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金色の螺旋  作者: 亜薇
第四章 紫蘭に捧ぐ
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六.広がりゆく暗影

 謁見を済ませた青竜は、元来た道を辿り階段を急ぎ足で下りてゆく。帰国したばかりではあったが、更なる開戦準備を命ぜられた今、上将軍の中でも最上位に位置する彼にはやるべきことが山積しているのだ。先ずは離れて久しい兵部へいぶに戻り、将校たちや自分の麾下きかに在る直属軍の状況確認、加えて生死不明と為った玄武の後任たる将軍の選出等、迅速に主導しなければならない。

 また軍務と並行して、此の宮殿に棲みついた闇の気の正体を探らねばならぬ。珠帝が『彼の君』と呼ぶ存在こそが根源であり、手掛かりは『黒巫女』であるにはほぼ間違いない。だが青竜は未だかつて一度も其の姿を見たことが無く、珠帝本人からも話してもらえないため、なかなか探れずにいる。

 為政いせい者に近付き甘言かんげんを用いて道を誤らせる……古来より、邪神と呼ばれる者や妖の類が好む常套じょうとう手段である。主を、珠帝を守るために、青竜は何時でも監視の目を光らせている。

 珠帝の場合は本人の思想や性格により、此れまで幾度かそういった手合いに誘惑されても聞く耳を持たなかった。しかし、青竜は良く心得ている。珠帝のように如何に強く、非凡な君主であっても、所詮は『人』なのだということを。人は本質的には弱く、そして如何様にも『変わる』生き物なのだということを。

 思い巡らせながら階段を下りているとふと、気付く。辺りを回視してみるがやはりそうだ。

――人気が少な過ぎる。

 此処は女帝の居宮、正殿朱鸞しゅらん宮。広大な利洛りらく城の中の一殿舎でんしゃであるが、夜遅くまで千人近い宮女や兵士が出入りしている……にも拘らず、今日は擦れ違う人数が格段に少ない。考えてみれば、入って来た時から何時もより静かであった気がする。

 不審に思いながらも歩みを止めずに下りて行き、下から二層目に差し掛かった時、青竜は眼下に思いも寄らぬ人物を見付ける。其れは、彼が先刻からずっとまみえたいと思っていた者だった。

 頭から足下までを長い黒衣で覆い隠し、青竜の行く手に立っている女。女にしては背が高いが、何となく分かる体つきや佇まい、僅かに覗いた首元や顔の白い肌から、妙齢の女であることが見て取れる。

「……黒巫女か」

 階段の下に立ち青竜を見上げて動かないところを見ると、少し前から彼を待っていたようである。自分をいぶかしげに見詰めつつ下りて来る青竜に相対して、黒布から見え隠れする女の赤い紅を引いた唇は、薄らと形良い笑みを作っている。

 異様にも、今此の場には青竜と黒巫女の二人しか居ない。巫女が妖しい力で人を近付けぬ結界を張っているのであろうと考えた青竜だったが、判然としない。自らの神力を器用に抑えているらしく、女からは何の力も感じられず、術を使っているか否かが分からないのだ。

「……お初にお目にかかります、青竜上将軍」

 紡ぎ出される冴えた玲瓏れいろうな声は、青竜に衝撃を与える。色香に対して自制心の強い青竜程の男でさえも、其の一言だけで強く思わせられたのだ……側へ引き寄せて、隠された容貌を己が目で見てみたい、と。

 そんな彼の心内に気付いているのかいないのか、女は両の耳元へと細く長い指を運び、顔を隠す厚い黒布をゆっくりと下ろしてゆく。現れたのは声音によって想像させられた通りの、うら若くたおやかな女であった。

 指に絡めたくなる濡烏ぬれがらすの長い髪は後ろ首で一つに纏め、さらさらとした雪白の玉肌ぎょっきにしなやかな柳眉りゅうび、紫水晶の明眸めいぼうが蠱惑的な、極上の美女。分厚く長い黒衣の下には如何程の凄艶な肢体が在るのか、一度其の妖美な肉体を抱いたならばどれ程の快楽を享受できるのか、男に夢想させずにはいられない美、そのものである。

