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金色の螺旋  作者: 亜薇
第七章 光焔の剣
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十二.昏暁

 其の日の朝も、緑鷹りょくようは身を潜めている隠れ家で目を覚ました。

――何度目だろう。こうして共に朝を迎えるのは。

 やおら上体を起こし、同じ寝台で眠る美女を見下ろす。窓から差し込む朝日を浴びて、白く輝く玉肌ぎょっきに触れると、大抵は無理に揺り起こしてもう一度抱きたく為る。だが不思議と、今朝はそんな気分に為らない。

 暫くの間、只女を見詰めていた。欲望の眼差しではなく、余り彼らしくない穏やかな瞳で……只、見惚みとれていた。

 彼の女は、男ならば一度は己が手中に収めたく為るであろう至上の美貌と、悦びを与えてくれる淫らな肢体を持つ。また幾ら愛欲を注がれても、男の色に染まらぬ意志強き女である。しかし……気の所為だろうか? 緑鷹の目には、彼女の眠っている時の顔が何処か優しげで、また寂しそうにも見えた。

――寂しい……か。此奴こいつがそんな感情を抱き得るのかは、怪しいが。

 時折、此の女は本当に人の子なのかと疑問に思うことが有る。女が身に付けている人離れした不可思議な神力や、何か人を超越した様子がそう思わせるのだ。

「今朝は……抱かぬのか」

 何時の間にか、女も目覚めていた。長い黒髪を掻き上げ、静かに身を起こして緑鷹と向き合うと、彼の厚い胸板に掌を当てる。

「……詰まらぬ。私は貴殿の底無き欲が気に入っているのに、近頃は以前のように激しく求めてくれぬ」

 艶やかな笑みで言う女に、緑鷹は半ば呆れた。ほぼ毎日、女が此処に帰ってくる度にむつみ合っているのは、以前と変わらぬではないか。

――片手を失い体力も落ちている中、毎晩のように共寝ともねしているだけでも自分を褒めてやりたい程だというのに。

 女に命を助けられ、其の正体を知ってからも、彼と女の関係は変わらなかった。蒼稀蘢との戦いで死を覚悟した時、自分が女に心を奪われていたことに気付いたが、その後も女に求めるのは身体だけ。彼女の心までも欲しいとは……望まなかった。

――そもそも、此奴に『心』が有るとは思えないんだがな。

……だがそんな女だからこそ、彼は惹かれたのだ。

 緑鷹には茗で暮らす妻を含め、子を産ませた女が数人おり、子も複数いた。しかしどの女とも、子とも、聖安に行ってからは一度も会っておらず、既に顔や名すら定かでない者も居る。茗に戻ってからも会いたいとさえ思わなかった。

 其れなのに、此の女……瑠璃は違った。瑠璃だけは何が有っても手放せない、自分が唯一情を持った女と為った。

「……行くのか」

 寝台から抜け出た緑鷹の背中に、瑠璃が声を掛ける。

「陛下に会う前に、『手土産』を用意せねばならん」

 其の言葉が何を意味するのか、瑠璃にはちゃんと分かっていた……いや、分かっている積もりだった。

「一つ、言っておく。珪楽に『非天』である私は入れぬ。貴殿が死に掛けても、私は如何どうしてやることも出来ぬ」

 一瞬、緑鷹は自分の耳を疑った。瑠璃が何故そんなことを言ったのか、全く分からなかったのだ。

――やはり俺が死ぬと、何か困ることでも有るのか。

 随加ずいかで助けたことといい、蒼稀上校の居場所を教えたことといい、瑠璃は自分に何らかの利用価値が有ると思っているのだろう。だが其れが何なのかは、緑鷹には読めない。瑠璃は自分のことは一切話さないし、緑鷹も知ろうとは思わなかったからである。

「余計なことを案ずるな。戻ったら、またおまえを抱く」

 其の『約束』は、半ば守る積もりで、半ば守る気の無いもの……緑鷹の方もまた、瑠璃に自分の腹の内を完全には明かしていなかったのだ。











 完全に優位に立った今と為っても、隙を作る気配の無い玄武。此の男の瞳に有るものは、憎悪でも怒りでも、愉悦でも優越感でもない。只一向ひたすら、淡々と、身体を起こせぬ蘢に止めを刺さずに痛ぶるのみ。

――立たないと……今、立ち上がって闘わないと……!

