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金色の螺旋  作者: 亜薇
第八章 霞む四星
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三.嘆願

 麗蘭たちが茗に入国した頃、茗の宮廷、そして兵部へいぶは騒然としていた。珠帝が臨席した御前会議にて、数日中に聖安に対して宣戦すると決められたのである。

 九年前の停戦以来、茗の高官たちは戦が何時再開されるのか固唾かたずを呑んで見守っていた。一年前に珠帝の命で聖安の勅使を殺した時は開戦のきざしかと思われたものの、其の後事態が急展開することは無かった。珠帝はいずれ必ず停戦協定を破棄するだろうと、殆どの者たちが信じて疑わなかったが、玄武上将軍のように痺れを切らしていた者も少なからず居た。

 しかし此の数ヶ月で突然、珠帝は戦に積極的に為った。強行的ともいえる姿勢で聖安を煽り、一点の曇りも無かった国政を乱してまで開戦に踏み切ったのだ。焔の女帝の本心、真の狙いを解せた者は、臣下たちの中には誰も居ない。ごく……一部を除いては。

 夕刻、其の日の公務を終え居宮に戻った珠帝は、拝謁を申し出た青竜を前室に迎え入れていた。薄紅の髪を背に流し、くつろいだ姿勢で長椅子に腰掛け、朱の陽に照らされた美しきかんばせに微笑を浮かべている。

 彼女の足元に跪いた青竜は首を垂れ、主から声を掛けられるのを待つ。顔を覆う面は、左の邪眼を隠す物だけを残して取り外されていた。

「……面を上げよ、青竜。妾もそなたを呼ぼうと思っていたのだ」

 ゆっくりと頭を上げ、主君を拝した青竜の表情は、何時も以上に硬いものだった。珠帝はやや困惑した顔をしてみせるが、其の瞳には愉しげな色もほの見えている。

「そなたは昼間の会議の際も、終始難しい顔をしていたな。今回はきちんと枢府すうふを通したであろう」

 手にした扇を広げて口元を隠すと、珠帝は不思議そうな声で問う。

「人界一の軍神が、負けることなど万に一つも無いだろうに、何を案じている」

「……恐れながら申し上げますと、早い開戦に驚いているのです」

 青竜が懸念しているのは、戦の行方ではない。其れよりもむしろ、内政の混乱だった。

 白虎をはじめとする御史の報告により、複数の高官たちが珠帝に叛心はんしんを抱き、動きつつあることが分かっている。中には既に官職を罷免されたり追放されたりした者もいるが、戦よりも、叛逆者たちを完全に駆逐する方が先なのではないか。

 そうしたことは、珠帝自身が重々承知しているはずである。たとえ開戦前から優勢であったとしても、国内の秩序を乱したまま戦争に入った例は此れまでに無い。だからこそ、青竜は言い知れぬ不安を感じていた。

「聖安側はそう祥岐しょうきとの連合を公表した。朱雀の報告より、魔国へ援軍を頼んだことも分かっておる。魔国が本格的に介入する前に……我らが先に動くのだ」

 群臣の前で開戦を告げた時と同じく、珠帝は余裕に満ちた女帝の笑みを覗かせている。だが、青竜には見えていた。何らかの巨大な『脅威』に向けられた……彼女の焦燥が。

「皆の前でも申し上げた通り、茗軍は集結済み。更に西方の同盟国、属国の軍も加わりつつあります。後は陛下が正式に宣戦を布告され、私が全軍に号令するのみ。さすれば先ずは白林から、平らげて御覧に入れましょう」

 何の躊躇も無く断言する青竜は、揺らぐこと無い自信に溢れていた。剣士としても将としても、史上稀に見る英傑として名を轟かせる威厳と誇りが、十二分に表れていた。

「……そなたらしい、頼もしい言葉だ。期待しているぞ」

 珠帝が惜しげもなくこうした言葉を掛けるのは、今も昔も青竜に対してのみ。優れた知性と由緒ある家柄で地位を得た三公でもなければ、権謀術数と権力欲で伸し上がった韶宇翁しょううおうでもなく、只、真心まごころを尽くして茗と彼女に仕える武人にこそ、全幅の信頼を置いているのである。

