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金色の螺旋  作者: 亜薇
第四章 紫蘭に捧ぐ
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五.光龍の名

 とある日の早朝、皇宮利洛りらく城の内廷にある空飛くうひ殿にて、珠帝と重臣たちによる朝会が行われていた。

 高い壇上の、黄金の玉座に坐するは女帝珠玉。彼女の頭上には、円蓋えんがいしつらえられた巨大な鳳凰の金細工が見え、天の権威を表す青を主調とした内装と相俟あいまって、偉大なる女帝の威光を示している。もっとも彼女自身は天を敬っていないこともあり、青が好きでなかったのだが。

「陛下、どうか此の老爺ろうやにも御心うちをお教えくださいませぬか」

 玉座の下玄端げんたんを纏い横列を作って平伏している男たちのうち、中央に位置していた老人が静かに述べた。冠を乗せた頭髪は既に白色で、鼻下からあごへと太い線を描くように切り揃えた髭もまた白色。顔や手に刻まれたしわからもかなりの歳と窺えるが、姿勢は驚く程ぴんとしており、声にも若々しい張りがあった。

「……申してみよ、韶宇しょううおう

 韶宇は女帝の諮問機関である枢府すうふの長、枢相すうしょうである。枢府は、宰相である三公や其の下に位置する九卿を歴任してきた枢使六人にて構成され、女帝が勅令を下す際の輔弼ほひつを担う。中でも其の長、韶宇は三公のうち行政を司る丞相じょうしょうの位階に長い間就いていたことがあり、立場上は対等であるはずの現・丞相に対してもやや優位に在る。

 珠帝は自分より何十年も長く生きている尊翁そんうを見下ろし、何時もと変わらぬあでな笑みを浮かべて発言を許した。

「……昨今の些か強硬なる外交、恐れながら、理由をお訊きしとうございます。我等枢府は老いぼれの集まりなれど、陛下のご意向を伺い、少しでもお力になりとうございました」

 控えめで謙遜けんそんする言葉を選びながらも、韶宇が言いたいことはつまり、何故自分たちを通さずに勅令を出したのかという女帝に対する抗議である。そして問題の勅と言うのは言わずもがな、「玄武将軍の訃報」に関する聖安船舶の入国禁止令、加えて聖安との完全なる貿易禁止令のことであった。

 聖安をはじめとする、茗に脅かされる敵国の民には、大国茗の女帝珠玉は暴君として見られる傾向がある。しかし真実、彼女は暴君でもなければ愚君でもない。権力の拮抗する枢府と三公の均衡を図るために、どちらかをないがしろにすることは決して無く、両方無視して完全独裁を敷くこと等無謀なこともしない。其れが今回即位以来初めて、彼女は枢府に諮問することなく三公に命じ、勅を出したのである。韶宇翁がこうして諫言かんげんするのも無理はなかった。

「聖安の講じておる外交策については、そなたらも知っておろう? 我らも対抗し、茗以西の国々を中心とした西方同盟を成すつもりだ」

 女帝の言葉に、韶宇は下げたままの頭を僅かに動かす。

「西方同盟……やはり、先の戦の如く」

「左様。西方だけでなく聖安に味方する国、民族に次々と連衡を持ち掛け、聖安を挟み込む。其の為には先手を打つが必定であろう。故に、そなたら枢府に諮する時間すら惜しく、勅を出して其処に居られる三公方に動いていただいたのだ」

 彼女の言っていることは確かに一理ある。しかしだからと言って、枢府を飛ばして勅を出すのは前例になく、とても看過かんか出来ることではない。

「では其の為に、遺体も見付からぬ英雄・玄武将軍の訃報を出し、其れを聖安禁軍の暴虐だと公表したのですね」

 韶宇は様々な官職に就いた経験から、軍事方面にも目と耳を持っている。玄武将軍が自軍の訓練中に聖安から強襲を受けたのではなく、事も有ろうに賊の真似をして討伐されたという真実も、広く口に出すことはなくとも知っていた。

 だがどのような不名誉な敗北を喫しようとも、玄武は長年女帝と茗に仕えてきた忠臣である。敵軍に捕らえられ殺されたとして彼の誇りに傷を付けること等、幾ら外交上の策といえど珠帝にしては珍しい。韶宇は只、最近の主の言動がやや彼女らしからぬ気がして、不気味であると同時に不安でもあったのだ。

「聖安の『横暴』を広く諸国に知らしめるため。そして我らの優勢を知らしめるためだ。玄武将軍は英霊として祀られ、彼の血族には残らず恩給を与えた。其れに……」

 珠帝は笑むのを止めて、急に目元を鋭くして韶宇を射抜く。此れから話すことは、此のような面持ちで言うのがより効果的であろうと読んだからである。

「其れに、青竜将軍が報告したのだ。玄武が捕虜になり殺され、遺体を焼かれたとな。そなたは青竜将軍の言を疑うのか?」

 其の一言で、韶宇だけでなく傍に居た三公や九卿たちが皆、程度の差は有れ反応を示した。

「……上将軍の言とあらば、確かに疑うことはできますまいな」

 此の言葉は韶宇が青竜のことを信頼しており、嘘をつくはずがないと思っているために出たものではない。青竜は茗において、只の上将軍ではない異質な存在なのだ。

 ある事件を切っ掛けに彼は生きている伝説となって、事情を知る一部の者からは神の如く見なされ、ある種女帝に対するもの以上の畏敬を集めている。そして韶宇にとって厄介なのが、其の一部の者たちというのが茗の禁軍上層部やこの場に居る三公九卿、更に枢使のうち幾人かという名だたる者たちであるという事実だ。