 自分を奮い立たせようとするが、力は戻らず抜けてゆくばかり。上から降ってくる玄武の足を掴んで倒し、側に投げ出された剣で応戦しようと考えたが、胸も背中も、身体の至るところが痛んでとても実行出来そうにない。

――こんなところで……死ぬ覚悟など……してたまるか。

 傍らの天真を横目で見やり無事を確認してから、再び玄武を見上げる。蘢の眼には未だ闘志が宿り、諦めの色が全く無い。闘う意思を無くしてしまった時こそ、命を失う時であると……歳若くして幾多の修羅場を抜けてきた彼は、良く知っているのだ。

 とつとして、玄武の攻撃がぴたりと止んだ。嵐が突然過ぎ去ったかのような静けさが辺りを覆い、暫しの沈黙が流れた。

「……ふん、気に入らん」

 吐き捨てると、玄武は地に刺していた剣を手に取る。

「其れだける気が残っているなら、俺を殺せる力を見せたら如何どうだ」

 言い終わらぬうちに、玄武は剣の切尖を真っ直ぐに向けた……天真の方へと。

「天……真……!」

 血に塗れた剣が自分を狙っていることに気付くと、天真は腰を抜かしてへたり込んでしまう。

「あ……あ……!」

 逃げなければならぬと頭では分かっていても、幼い少年には無理が有る。蘢が身を起こして助けなければ、血に飢えた獣の手にり天真は死ぬだろう。

 満身創痍まんしんそういの蘢は、思うように働かない身体に鞭打ち、ねじり、揺らして力んだ腕を立てる。腕の次は膝を動かし、上体、下体と起こしてゆく。

「させ……るかぁ!!」

 玄武が剣を振り被った瞬間、蘢は彼の両足にしがみ付いて身体の均衡を崩させた。更に玄武がよろけた所を覆い被さり、残った片手を捻り上げて剣を奪うと、瞬く間に右肩へと突き刺した。

「ちっ……!」

 刺された玄武は肩を後ろに引くが、蘢が離さない。剣を刺した状態で骨肉をえぐりながら腕まで下ろし、切り裂いていく。黒みを帯びた血が噴き出して、蘢の顔面に降り掛かる。

 左と右、両の手を潰された玄武には、武器を持つことは出来ない。加えて今は、蘢が玄武の身体を地に押さえつけている格好に為っていた。

――今しか……ない。

「天真! 眼を閉じておけ!」

 蘢は叫ぶと、玄武の腕に突き立てていた剣を抜く。右腕を脚で押さえつけて動けないようにし、首筋に剣を近付ける。

――今こそ、玄武を殺す時。

 随加で闘った時は、麗蘭の前で殺すのを躊躇したため、逃げられた。今も天真の居る此の状況で迷いは有るが、手を下さない訳にはいかない。既に自分が殺すか、殺されるかという選択肢しか無いところまで来ているのだ。

――そう、殺すべきなんだ。其の証拠に……先刻まで動かなかった身体が嘘であるかのように軽い。

「玄武、今度こそ……貴様を討つ」

 ところがそう言い放った時の玄武の表情は、蘢が予想していないものだった。絶望するのでも、悔しがるのでもなく……何か、全てを受け容れた顔。何の言葉も発すること無く、只、虚しさを滲ませた顔。

 此の玄武を見た時、蘢はふとこう思った。初めから『納得』していたのではないか? と。だが何故そんな考えが頭を擡げたのかは、自分では良く分からなかった。そしてそう思ったからといって、蘢の決意が変わることは無い。

 今一度、蘢が剣を握る手に力を籠めた刹那。少し離れた位置でにわかに、大きな力がぜた。其の力は『黒』の波動を成して、今まさに玄武の首を斬ろうとしていた蘢を襲った。 

 突風の如き力の塊を受け、いとも容易く吹き飛ばされた蘢は、玄武からやや遠い地面へと叩きつけられた。驚いていたのは玄武の方で、右肩の傷を押さえながら神術が飛んで来た方向へと向き直った。

「瑠璃……?」

 玄武が目をやった其の先に立っていたのは、黒衣の女。黒く長い髪を垂らし、真白い肌をした……美しい女だった。

――瑠璃……だって?

 倒れ伏した蘢も慌てて其の人物を見ようとするが、身体が動かない。何だか視界も霞んでおり、黒い人影がうっすらと目に映るだけである。更に気を探ろうとしてみるが、其の場に居る玄武と天真以外の神気は感じられない。

――あの、黒巫女の……? だとしたら、何故聖域に……?

 蘢が心中で抱いた疑問を、玄武も同様に募らせていた。

「何故……来た。おまえ、此処には来られないはずでは……」

 分からないと言いたげな玄武には答えず、女は蘢の方へと手をかざして呪を唱える。先程玄武が使ったのと同じ類の風刃が、倒れて動けぬ蘢の方へと地を裂きながら伝って行く。女……黒巫女瑠璃は、蘢を殺す積もりでいるのだ。

――駄目だ、避けられない……!

