三.敵地潜入【2】
「瑠璃が言ってたから、蘢はもう気付いてると思うが……俺は、母親を黒神に殺された」
最初の一言だけで既に、麗蘭は訊ねたことを後悔した。思わず蘢の方を見ると魁斗の言う通り何かしら知っていたようで、深刻そうな難しい顔をしている。
「俺の母は、かつて天界で『五闘神』に数えられた薺明神という女闘神だ。千五百年前、黒神が邪神と為った時……他の五大が奴と妖王と闘って殺されたにも拘わらず、只一人生き残ったことを悔やみ続けていたらしい」
「五闘神……薺明……!」
――魁斗の母が、其れ程の大物とは思わなかった……!
麗蘭は繰り返した言葉を詰まらせてしまう。蘢とて同じであった。語り継がれる『薺明神』とは、天帝聖龍に剣を指南し副官として仕えたとされる天界一の闘神である。
「十数年前、俺が未だ餓鬼の頃。黒神の封印が解かれ、天界は騒然となった。奴を討とうとする者が次々と名乗りを上げ、奴の許に向かったが……誰も帰ってこなかった。俺の母も自ら天帝に嘆願して許され、たった一人で奴を討伐しに行ったんだ」
過去を語る魁斗は至って冷静で、何時にも増して落ち着き過ぎている程だった。しかし碧く澄んだ瞳には迸る炎が映し出されており、彼の心には其の火焔と似たざわめきが、叫び声が、激しいうねりと為って押し寄せているのが伝わって来る。
「俺は其の時……母が命懸けで黒神と闘っている時、何時も通り魔界で暢気に過ごしてた。そして気付いた時には……俺は何故か、奴と母の目の前に居た」
胡座をかいた足の上で組んだ手に、ぐっと力を籠める魁斗。そんな彼を見て麗蘭は、話を止めたい気持ちと続きを聞きたい気持ちとで揺れていた。
「……突然死闘の場に連れて来られた俺が見たのは、血塗れに為った母の最期の瞬間だった。奴は俺を一瞬だけ見て……嗤って、止めを刺した」
其処まで話すと、魁斗は浅く息を吐いた。暫く誰も言葉を発さず、薪の切れ端がぱちぱちと燃える音だけが響く。
「黒神は……母を殺した後、俺が放心しているのを見て嗤っていた。口も開けず声にも出さずに、只静かに嗤っていた。其の時は頭が真っ白だったが、後で考えれば簡単に分かった。奴が態と俺に見せたんだってことを」
彼の話を聞きながら、麗蘭は黒神と直接顔を合わせた時のことを思い出していた。一度見れば忘れはしない、寸分の隙も無いあの冷たい美貌で、魁斗を含めどれだけの者を弄び……苦しめて愉しんできたのだろう。
「赦せないな……」
胸の奥から絞り出してきたような声で言うと、麗蘭は唇を噛んだ。
「魁斗……おまえの無念を完全に解することなど、未熟な私には出来まい。だが、此れだけははっきりした……奴を赦してはおけない」
彼女は声を震わせていた。白林のことといい、魁斗のことといい、黒神の卑劣な行いに、ただただ怒りを覚えるばかりだった。
「僕も同感だよ、魁斗」
そして蘢も、麗蘭以上の憤りと魁斗に対する同情を抱いていた。自分から言い出すことは無いが彼にもまた、理不尽にも両親を殺された過去が有る。魁斗の憎しみは痛い程良く分かるつもりだった。
「……ありがとうな、二人とも」
幾らか気持ちを鎮めた魁斗は、僅かばかりか顔を綻ばせていた。煤で汚れた鼻を指で拭うと、頭に両手を当てて坐したまま背筋を伸ばす。
「……もしかして、君が魔界を出て旅をしているのも……黒神を斃すため?」
魔国の王位を継ぐのに十分な実力を備えていながら、敢えて手放した魁斗。蘢は以前から、其の訳に興味が有った。
「ああ……其れが半分の理由かな。旅をしながら色んなものを見て、狭い魔界に居たんじゃ分からなかったことを識って、強い奴とも何度か戦って……此れからもそうしていこうと思ってる」
黒神を滅するという目的を持つ魁斗にとっては、こうして麗蘭たちに同行しているのも布石の一つなのかもしれない。数日前に本人が言っていた通り、彼の望みを果たすには麗蘭の存在が不可欠なのだから。