 歳の頃は未だ二十歳に届くか届かないかといったところで、青竜から見れば娘程の歳と言ってもおかしくないであろう。やや冷たい印象の知的な顔貌かおかたちゆえに、随分と大人びて見える。

 先日、光龍麗蘭と出会った時も、神に愛でられるため創り出された美貌に驚愕したばかりであったが、此の黒巫女はある意味で、麗蘭の美を上回っている。眼前の女は自分の媚態びたいが如何に男を惑わすのか実によく心得ており、其れを効果的に用いる術を会得えとくしているのだ。

「……如何して其のように怖いお顔をなさるのです?」

 巫女は僅かだけ首を傾げ、淋しそうな顔をする。

「貴殿ともあろう御方が小娘一人、恐るるに足らぬでしょうに」 

 自分よりも倍以上生きている青竜に対し、全く物怖ものおじすることなく半ばあおり立てるかのような言葉を言い放つ。青竜は無言のまま彼女を見詰めると、少しして漸く口を開いた。

「おまえは何者だ。何故陛下に近付く? 何故、此の利洛城に黒い気を撒き散らしている?」

 右眼の鋭い眼光で美女を射抜き、平静其のものの冷たく低い声で問いただす。彼女の容色に戸惑う様子は微塵みじんにも見せず、多くの男がそう為るであろう、熱に浮かされた気配も無い。

 そんな容赦のない威圧にさらされながらも、女はひるむことなく婉美えんびに笑み続ける。

「私は、瑠璃。いと高き闇の君主にお仕えする巫女」

 凛とした声が、響く。

「……撒き散らすなどと。あのお美しい、高貴なる珠帝陛下は、望んで『我ら』を引き入れたのです。私と、私の主君は、陛下の御望み通りに力をお貸ししているのみ」

「望んで……だと?」

 眉を寄せ明らかに不快そうな顔をする青竜に、瑠璃はたじろぐことなく頷く。

「光龍を得たいと、仰せになった。あれは天帝の創りし神の巫女。神の少女を欲するは神に挑むと同じこと。ゆえに陛下は……我が主の力を必要としている。天の王をも凌ぐ、我が君の偉大なる力を」

「天帝をも凌ぐ力……おまえの主は、其れ程の力を有する……神であると?」

 無言で肯定する瑠璃を疑わしげに見下ろしながら、考える。彼女が仕える神が誰であるのかを。

 かつて神に依って創造された金竜をばくしていると雖も、青竜自身は本物の『神』を目にしたことは無い。神や天界に関する知識も、神話や伝承を読み漁ることで人並みよりも少し詳しい、という程度だ。

 しかし『天帝』に匹敵する程の力を持つ神、と言えば普通只一人に限られてくる。此の世界においては余りにも有名過ぎるあの、悪神に。

「……『いと高き闇の君主』と言ったな。まさか……黒神こくじん黒龍神こくりゅうしんか……?」

 真実、瑠璃の主があの黒神であると思えば、こうして其の名を口に出すだけでも恐ろしい。会ったこともない以上想像の域を出ないが、余りに相手が悪過ぎるではないか。

 瑠璃の反応はやはり、無言。少しだけ口端を上げて笑み、何も言わぬまま青竜の右眼をじっと見ている。

「黒神であるならば、若しや、おまえは……」

 青竜が言い掛けた時、突然瑠璃が右手を上げ、彼の言葉を遮る。

「私のこと等、如何でも良いでしょう? 私は彼の君の僕。瑠璃という名の、只の女なのです」

 其のまま不意に、青竜の顔へと右手を持ってゆく。邪眼を隠している面の上に軽く触ると、目から口の方へと優しくなぞってゆく。

「悪しき竜を封じた左眼……もうかなり、浸されているご様子。小さな術を使うだけでも、力を引き出すだけでも、お身体に負荷を掛けているようですね」

――此の女、やはり……!

