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金色の螺旋  作者: 亜薇
第五章 天海の鵬翼
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三.黒神の御剣

 妖魔が棲む山の奥深いところに広がる、白く濁る迷霧めいむの森。天高く直立する黒の針葉樹と、妖気を含んだ濃い白霧が織りなす明暗比は夢幻むげんのようで、恐ろしい妖たちの住処すみかとは思えぬ程。此処に……陽の光は殆ど届かない。生い茂る黒い木々の葉と枝に遮られ、作り出された幽暗ゆうあんの世界。


「闇の姫が、お出でになった」

 何処からか聴こえ来る、薄気味悪いしゃがれ声。

「黒神のちょうを受けた身が何と美しいことか。何と邪悪なることか」

 別の方向から放たれた、欲望をはらんだ低い声。また異なる者が息をあららげて吐き出したのは、あさましく醜悪極まりない言葉。

「じき、御姿おすがたを現したら見るがいい。柔らかで艶やかなる女の匂い立つ肢体……目に入れた瞬間、犯したくなる程の淫らな魔性よ」

 すると今度は、仲間の下卑た物言いを忍び声でたしなめる者が出る。

「……黙らぬか。斯様かようなことを申すと、黒神の怒りに触れるぞ。巫女に触れ支配できるのは、此の現世に彼の御方だけなのだ」

 森に潜む妖たちが口々に言い合う中、濃霧の中から浮き出るように、一人の女が現れ出た。腰まである長い黒髪を垂らし、真白い千早ちはや黒袴くろばかまに身を包んだくだんの女、瑠璃である。

「現れた」

「何と、やはり、見目麗しい」

 四方の樹木の陰に隠れる妖たちの視線を浴びながら、瑠璃は静かに歩み出す。湿り気のある枯葉や小枝をぱきりぱきりと踏み、黒い土に足跡を残して森奥へと進んでゆく。彼女の行く手だけ霧が消え失せるのは、彼女を覆う黒い力の働きゆえ。

「心地良い……黒の気を纏うておられる」

「以前お出でになられた時よりも万倍強くなられた」

「あの、穢れたお身体を喰ろうたならば……如何いか程の寿命と妖力を得られるだろうか」

 思い思いに好き勝手なことを口にする下等な妖たちは、離れた場所から欲望や羨望、恐怖や畏怖の眼差しを向けているが、瑠璃の前に出ようとする者は皆無。誰もが、彼女と彼女の主を懼れている。少しでも気分を損ねたら、命を取られるだけでは済まない……尋常ならざる苦しみが待ち受けていると承知しているのである。

 閉じた口の端に小さな笑みを浮かべ、瑠璃は木立の間を歩いてゆく。無論、低俗な妖共に其の麗姿れいしを見せてやりに来たのではない。してや、彼らの情欲や力への渇望を掻き立てに来た訳でもない。只、主の命を果たすためだけに、此の異形うごめく地に赴いたのだ。

 彼女が辿り着き足を止めた場所は、昏闇くらやみの中で一際妖しい光を放つ水を湛えた沼地だった。瑠璃は良く、知っている。此の生物が棲まぬ白緑の古沼こそが、琅華山の妖気を集め、蓄え高めている地であるということを。


 沼の際で、瑠璃は両腕を横に広げる。袖を少したくし上げて玉臂ぎょくひを露わにし、徐々に高く上げて呪を唱え始める。すると足元の沼水が揺れ、こぽりと音を立てたかと思えば波紋が起こり始めた。波は徐々に大きくなり、彼女が立って居る場所の向こう岸まで伝わってゆく。

 更に突如として風が吹き上がり、背後の地面に敷かれた落葉が巻き込まれて踊るように舞い出す。其れまで眠っているが如く静謐せいひつであった大樹たちが目を覚まし、闇色の梢を激しく揺らしてざわめいている。

 此の地に満ちる妖気が気圧けおされ、瑠璃が作り出す黒の神力が森中に立ち籠める。息を潜めて隠れている妖たちが身を震わせて見守る中、黒神の力が彼らの縄張を蹂躙じゅうりんしていく。

 吹き荒れる旋風を身体で受け止める瑠璃は、髪や衣服を乱されながら身じろぎもしない。真っ直ぐに真正面を見詰めたまま、両の足で踏み止まり言い放った。

「出でよ、淵霧えんぶ

 凛然たる声が響く。瑠璃の呼び掛けに応えて現れたのは、さんたる光。目も開けて居られぬ程の、鋭く突くような強過ぎる白光。余りの眩しさに耐え切れず妖たちが瞑目すると、次の刹那、瑠璃の両手には真黒な大剣が収まっていた。

 神剣、淵霧。人界には存在しない種の黒石でこしらえられた抜身の大きな御剣みつるぎは、向こう側が透けて見える程透明な不可思議な材質で、金剛よりも固く強く、其れでいて軽い。此の上無く美しい其の刃身は、見るものが見れば分かる禍々しさと侵し難い神聖さとを兼ね備え、放っていた。

 光が収束し風が止むと、瑠璃は右の手で長い柄を持ち、すらりと伸びた刃に左手を添えたまま自分の顔前に掲げる。陶酔しうっとりとした瞳で剣を見入ると、まるで目の前に主が居るかの如く、謹んで頭を下げた。

