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金色の螺旋  作者: 亜薇
第六章 妖霧立つ森
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八.鳴動する魔山【1】

 生を感じ得ぬ、清閑な狭霧さぎりの森。麗蘭は其の黒緑こくりょく天蓋てんがいの下、千の齢を重ねた老樹にもたれて地に座り、睡郷すいきょうから戻り掛けていた。

――今度は、現だろうか……?

 目を醒ました麗蘭は、まぶたを上げて視線を巡らす。相変わらずせ返るような邪気の中で意外にも、身体にはさほど影響を受けていない。意識を消失した後、身の内に秘めた神力が独りでに己が身を守ったらしい。

――不甲斐なくとも、眠る力は立派に神巫女の力……か。

 苦笑を漏らし、寄り掛かっていた樹に手を付いて立ち上がる。袴に付いた泥を払い、周囲を注意深く探り始める。

「物凄い……黒神の気が……」

 手の甲で口元を覆い、我知らず声に出してしまう程、存在を主張する邪神の神力。麗蘭は呪を唱え、身の回りに結界を張り直して守りを固める。

――もしや、此の近くに『元凶』が……?

 此の魔山に入った目的でもある、妖を操る黒き力の源。見つけ出して排除し、妖たちの白林来襲を防ぐことで、黒神の邪悪な計画を砕かねばならない。

――蘢や……魁斗のものらしき気は、感じられない。

 彼らの身を案じつつも、今は無事だと信じるしかない。彼らの光は邪な力の壁に阻まれ、此処までやって来ないだけに違いないと。

「私だけで行くしかない……か」

 単独で進むと決めた麗蘭だが、以前のように只、独りで為さねばならぬという考えに突き動かされている訳ではない。無数の敵が息を潜める此の森では、手掛かり無く下手に探し回るのは得策ではない。目標が見えている今、自分だけで進むのは危険だと承知しつつも、先に動いた方が良いと冷静に判断したのだ。

 目指し歩み行く方向は決まっている。黒の気が満ち満ちている方へと進めば良いだけなので、至極簡単である。

 身体が受容せぬ神気に触れ寒気立つのに耐えながら、陰湿な黒土に足を取られぬよう注意して歩く。直感だが、此処からそう遠くないと踏んでいた。進めば進む程に、禍々しい神の力に依って妖気が塗り潰されてゆくのだ。

 群がり立つ黒い木々の間を抜けると、比較的開けた場所に出た。其処に横たわっていたのは、目を疑う程奇怪で底気味の悪い……黒紅色の水をれた沼だった。

「此れも……黒神の穢れなのか」

 濃密な黒の気が、此処を起点にして外部へと流れ出している。麗蘭は、此の古沼が琅華ろうか山の中心部であると見抜く。恐らく黒神の支配を受ける前は、妖気の苗床だったのだろう。

 ほとんど間を置かずして、麗蘭は根源たる毒巣を見付ける。其れは沼の水際に突き立てられた、大きな剣。透き通った黒石の、美しく底光りする見事な長剣だった。

――何故だろう……何処かで見憶えが……?

 剣が放つ息苦しい程強力な黒の神気には、奇妙な既視感を覚える。何処で誰が振るっていた剣だったのか、自身の目で見た気がするのだ。

「あれを抜き、清めれば良いのだろうか」

 一歩ずつ慎重に、剣の許へと近付いて行く。大地を伝い、脈動する力を感じる度に恐怖が増し、全身があわ立ち足が石のように硬く為る。何かが……彼女に内在する何らかの力が、近寄ってはならぬと警告する。

――清められるのだろうか、今の私に……!

 邪剣の直ぐ前へと歩み出ると、柄に両手を掛けようとする。剣を包む真黒な気が、麗蘭の神気を拒んで押し返す。

――やはり、此の剣……何処かで……?

 躊躇し手を止めた時突として、後ろから声が聴こえ来た。

「……止めておけ。其の剣に触れるな」

 其れは、抑揚の無い男の声。魁斗や蘢と比べてかなり低く、有無を言わさぬ威圧感が有る。一方で、魅惑的な甘やかさを含んだ妖しさを感じさせる。

「おまえは……!」

 剣から退いた麗蘭が後ろを向くと、濃い霧の奥から人形ひとがたが浮き出でて来る。其の様はまるで、霧が集められ固められて人の姿をこしらえているかのよう。

 現れたのは、稀有なる威容を纏いし美丈夫であった。癖の強い長髪と瞳は翠玉すいぎょく色を帯び、切れ長のまなじりや尖った顎の輪郭、高い鼻梁びりょうという整い過ぎた造作は、危うい妖冶さを漂わせている。ゆったりとした衣服の上に獣の毛皮を羽織り、莫大なる妖気を放つ神剣、虎楼ころうを腰に携えていた。

「妖王、邪龍……!」

 男の姿を認め、麗蘭は剣を抜いて真っ直ぐ彼に向ける。無機質な表情を崩さぬ妖王は、泰然として麗蘭を見下ろしていた。

「今のおまえの神力では、其の剣には太刀打ち出来ぬ。触れた瞬間、立ち所に喰い殺されるだろう」

「……此の剣を知っているのか?」

 自分をいぶかしげに睨んでいる麗蘭を見て、妖王は口角を片方だけ上げて静かに笑む。

「……神剣、淵霧えんぶ。我が異母兄あに、黒神の剣だ」

「黒神の……?」

 麗蘭は目を丸くして、再び剣を見やる。妖山と同化し脈打つ魔剣は、絶えること無く黒の力を送り込んで穢れを広めている。

 此れが黒神の剣だと言うのなら、膨大な神気を有しているのも頷ける。だが、見たことの無い剣に見覚えがあるのは何故なのだろうか。

 暫し邪剣に気を取られていた麗蘭は、今一度妖王を見る。

「おまえは、どうして此処に来たのだ?」

 二年前、此の男と剣を合わせた時とは様子が違う。今の妖王は剣を抜く気配がまるで無いし、少しの闘気も感じられない。

「……おまえの手助けをしてやりに……とでも言ったら、信じるか?」

 愉しげに口元を歪め、妖王は麗蘭と剣の方に近付いて来る。麗蘭が彼を警戒しつつ剣から離れると、其のまま剣の前まで行き、黒石の柄を右手で迷うことなく掴んだ。

 彼が触れた途端、剣は拒むかのように小さな電光を発して音を立てる。僅かに顔をしかめた妖王だったが手を止めることなく、深々と大地に刺さった剣を一気に引き抜いた。

 抜いた瞬間……剣と山との、邪神と山との繋がりが断たれた。地が鳴動を始め、重い地響きを伴う地震と為って揺れ動く。所々地割れが起こり、枝葉は激しく揺さぶられている。麗蘭は側に在る樹幹に掴まり、倒れそうに為る身体を何とか支える。そうしなければ立って居られぬ程の、大きな地動であったのだ。

 すると、妖気を覆い隠していた黒の気が次第に弱まってゆく。妖力を呑み込んでいた神力が剣に引き戻され、空間が再び妖力の方で満たされる。剣を抜くのと同時に、妖王が己の力を送り込んでいるのやもしれぬ。

 揺れと地鳴は徐々に収まり、森は何事もなかったかのような何時も通りの静寂に包まれる。麗蘭が顔を上げて沼を見やると、黒い沼水が緑がかった乳白色に変化し妖光を発している。

 淵霧を持ち上げた妖王は、黒黒とした長い刃を見入る。邪な力をたたえた凶剣は、血の如きくれないに染まり鮮麗に輝いていた。

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