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金色の螺旋  作者: 亜薇
第一章 真実の名
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六.月白の姫君

 海と見紛う程広く、虫の音すらも聴こえぬ遥かな湖畔。黒い水面の鏡に、白い望月が映し出されている。周囲には森が広がり、僅かに風が吹いて草木がそよぐ。

 月光に照らされた其の素晴らしい景観の中に、高い塔が周囲の自然に溶け込むように立っていた。湖の岸辺にそびえ、七層八角の壮麗な外観である。

 其の最上階に、塔の主の居室があった。

 主というのは名目だけで、彼女は幼い頃に此処に連れて来られてからというもの、塔の外に出ることを許されぬ囚われの身。

 下女に持って来させた書を読み耽り、暇を潰す。そうでなければ窓辺に座って地上を見下ろし、森の向こうにある敵国の帝都と、離れて久しい祖国の方角を交互に眺める。誰かと会うどころか、ふみを書くことも受け取ることも出来なかった。衣服や食事など何不自由無い生活を与えられてはいるが、此処に自由は無い。

 彼女の名は聖安帝国公主、清蘭麗。九年前、聖安と茗が停戦するために犠牲となった姫だった。

「……紫暗しあん。其処に居るの?」

 仄かな月影に映し出されたのは、かつて聖安において「国の至宝」と称えられたままの麗しい姿だった。胡桃くるみ色の長い髪に、月白つきしろ色とも藍白あいじろ色ともとれる透き通った双眸の、あどけなくも高貴な顔貌かおかたち

 何時ものように夜の湖を見下ろしていた姫は、御簾みすの向こうに控えている人物に声を掛けた。

 男は立ったまま答えない。彼は気配を潜め、時折こうして姫の部屋にやって来るのだ。

 何年前のことになろうか――蘭麗が此方に連れて来られて少し経った後、彼は今夜と同じく御簾の向こうに立っていて、名を尋ねても答えぬまま去って行った。其れから数回後、彼は漸く「紫暗」と名乗ってくれた。

「貴方は気配を消すのが上手だけれど、私も神人かみひとの端くれ。貴方のような強い神人の気は読み取れるのよ」

 此処で何度も会っているというのに、蘭麗は紫暗の顔を一度も見たことが無かった。彼は決して御簾の中に入って来ない。そして蘭麗もまた、其のとうとい生まれゆえに自ら姿を見せるようなことはしなかった。

――だって、紫暗は……茗の者。珠帝の配下だもの。油断は出来ない。

月白つきしろの姫君」

 紫暗は蘭麗のことを、何時からか「月白姫」と呼び始めた。彼女は其の美しき呼び名を常々疑問に思っていた。彼は何故、自分の瞳の色が月白色であることを知っているのだろう。何処かで自分の顔を見たことが有るのだろうか――と。

「近く、陛下が貴女さまを尋ねて此方へ居らっしゃるそうです」

 其の言葉を聞き、蘭麗は大きな溜息を吐きたくなるが、辛うじて堪える。

「……分かったわ」

 彼女を捕らえて此処に幽閉している珠帝。数年に一度此処に来ては、姫の様子を窺って帰って行く。

 あの女は……恐ろしい。初めて会った時からずっと恐ろしかった。けれど其の心の内を、決して悟られてはならない。聖安の誇り有る姫として、敵国の王に怯えている素振りを見せるなど有ってはならぬことなのだ。

「其れでは、今宵は失礼します」

 音も立てずにきびすを返し、出て行こうとする紫暗。

「今夜は其れを伝えるだけの用向きだったのね。何か……寂しいわ」

 口に出して、蘭麗は思わず自分の口を塞いだ。

――何を言っているのかしら、私は。

 彼に、珠帝の手の者に、そんなことを言うつもりは毛頭無かったというのに。

 だが、其れが彼女の本心だった。紫暗は口数は少ないが、時に面白い話を聞かせてくれる。彼自身のこと、茗のことや聖安のことは教えてくれないが、他国のことや歴史上の英雄のこと、神々のことや妖のことなど、かなりの知識を披露してくれる。

 其れでも、彼は珠帝に近い配下なのだ。今夜のように、主からの命令を伝えて帰って行くこともある。

「……何でもないわ、忘れて下さい」

――足を止めて、此方を見ている。

 御簾越しで見えなくとも、何となく気配で分かった。

「もう、例の夢はご覧にならなくなりましたか?」

「え?」

 不意に聞かれ一瞬戸惑ってしまう。

「最近は良くお休みになられていると……下女から聞きましたので」

 彼が言っているのは、少し前まで姫が見ていた悪夢の話だ。

 蘭麗は身の内に珍しい神力を秘めている。夢で未来を予知する力だ。一年程前からずっと、酷く不吉な夢に悩まされていた。

――誰だか分からないけれど、大切な誰かを……亡くす夢。

「……ええ、一週間程前からはたと見なくなりました」

 予知が外れたからか、運命が変わったからか……其れとも、既に誰か死んだのか。

 確かめることさえ今の彼女には出来ない。

「左様ですか」

 紫暗は深く息を吐いて、其のまま静かに出て行った。

「私のことを、案じてくれたのかしら?」

 そっと御簾を開き、誰も居なくなったことを確認してから独り、呟く。

――まさか、ね。

 首を横に振ると、再び窓際の椅子に腰掛け溜息を漏らすのだった。

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