 青竜将軍が嘘を言うはずがない。となれば、玄武の遺体を見たというのも本当のはず。此れを否定することは、珠帝が嘘を言っていると皆の前で主張するも同然。

――青竜め、忌々しい奴だ。

 韶宇は舌打ちして吐き捨てたいのを我慢して、喉の奥へと飲み込んだ。彼は青竜が特別視され崇められる理由を知ってはいるが、其れでも尊敬する気にはなれない数少ない者のうちの一人である。

――たかが、軍人風情ではないか。其れも戦に出ているだけでなく諜者のような真似もする、得体の知れぬやつだ。

 青竜だけではない。珠帝が信を置き重用している他の四神についても、韶宇は常々煙たく思っている。此度の玄武の件も、実際のところ彼の生死は分からぬが、居なくなってくれただけでせいせいしていたのだ。

 そんな彼の心中を知ってか知らでか、珠玉は再び美しく笑んで幾度も頷いた。

「分かっていただければ良い。妾や茗を思って忠言をくれたのであろう? 感謝するぞ、韶宇翁」

 珠帝は玉座の手摺から右手を離し、腕をすっと横へ開いて告げる。

「此れにて散会といたす。本日青竜将軍が帰国するゆえ、其の報告を待って今後の策を練るとしよう」

 玉座から立ち上がった珠帝は、典雅で重い着物を纏いながらも軽やかに歩いて退室する。少しして平伏していた諸臣たちも立ち上がり、各々出口へと向かう。

 韶宇も老体とは思えぬ軽い身のこなしで体を起こすと、周囲の枢使たちを機嫌悪そうに見る。年齢層の高い枢府六人の中でも最年長が韶宇であったが、俊敏な物腰や顔に表れた気迫からは、他の五人とは何処か一線を画して見えた。

「……行くぞ」

 苛々とした声で短く言い捨ててから、彼も空飛殿を去って行くのだった。 





 光在るもの全てを喰らい、増殖する黒闇こくあん。あるいは終わり無き久遠の常闇……此処数か月の間、利洛城で感じられる黒黒とした気配。

――以前よりも一層酷くなっている。

 聖安より帰国し帰城した上将軍、青竜は、宮殿内に入って直ぐに忌まわしきものを感じ取った。しかも、妖しげな気は内廷に……彼の主に近付くにつれ大きさを増していくのだ。

 上校蒼稀蘢を殺し損ね、珠帝所望の光龍清麗蘭を捕らえ損ねた彼は、自らの失態を主に報告せねばならぬ悔しさよりも、此の闇の気を重くとらえ警戒していた。内廷に入る前に会った三公の一、太尉からも、その日の朝会で起きた憂慮すべき事態について聞かされた。

――確かめなければ。此の目で。

 夕方、日が沈もうとしている頃。既に正殿である朱鸞しゅらん宮に戻っているという珠帝の下へ赴く。暗澹あんたんたる気は、やはり正殿から発せられているもののようだ。

 入口で謁見を申し出ると、直ぐ様中へと通される。五層もの宮殿の内部を上へ上へと昇ってゆき、最上階に位置する珠帝の居室へと到る。そして彼の危惧通り階段を上がり行く毎に、黒い闇の力は強く感じられてゆくのだった。

「陛下、青竜上将軍がお見えです」

 前室の扉の前で、控えていた女官が中へと声を掛ける。

「……通せ」

 拝謁を許された青竜は、左目の面は其のままに、鼻と口を隠す覆いを取り去って懐へとしまう。女官によって開けられた戸から入室すると、彼の帰還を待ちわびていた珠帝が紫檀したんの長椅子に腰掛けていた。朝会で着ていた重々しい正装ではなく、幾分動きやすい鮮やかな紅紫色の深衣しんいを身に付け、滑らかな薄紅色の髪は一つに結ってかんざしを挿している。

 珠帝の後ろに在る大きな格子窓からは、落ち行く日の柔らかな光が差し込んでいる。だが青竜は、其の光をも覆い隠す程の暗い気が部屋に溢れている光景を目にしていた。

「ご機嫌麗しゅう存じます、陛下」

 一尺程離れた位置に両膝を付いて頭を垂れ、落ち着いた声で挨拶をする青竜。珠帝は何も言わずに立ち上がり、彼の許へと静かに歩み寄った。近付くにつれ、あでなる着物にきしめられた乳香がほのかに甘く、清澄な薫香くんこうを漂わせているのが分かる。