「其れで、残りの半分というのは?」
無理に答を求めている言い方に為らぬよう極力気を配りながら、麗蘭が問うた。
「後の半分は……」
気の所為だろうか……先程とは異なり、魁斗は話すのを渋っているように見受けられる。
「何ていうか、嫌になっちまったんだよなあ……家が」
其れは、些か繕った答えだった。
「母親が死んじまった辺りからずっと嫌気が差してて、いよいよ親父も死んで継承者決めって時に……限界が来た。こんなんじゃ魔王に為ったって迷惑なだけだしな」
此の答えは嘘偽りでは無いが、深層を隠した一部分しか表していない外向けのものに聴こえた。麗蘭にも、蘢にもだ。
――他にも……何か有るのだ、魁斗には。
麗蘭は直感する。彼は母のこと以上に、人に話したくない何かを抱えているのだと。
「我が儘を言って、随分好き勝手にやらせてもらってる。国の為に働いている蘢や、宿の為に直向きに修行を続けてる麗蘭には、頭が上がらないな」
「そんなことはない」
魁斗らしくもない自嘲気味な言い方に、麗蘭は首を振っていた。
「私は魁斗が共に来てくれて嬉しい。未だ出会って数日なのに、とても助けられている。そして、恐らく……此れからも」
「其の通りだよ。君が居なかったら、僕なんか琅華山の妖の餌に為っていたかもしれない」
すると、本当に数瞬だけ……魁斗が二人から目を逸らしてはにかんだ。火の光が当たっているとはいえ暗いので非常に見えにくかったが、麗蘭には確かにそう見えた。
――やはり、最初に思った通り……気取らぬ男だ。
其れが、麗蘭が魁斗に対して抱いた印象だった。完全無欠に見えて、決してそうではない。神の如き力を持ちながら、其の心は実に人間らしい。そういう処に、何か心惹かれるものが有るのだろう。
そしてそんな彼だからこそ、本人が話したくないであろう過去まで気になってつい立ち入ってしまうのかもしれない。
「まあ、蘭麗を助け出すまでは俺も全力を尽くす。期待に応えられるよう努めるよ」
何時の間にか、魁斗は明るい笑みを漏らしてすっと立ち上がっていた。
「そろそろ休もう。明日向かう先は、明日の朝考えよう」
「……そうだね。流石に今日は、一寸疲れた」
自分から疲れたと言うなど、蘢にしては珍しい。だが彼の負っている怪我と、昼間の戦い振りを思えば無理も無い。
少しずつ間を空けるようにして横に為り、三人は就寝の準備をする。ところが魁斗だけは、突然何を思い立ったのか、再び立って深林の奥を注視する。
「……此の辺りを見回って来る。おまえたちは先に休んでてくれ」
「何か有るのか?」
麗蘭は身を起こして魁斗を見るが、特段警戒している様子は無い。
「いや、暫く夜風に当たりたいと思っただけだ。直ぐ戻るから」
言い終わらない内に、彼は一人で歩いて行ってしまった。横たわった時からどっと疲れが現れていた麗蘭は、瞼が重くて此れ以上開けていられず、其のまま閉じてしまう。
仰向けに寝転んでいた蘢は、魁斗が居なくなり麗蘭が眠り掛かっているのを見ると、おもむろに起きて身体に掛けていた自分の外套を持ち上げる。麗蘭の許まで歩いて彼女に掛けてやると、もう一度元の位置まで戻って横臥する。
――本当に風に当たりに行っただけなのか、一人に為りたかっただけなのか、或いは……何か嫌な気配でも感じたのか。
何れにせよ、蘢は此処で起きて待っていなければならない。結界が張られているとはいえ、休んでいる麗蘭を置いて行くなど言語道断であるし、自分も寝てしまうことも、其れと同じ理由で出来ない。
眠れなくとも、横に為っているだけで身体を休めることは出来る。
魁斗が言い置いた通り、直ぐに戻って来てくれることを信じて、蘢は軽く目を閉じた。
魁斗が語る黒神との因縁は、関連する話が「荒国に蘭」の一章七話「紅の静寂」にあります。