 顔色を変えずとも、青竜は驚いていた。彼は金竜の邪気を完璧に御している振りをしており、一度も、誰にも見破られたことが無い。其れなのに此の女は、一寸触れるだけで勘付いた。斯様かような女が、只の女等であるはずがない。

「……貴殿の望みも、我が君ならばお聞き届けくださるかもしれませぬ。其の人の身で神々すらも脅かした竜王を縛し、自らを犠牲にして人界を守った貴殿に……我が君はいたく興味をお持ちです」

 耳元で囁く瑠璃の、艶やかで甘やかな声。麗しき女の危うげな誘いを物ともせずに、青竜は片手で彼女を振り払う。

「黒神の神巫女、闇龍やみりゅうよ。主と共に今直ぐね。此れ以上我が主君に近寄るな。茗と陛下を害する者は赦さぬ……たとえ黒神であろうと、決して臆さぬぞ」

 瑠璃を()め付け、身にたたえた覇気を以て言い切る。彼女が気を隠している今、其の神気は未知であるが、彼女は光龍と対を為す、闇龍。麗蘭と違って力を解放させ開闇かいあんしているとすれば、金竜を宿した青竜すら凌駕りょうがする力を持っているかもしれぬ。だが、彼に引く気はない。邪神を敵に回そうが、祖国と主を守り抜くことだけが自分に残された使命であり、宿なのだ。

 青竜の周囲を、巨大な神気と邪気が取り巻き始める。殺気と闘気の波となった絶大なる力が具現化して風巻しまきと為り、四方の床に敷き詰められた御影みかげ石が音を立てて剥がされた。彼の前に立っている瑠璃にも其の風波が襲い来るが、彼女は少しも動こうともせずに、不敵に笑んで小さく何かを唱え始めた。

 瞬時に、瑠璃の全身を見えない壁が取り囲む。神気の障壁によって、いとも簡単に青竜の攻撃を防いだのだ。彼女は掠り傷ひとつ負っていないが、呪を唱えることによって抑えていた神力を外へと出してしまったようだ。

――此の、力……!

 思った通り、瑠璃の纏う力は此の利洛城に立ち籠める黒い神気。麗蘭とは真逆の、恐らく、黒神と同質の力であろう。

「将軍、斯様な場面で、無駄にお力を使いますな。お命を縮めることになりまする」

 黒い衣の袖で口元を隠しくすくすと笑んでから、再び黒布ですっぽりと頭を覆う。

「貴殿を蝕みしよこしまなる力、心地良うございました。けれどどうか、ゆめゆめお忘れなさいますな。我ら人間は所詮弱きもの。如何に国を、主を守ろうと決意し力を得ようとも、大いなる存在には決して勝てませぬ。人は遥か昔、大いなる者に依って其のように創られているのですから」

 まるで青竜に、何かを忠告するかのような言葉。

「珠帝陛下は、天を敬わぬが其れをよくよく心得ておられる。ゆえに、我が君を受け容れたのでしょう。光龍を……天帝を敵に回すために」

 気と力を落ち着かせた青竜は、もう一度眉間にしわを寄せた。

「詰まるところ、私には……おまえたちのすることに口を挟むなというわけだな。あるいは、絡め取られろ、と」

 彼の問い掛けに答えること無く、瑠璃はきびすを返して背を向ける。

「またお会い出来ることを、切にお祈りいたします……少しでも、長く生きてくださいませ、上将軍。貴殿は茗と……陛下にとって、掛け替えのない御方でしょうから」

 言い残すと、黒巫女の姿は立ちどころに消え失せてしまう。余りに突然で、此れまで幻影を相手にしていたのかと青竜に錯覚させる程であった。

――人ならざる者の領域に足を踏み入れ、あのような危険な者と手を組まれるなど……其処までして、陛下が麗蘭を得たい理由は、一体……?

 大きな疑問が、残る。しかし今の青竜には、如何することも出来ない。主が邪神と其の巫女を自身の意思で受け容れている以上、臣下である彼には迂闊うかつに止めることも、邪魔することも出来ない。

――もう暫し、様子を窺う……其れしかあるまい。

 一旦そう、結論付けて、歩き出す。瑠璃に見抜かれた通り、彼にはもう時が無いのだ。

 巫女が立って居た場所を通って再び階下へと歩みながら、ふと、思い出す。

――そういえば、先程の陛下も何か、焦っていた。

 珠帝が聖安を滅ぼし、光龍を手に入れようと逸る理由。其の非常に難しい理由を、此の時の彼は知る由も無かったのである。


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