「……良くぞ戻った、青竜。面を上げよ」

 彼女の言葉には、忠実なる臣下を労う温かな心が含まれている。青竜がゆっくりと顔を上げると、片方だけ見える赤い右目に美しい主の姿が映し出された。

――やはり、前お会いした時よりも格段に強い……黒い気を纏っておられる。

 こうして主を目の前にすることで、青竜は確信を得た。自分が気付かぬうちに、彼女の背後に『人ならざる者』が棲みついてしまったという確信を。

「……して、成果の程を聞かせ願えるか?」

 執政の場面で放つような、彼女独特の威圧感は何処にも無い。青竜以外の者の前では滅多に見せることの無い、穏やかな口調と優しい眼差しは以前の彼女と何も変わらない。不穏な陰影を感じながらも、彼女の真っ直ぐで強い心が変わっていないことを確認して、青竜は幾らか安堵した。

「御意」

 青竜は答えると、瞳を閉じて一呼吸置いてから話し始めた。光龍である少女とその供を発見したこと、そして自らの手抜かりで彼らに逃げられてしまったこと、他にも命じられていた細かな事柄を、少しの偽りも無く包み隠さず話し聞かせた。珠帝は怒ることなく、当然喜ぶこともなく、只じっと耳を傾け聞いていた。

 彼が話し終え主の反応を待っているのに気付くと、珠帝は漸く口を開く。彼女から発せられたのは、青竜が予想していたような責めの言葉ではなく、やや意外な問い掛けだった。

「青竜よ、光龍である娘の名は……何と言うのだ?」

 先程までとは打って変わって、感情の篭らぬ声だった。憤りも悔しさも、ましてや嬉しさも楽しさも感じられぬ。凡そ彼女とは思えぬ様子である。

「麗蘭……清麗蘭でございます」

 其の名を聞いた途端、珠帝の眼に再び炎が戻った。目を大きく開けて口端を上げ其れは其れは艶美な笑みを見せると、麗しい目元を細めて言う。

「やはり……そうか、『の君』の御言葉は真であったのだな」

 珠帝は今生の光龍が麗蘭という名であることを、前々から彼の黒巫女の託宣で知っていた。其の上で誰にも……青竜にすら知らせず、黒巫女の言が、巫女が仕える『黒の君』の言葉が、真実であるか試したのだった。

「陛下、『彼の君』とは一体……何方なのですか?」

 青竜が問うと、彼女は嬉々として答える。

「さあ……何と表すべきか。此の世の理に近しい程の、偉大な御方であるには違いないな。そして、言葉を失くす程に……美々しい君主なのだ」

 其の回答に、青竜は首を傾げるしかない。妖、若しくは魔族、さもなくば神のどれかであろうことは想像に難くないが、其れ以上の推測は出来かねた。『黒い気』に関わりがあり、黒巫女を隷属させているということの他は、手掛かりが無い。黒巫女は通常『邪神』に仕える者だが、本当に邪悪なる神に仕えている黒巫女が数少ないことは良く知られている。

「其れで、青竜。其の麗蘭とやらは開光していたか?」

「……いいえ、しておりません」

 自信を持って言えた。開光して真の神巫女となっていれば、自分の宿す金竜の力に負け、邪眼に捕らわれること等有るはずが無い。麗蘭は未だ、本当の力に目覚めていないのだ。

「そうか……開光した光龍を此の目で見てみたいものだ。そうは思わぬか? 龍神の光はさぞや美しかろうな……」

 詠うように言うと青竜に背を向け、窓際へと歩いて行く珠帝。そんな主を見て何処となく違和感を覚えた青竜は、彼女の機嫌を損ねる恐れを承知で口を開く。

「陛下、先日出された聖安との外交に関わる二つの勅令は、枢府にすることなく下されたと聞き及んでおりますが、本当でございますか? 更に、私が玄武の遺体を見たと仰ったのは、真でございましょうか?」

 真っ赤な落陽を見てから、珠帝はちらりと青竜の方へ振り返る。面には、変わらぬ笑みを浮かべながら。

「早く……もう時が無いのだ。早く戦を始めねばならぬ。聖安を制して、光龍を手に入れなければならぬ。其の焦りが、妾を駆り立てているのやもしれぬな」

 そう言って、青竜の問いには答えない。くすくすと微笑み、らしくもなく呆気に取られた表情をしている青竜の方へと再び近付いて行く。やがて彼の真前に立つと被された面の上から、呪われた左眼にそっと手を触れる。

「青竜、次の命ぞ。暫く国内に留まり、来る戦に備えて禁軍を統率せよ」

「……御意」

 はっと我に返り、青竜は深く頭を下げて跪く。

「頼んだぞ、茗の闘神よ。そなたが頼りなのだ」

「仰せのままに」

――戦を早めんが為に、国政の基本を疎かにしたというのか?

最後に見せた主の焦燥。何としても光龍を得たいという執念に近い感情。其れらに対する言い知れぬ恐れを抱きつつ、青竜は退席した。

 珠帝は彼が出て行った後、暫しの間彼が伏していた場所を見詰めてから、隣の自室へと足早に戻って行く。露台から太陽が沈みゆく黄昏を独り、眺めるために。

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