「だが其処まで言い切っているのに……やはり思うところが有るようだな。妾に隠し事は赦さぬ、申してみよ」

「……は。では、はばかりながら」

 青竜は目を伏せると、もう一度珠帝を真直ぐに見詰めた。そして一息に、今日こそは必ず伝えようと決めて来た『願い』を言い放つ。

「どうか、邪神とお手をお切りください」

 単刀直入な言葉に流石の珠帝も驚いたのか、彼女は赤い双眸を見開き、やがて細めた。

「私の不甲斐なさが……お恥ずかしい。此の命を懸けて、陛下がお望みのもの全て揃える所存です。ゆえに……まがつ神と結ぶことは……どうか」

――確かに、私に残された時は後少し。だが私には、其の『時』と引き換えに得た力が有るのだ。

 揺れ動きの無い淡々とした調子ではあったが、此れは青竜の嘆願だった。彼が珠帝に仕え始めて二十年以上経つが、珠帝の為すことに異議を唱えたことは数える程しか無い……だからこそ、彼女は不快げな顔一つしない。何か考え込んでいる顔で黙した後、首を横に振って答えた。

「青竜、此ればかりは、そなたであっても……口を挟むな」

 其れは完全なる拒絶を示す、有無を言わせぬ言葉だった。

「……申し訳ございません。しかし」

 元より拒まれるのは覚悟の上だったのか、青竜は少しも怯まず、引こうとしない。 

「しかし、何卒なにとぞお聞き入れください。人ならざる者と結ぶは、御身を削ること。いずれは……私のように」

 皆まで言わぬうちに、珠帝が椅子から立ち上がって彼を制止した。面で覆われた彼の左眼に手を伸ばし、見入る様は、愛おしいものに見惚みとれる眼差しに良く似ていた。

 やがて其の視線をやんわりとかわすと、青竜は静かに後ろへ下がる。

「陛下、余り長く触れられていますと……御身に穢れが移ります」

 彼がそう言った途端、珠帝は顔色を変えた。表われたのは悲痛の心であり、君主たる彼女が押し殺している戸惑いの片鱗であった。

「穢れなどと……言うてくれるな。そなたの苦しみは、茗を……妾を護るために刻まれたものぞ。本来ならば、国の主である妾こそが背負わねばならぬもの」

 あの『黒の力』を受け入れ、ひたされた珠帝の気は、今や青竜自ら諫言かんげんせざるを得なく為るまでに変容した。だが改めて、彼は確信する。力が、身体が変われど、国主としての彼女の心は未だ清冽せいれつで純粋。珠帝という女は、限り無く王なのだ、と。

「其れに……気付いておろう? 今、真に穢れているのは妾ぞ。今更『彼の君』から離れられたとて、最早後戻りは出来ぬのだ」

 かく言う珠帝には、自分が選んだ道に対し悔いている様子がまるで無い。其れは非常に彼女らしく、己の行動に絶対の自信と責任を持つ、理想的な王の姿であった。

「此れが妾のやり方だ。他の誰でもない、王である妾が決めた……茗を治める最後の方法だ」

「最後の……」

 青竜にさえも、此の言葉に潜んだ珠帝の真意は分からなかった。彼女にも、敢えて説明する気は無いらしい。

「青竜よ。そなたは妾の身を案じているのだろうが、気遣いは無用。妾には、悔いることなど何も無いのだから」

 其処で言葉を切り俯いた珠帝は、自分の指で額を抑えて暫し何かを考えていた。

「いや、強いて言うならば……只、一つ」

 首を左右に振りながらもう一度青竜を見ると、呟くように付け加える。

「玄武に……聖安との戦で剣を振るう場を与えてやれなかったことは、悔いている」

 思わぬ発言に、青竜は僅かに目を見開いた。

「やはり……玄武を『殉死』とされたのは……」

 珠帝は青竜にさえ、玄武の存在を抹殺した理由を話していない。其れだけではなく、彼を遠い随加でくすぶらせていた理由も、明かしていない。そして今も、多く語る積もりは無いようだ。

 しかしはっきり問わずとも、珠帝が苦笑に近い笑みを湛えているのを見て、青竜には主が真に意図していたことを汲むことが出来た。そして、此れ以上玄武について話したとて、今更如何にもならないということも分かっていた。玄武は女帝の名により死したと公表され、戦の動機の一つと為った……如何転んでも、其の『事実』は変えようがないのである。

 室の片隅にある、鳳凰をかたどった剣掛け台の許に歩いて行き、珠帝は自分の長剣を取る。手慣れた様子で鞘から引き抜くと、片膝を付いたままの青竜へ、夕光に煌めく銀の刃を向けた。

