかもしれない。

 彼女が如何な経緯を辿り、黒神と結ぶに至ったかは分からない。だが何か切っ掛けは有ったはずだ。茗入りして間もなく、あさぎを通して話した時か。其れとも白林近郊で二年振りに再会した時か……いや、もっと前なのだろうか。

――もし俺が、違う言葉を掛けていたのなら……結果は違っていたのか?

 僅かな間、青竜と対峙していることを忘れ、紅燐との記憶が巡っては去ってゆく。耐え難い心の痛みゆえに、胸奥へとしまい込んでいた彼女との時間が、今更に為って呼び戻され甦る。

――助けられなかった……殺したい程憎い奴に、こんなに呆気なく奪われてしまった……

 魁斗が返答に詰まっている間に、青竜は紅燐のもとへと歩いてゆく。接近されても、魁斗が動くことは無かった。青竜から戦意が消失していたからだ。されど、たとえ青竜から殺気を感じていたとしても、魁斗は臨戦態勢に移れなかったやもしれぬ。彼は、憔悴しょうすいし切っていた。

 青竜は片膝を付き、手袋をめた手を紅燐の額に当てる。彼女の体内を流れる気を探り、死に至らしめたものは何なのかを突き止めようとしていた。

 そして、青竜は気付く。気を散じた魁斗が見落としていた、ある重大な点に。

「昊天君……朱雀の受けた『傷』が貴君に依るものではないことは、良く分かった」

 力の無い紅燐を起こした青竜は、其のまま彼女を横抱きにして立ち上がった。茫然と立ち尽くしていた魁斗は青竜へと向き直り、再びしっかりと目を据えた。

「貴君と朱雀の間柄を良くは知らぬが、敵であることには相違無い。そうだな?」

「……ああ」

 否定したくとも、しようがなかった。『朱雀』の上官であり師でもある青竜に、「昊天君の前に命を投げ出した」などと言えば、茗側にとっても、紅燐が完全なる裏切り者に為ってしまう。

「朱雀は茗の女、珠帝陛下の臣下だ。私が連れ帰ることに異存は無かろう」

 其の言葉に、魁斗は確信した。今の青竜は争いを避けようとしている。一刻も早く紅燐を連れ出し、静かな場所へと運んでやりたいのだ、と。

 何も答えぬ魁斗に背を向けると、青竜は元来た道を引き返して行く。二人の男には、此の時だけは、互いに何の敵愾てきがい心も無かった。有るのは只、大切な存在を奪われたという哀切と悔恨の情、黒神への怨嗟えんさだけだった。

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