 起き上がることも出来ず、女の攻撃を防ぐ神力も出ない。天真を守るため、辛うじて残った気力も使い果たしてしまったようだった。

 目を閉じ、迫り来る死に絶望し掛けた時、人の影が現れた。彼は腕を広げて左右に足を開き、小さな身体で蘢を護るかのように立ちはだかる。

 其の時、蘢には何が起きているのか分からなかった。眼前に立つ少年が天真であることは見て取れたが、黒巫女の放った烈風が何故、何時までも自分に届かぬのかは、全く窺い知ることが出来なかった。

 まじろぎもせず女を直視する天真は、一心不乱に呪を唱えていた。彼が防術を発動させ、周囲を神力の壁で囲い込み、鋭い風刃ふうじんを受け止めていたのだ。

 顔を上げられない蘢とは異なり、瑠璃と天真の攻防を見ていた玄武は、幼い少年が黒巫女の力を押さえ込んでいることに驚愕した。やはり瑠璃は強く、天真の防壁も長くは保たないと明らかだったが、彼が発している神気の大きさが尋常ではないことに変わりはない。

――あの子供は、一体……!?

 玄武が驚いているのも束の間、瑠璃は直ぐに攻撃を止めた。彼女が手を引いた理由が、聖域の中で黒の力を放つのは苦しいからなのか、応戦したのが幼い少年であったからなのかは、分からなかった。

 天真と蘢へ向けられた手を下ろすと、瑠璃は踵を返して玄武の方へ近付いてゆく。目を見開き言葉を失っている玄武の側で、彼女はそっとささやいた。

「蒼稀蘢を殺しに来たのではなかったか? 死に場所を与えてやった訳ではないぞ」

「……何のことだ。俺は、本気でやった」

 玄武は片眉を上げて薄っすらと笑んだ。対する瑠璃の顔には特段表情が無く、不満そうな様子も見られない。

 肩から流れる血を気にすることも無く、玄武は倒れている蘢に向かって声を掛けた。

「惜しかったな。またしても俺を殺し損ねてくれた礼に、一つ教えてやるよ」

 疲労と焼け付くような痛み、傷の出血により消え入りそうな意識を何とか保ちつつ、蘢は耳を傾ける。

「聖安の二の姫は、『恭月塔』に居る。良く聞け……『彩霞さいか湖』の傍に在る、『恭月塔』だ」

――な……!?

 何故、玄武がそんな発言をしたのか、蘢には皆目見当が付かなかった。茗の重要な機密である事実を漏らす真意も、そもそも情報の真偽すら分からない。問いただそうとするも、上手く声が出せない。

「恭月塔には『虎』が居る。そいつに噛み殺され、八つ裂きにされるだろうよ……の塔が、おまえの死に場所だ」

 其処まで言うと、玄武は瑠璃の方を見やる。まるで玄武が、蘢を殺そうとした瑠璃を制止しているかのようだった。

 其れに対し特段反応すること無く、瑠璃は玄武に歩み寄る。血だらけに為った右腕にそっと触れると、上目を遣って彼を見た。

「……蒼稀上校を殺さぬのなら、気が済んだだろう。行くぞ」

 促され、玄武は蘢に背を向けた。瑠璃が呪を唱えると、二人の身体が黒い霧と為って溶けてゆく。

――一体……如何どう為っているんだ……?

 玄武と瑠璃が完全に姿を消して漸く一息ついた蘢は、身体の向きを変えて陽が落ちたばかりのくらい空を仰ぐ。

――玄武と黒巫女が繋がっていた……玄武が僕を殺そうとしなかった理由は? 蘭麗姫の居場所を伝えてきたのは……?

 蘢には状況が掴めなかった。頭が混乱し、思考が錯綜して訳が分からなかった。

「蘢さん、大丈夫……?」

 近付いてきた天真が、心配そうな目で覗き込む。余程恐ろしかったらしく、敵が去った今でも身体と声を小刻みに震わせていた。

「……ああ」

 天真が居なければ、本当に危なかった。彼が瑠璃の攻撃を防いでくれなければ、確実に自分は死んでいた。蘢は勇気ある小さなげきへと震える腕を伸ばし、力の入らない手で何とか彼の頭を撫でてやる。

「……とりあえず、血を止めるね。あとは他の怪我の様子をせてもらって……」

 徐々に、天真の声が遠ざかってゆく。突然緊張がほぐれたためだろう。強烈な眠気が蘢を襲いまぶたが重く下がり始め、無理をして保っていた意識がぼやけていった。

――麗蘭は……無事神剣を手に入れられただろうか。まさかとは思うけど、玄武と瑠璃……麗蘭の所に行ったりはしていないだろうな……? 確かめないと。

 麗蘭を案じると同時に、頭に浮かんでくるのは蘭麗姫のこと。

――奴の言うことが本当なら……一刻も早く行かなければ……『恭月塔』に。

……やがて蘢は、ゆっくりと目を閉じる。彼はまたも、命を賭して強敵を退けたのだった。

これにて第七章は完結です。

活動報告に後書きを掲載しておりますので、よろしければあわせてご覧ください。


いつもお読みいただきありがとうございます。

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