「青竜上将軍、勅令である。我が茗軍、及び西方同盟の全軍を率いて聖安を滅ぼせ。紫瑤しようから恵帝を引きずり出し、首級を上げよ」

 そう告げた時、珠帝の瞳は煌煌こうこうと輝いていた。憂いも哀しみも既に消え失せて、昂然こうぜんとした面持ちには烈々たる気迫が籠められていた。

「……御意」

「姫を失い、国を奪われた失意をあの美貌に刻み込み……首だけと為ったあの女を、早う見たい」

 灼熱した焔のように激しく、強く、残酷。其の艶美さで人を魅了し焼き尽くす……其れは、青竜が良く見知った珠玉という女其のもの。今や人界一の神人と為った彼が、人生を捧げて仕えると誓った唯一人の女であった。

「既に我が領土に居る二人の公主以外、皇族は全て殺せ。聖安の民も、大地も、海も空も……全て我が茗のものとするのだ」

 此の女は絶え間無く闘争心を燃やし続け、あらゆるものを勝ち取ってきた。他国に攻め込んで領土を広げ、地位を、名声を、富を……掴み取ってきた。 

「御意に従いましょう」

 珠帝の前に立っている時は、呪われた彼の身体も痛まず、軋まない。あの邪悪な金竜さえも、此の王のたぎる心に押さえ込まれているのか……或いは、珠帝に仕えているという至福の為せるわざなのか。

――私が貴女の御許みもとで……剣を振るうことが出来なく為る時が来るまで。

 主の視線の先で誓いを立てる青竜には、『其の瞬間』が近く訪れるであろうことが分かっていた。そして『其の時』こそ、人界最強の神人である彼が確実に命をなげうたねばならぬ時。

――全ては、茗と陛下のために。




 退室を許され、青竜は主の室を出た。再び面で顔を覆うと階段を下り、其のまま朱鸞しゅらん宮を後にしようとしたが、微かに漂う気配を察知し突然足を止める。大きな柱に眼をやり、向こう側で此方を窺っているであろう人物に声を掛けた。

「私の側をうろつくな、目障りだ」

 刺々しい言葉を投げ付けると、柱陰から黒衣の女が現れた。

「……良いのですか? 貴方のお耳に入れるべきことが有り、参りましたのに」

 女は意味深長な笑みを頬に含み、青竜に近付いてゆく。

「我が主が力を貸し与えているのは、陛下だけではありませぬ」

「何?」

 青竜が興味を示したのを見て、女はより一層口角を上げた。

「あの、美しい方……紅に燃ゆる神鳥しんちょうの名を戴く、輝石の如き瞳をした、優しい方ですわ。貴方の大切な方ではなくて?」

 彼女の言う人物が誰であるのか、青竜は瞬時に気付いた。同時に、強張った表情を更に険しいものへと変えていく。

「……まさか、貴様……黒巫女」

 かたくなな青竜の心を揺り動かした黒巫女……瑠璃は、其の口元を満足げに歪めて話し続ける。

「決して手の届かぬそらの君に心を奪われたために、我が主の許へ参られた。主に願い、力を得て……此れが何を意味するか、貴殿にはお分かりでしょう」

「朱雀を、如何どうした」

 胸に突き上がる激情を制し、平静を保った声で問いただす。

「……香鹿こうか村にて、直接ご覧ください。ご心配ならお早く出発なさいませ。急がれれば『間に合う』かもしれませぬ」

「香鹿だと……?」

――信じて、良いのか。

 珠帝に命じられた通り、自分は直ぐにでも白林攻めのため国境へ発たねばならぬ。真偽も定かではない黒巫女の言に乗せられて……良いはずが無い。

――かと言って、紅燐こうりんを放っておくわけにはいかぬ。

 朱雀……紅燐は青竜にとって、只の部下というだけではない。少女の頃から師のような立場で成長を見守ってきたこともあり、深い絆で結ばれた間柄なのだ。元来律儀な彼にとって、紅燐を捨て置くことなど耐え難い。

――行くしかないか。

 決意した青竜は、瑠璃に背を向けて再び階下へと下り始める。香鹿なら、紅燐の様子を確かめた後国境へ向かっても、大した遠回りには為らないと踏んだのだった。

 瑠璃は何の言葉も発さず、下りゆく青竜を見送っている。結局のところ、彼女が何を企んでいるのか探ることは出来なかった。心の制御に長けた黒巫女の胸中を覗き、狙いを見抜くことは、やはり至難の業であるようだ。

――何が有ったかは分からぬが、あの黒巫女……隠神術が弱まっていた。

 短い時間で気付けたのは、其の一点のみ。だが今の青竜には、黒巫女に関して此れより先に立ち入る余裕が無い。刻一刻と迫る命の期限までに、主命を全て……遂げねばならぬのだから。


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