 瑠璃が頭を垂れるのは只一人のためと決まっている。彼女が服従しなければならないのは、己が魂と肉体の創造主たる、黒神只一人なのだ。其の彼女が敬意を以て扱う此の御剣は、黒神の所持する神剣に他ならぬ。

「まさか、『の君』の剣か?」

「間違いない。でなければ、あの女が礼をする等在り得ない」

 動揺を強めた妖たちは確信し始める。黒神が、あの悪名高い邪な神が、長く静寂であった琅華山に凶事をもたらそうとしていることを。瑠璃が其のために此処にやって来て、こうして淵霧を召喚したのだと。

 人に恐れられる妖といえど、此の山に棲む彼らは長きに亘り秩序を守って来た。確かに、妖は天の宿敵たる黒神の陣営に属している。しかしだからと言って、訳の分からぬまま安寧を踏みにじられたのでは堪らない。

 そうした不安に駆られようと、黒神や其の巫女と比べれば実力は雲泥うんでいの差。妖たちは彼らの前に怯えおののき、何一つ為す術を持たないのだ。

 瑠璃は黒剣を片手に携え、突然きびすを返す。森を見回して姿を現さぬ妖たちに視線を送ると、力弱き彼らは威嚇されたかのようにすくみ上がる。

「妖共よ、良く聴け」

 しじまに反響する、巫女の高らかな声。 

「大いなる我らの君主は、私と此の御剣を遣わした。此の琅華山に棲むおまえたちに、役目をお与えになられるのだ」

 其れを聞いた妖たちの思う所は、様々であった。巻き込まれたくないと嫌がる者も居れば、此処で黒神のために尽くし恩恵に与ろうと考えた者も居る。しかし次の言葉を聞いた瞬間、其れらは一様に全て消し飛ぶことになった。

「白林を襲え。城壁を打ち崩して街を焼き、人間共をたいらげよ……黒の君は、こう仰せになった」

 顔色一つ変えることなく、瑠璃は主の冷酷なる命令を事も無げに告げた。黒神の下命は誰も予想しなかった内容であり、皆暫く言葉を完全に失った。

「……如何した? 出来ぬと申すか?」

 かく言う瑠璃は、妖たちがどう答えるか始めから分かっていた。主もまた然り、だからこそ淵霧を貸し与えたのだ。

「慈悲深き巫女殿、我らは白林に害をなすことは出来ぬ。其れは彼の御方も御存知であるはず」

 勇気有る妖の一が……とはいえ、姿は隠したままであったが……重い口を開いて訴えた。

「白林を襲えば我らが眷属けんぞくも只では済まぬ。何よりも、其の掟は妖王がかつて、定められたのだ。『彼の君』の義母弟君おとうとの、あの方が……無用な同族の死を避けるようにと」

 五百年前だか千年前だかに、妖たちを統治する妖王邪龍じゃりゅうがそう決めたということも、瑠璃は黒神に聞いて知っていた。其れは恐らく、彼の君が天帝に依って封じられている頃のことであるが、黒の君主に知らぬこと等無いのである。

「妖王か、確かにおまえたちにとっては、あの御方の御意思は絶対であろう。だが、其れは黒の君の封印が解かれる前の話。彼の君が再び戻られた今、彼の君こそがおまえたちの主君なのだ」

 そうは言っても、瑠璃は重々承知している……妖たちが妖王に逆らえないという『ことわり』が存在することを。

 理とは、神々をも縛る絶対の真理であり、たとえ天帝であろうが黒神であろうが曲げることは出来ない不変のもの。天意や宿が人間や妖たちを動かすように、理は神々をも従わせる。妖が黒神の命より先ず妖王の命を果たそうとすることは、致仕方のないこと――しかし其の理をも破ろうとするのが最高位の邪神である黒神であり、彼の御業みわざの代行者たる瑠璃なのだ。

 瑠璃は艶笑を零し、淵霧を握ったままの両手を空高く上げてゆく。彼女が持つ力と美に、妖たちは恐れをなしてたじろいだ。もはや言葉を発する者は居らず、只々闇の巫女の為す禍事まがごとを見ているだけ。

「……理性を持たず分別の無い妖共には、『理』が力を及ぼさぬ。そうであったな? 時折白林に侵入せんとし神人に斬り刻まれるのは、心の無い醜い肉塊ばかり……ならば」

 何処か愉しげに言う彼女の言葉を、妖たちは解せない。かざされた黒い神剣が其の主の恐るべき力を放ち、今将に自分たちの頭上へと振り落されようとしていることに気付いた時には、既に遅すぎた。

「『おまえたちに言葉や心は要らぬ。只、醜悪な本性に身を委ね、我が糧と為るがいい』……黒神の御言葉だ。噛み締めて、永久の闇へとく参れ」

 哀れなる妖たちは、巫女が御剣の刃を黒い土へと突き刺すのを見た。大地に黒い力が流れ込み、深く染み込んで鳴動させる。其れと同時に剣から発せられた眩し過ぎる光の奔流に、妖たちは抵抗する間も無く飲み込まれて溺没できぼつした。

 黒神の力に侵され、余りの苦しみに耳をつんざく悲鳴を上げて、地を転げ回りながら身体中を掻き毟る……そんな彼らを見下す瑠璃は、眉ひとつ動かさぬまま、主の力が妖と魔の森を制圧するのを最後まで見届けた。

 暫く経つと西の方向へ向きを変え、再び深々と立礼する。遠く離れた処から此の光景を眺めているであろう、敬愛する美しい主に向けて。

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