小さな騎士・上(ディートリウス)
【連続投稿 1/2】
今でもたまに、夢に見る。
大好きな祖母が生きていた頃の夢。
ディートリウス・シャルマは小さい頃、素直で明るい、天真爛漫な少年だった。どのくらい素直かと言えば、父親の戯言を本気で信じていたくらいだ。嘘か本当か分からない、由緒正しい騎士の末裔なのだという戯言を。
だって、格好良いじゃないか。それに特別だ。人は誰だって特別になりたい。
だから愚かにも影響されて、よく棒切れを振り回したものだ。
それも大きくなるにつれ、周囲から『矯正』される内にやらなくなったが。
――あれは確か十歳の頃。
その日もディートは学校で散々からかわれ、唇を噛みながら、俯いて帰宅した。珍しくもない日常の一コマ。両親は共働きで出かけているから、家にはいつも祖母だけがいて。大抵、何も言わずにココアを煎れてくれた。
少し前は膝の上に乗せてもらっていたが、さすがにもうそんな歳じゃない。
泣くのを堪えて、砂糖たっぷりのココアを啜る。
「……ねぇ、おばあちゃん」
「なんだいディー坊」
「お父さんがいつも言ってるアレ、ほんとなの?」
アレとはすなわち、シャルマ家が代々続く騎士の家系だという父の言だ。正直、自分はもう信じていないが、かといって嘘だと断じるほどの根拠があるわけでもない。そもそも父だって、その話を誰かから聞かされたわけで。祖母ならば真実を知っていると思ったのだ。
つい最近、サンタがいないことを知らされたディートは疑心暗鬼になっていた。テーブルを挟んで、マグカップから立ち昇る湯気の向こう、祖母がカラカラと笑う。
「そうさね。アタシから言えることは、あの子――お前のお父さんにとっては、本当だってことだけだよ」
「……なに、それ」
「悪いけど、死んだ旦那との約束でね。真実は墓場まで持っていくことにしてるのさ。だからディー坊も信じたいようにおしよ」
そうは言っても、周りがそれを信じてくれなかったら何の意味もない。実際、父親は近所の笑いものだ。自分も含め、現実が見えていない愚か者だと。
ディートはぶすっと口を尖らせる。
「それにね、あの子の言う『騎士』は、あの子だけのものさ」
「……?」
「同じじゃなくていいんだよ」
組んだ手の上に顎を乗せ、祖母が言う。
「生き方の話さね。長い人生だ。きっとディー坊にもこの先、何かを選択する時がくる。それは今日のおやつを何にしようとか、そんな可愛い悩みじゃない。どっちを選んでも後悔してしまうような、重たい問いさ。もしそれにぶつかってしまったなら、いいかい。自分の心に、そっと耳を傾けるんだ。そうすりゃ嘘はつけっこない」
皺まみれの肌の奥、大海の瞳がこちらを見つめている。いつも冗談ばかりが飛び出す口は今日に限って真剣で、思わず居住まいを正した。
「――そうして選んだ道が、お前にとっての『騎士道』だ」
その言葉は、まだ十歳のディートにとって理解が及ぶ範疇ではなかった。
ただ、不思議と強く印象に残った。
だから今でも時々、夢に見る。
◇ ◇ ◇
最近、ディートリウス改め「シャルル」のダンジョン配信は絶好調を迎えていた。
世界でも珍しいゴブリンをお供にした探索者。その姿を一目見ようと、多くの人間が配信に殺到したのである。中にはパパラッチ紛いの人間まで現れたが、未成年者ということもあり、今のところEUES――欧州連合探索者協会の睨みが効いていた。
それにディートはダンジョン内で『変装』している。いくらダンジョンから出てくる人間に網を張ったところで、少女だと思っている相手が実は少年なのだから、マスコミに捕まるはずもなかった。
「今日はボス部屋手前まで行ってみようと思います」
英国・第一号ダンジョン「鏡映しの時計塔」。その第三層でディートが呟くと、ライブカメラがそれを捉え、一気にコメントが流れていった。
ただ今の同時接続者数は56,120人。
ついこの間まで何とか100人だったことを考えれば、とてつもない伸び率だ。最初は喜びよりも困惑の方が大きかった。時間を置けばきっと受け入れられるだろう。そう思っていたのだが――どうしてか、寒々しい気持ちを抱く。
「グァ!」
胸当てと篭手、それから脛当を身に着けたゴブリンが、盾を掲げて一声鳴く。その様を見て、ディートは軽く頷いた。
「うん、ゲオルクも気合い十分みたい」
少し前、突如仲間に加わったゴブリン。ディートはその個体に「ゲオルク」と名前をつけ、ひとまず探索に連れまわしてみたものの、ゴブリンにも関わらず勇敢すぎるところがあり、随分と扱いに苦慮した。
結果、ゲオルクでも着られる部位装備を渡し、敵を倒すのではなく、ひたすら時間稼ぎを命じることにした。いわば盾役である。攻撃せず防御だけに集中していれば、案外何とかなるだろうという発想だった。
実際、前衛が一枚加わったことにより、ディートの探索は安定し、安全マージンを十分に取りながらも、こうして第三層へ至っている。
「今日も頼んだよ」
「ギヒヒ!」
ぽんと肩を叩けば、返ってくる怪しい笑い。こう見えて喜んでいる……らしい。ともあれ一人と一匹だけのパーティーは、ゆっくりダンジョンを進み始めた。
このフロアに出てくるモンスターは全部で三種類。すなわち小鬼剣士、小鬼弓士、小鬼術師のいずれか、あるいは全てが出現する。ここまで来ると、もう普通のゴブリンは出てこない。
厄介なのは徒党を組んで現れた時で、初心者にとって一つの壁だ。
以前なら配信事故を恐れ、決して挑まなかったろうが――
「剣2、杖1、弓1だね。ゲオルク、いつも通り『待て』だよ」
「グァ……」
「まずは厄介な相手から落として、と」
四体のゴブリンが現れても、ディートに慌てる様子はない。
落ち着いて機械弓や投げナイフで先制し、後衛を倒してから前に出る。それでもまだ二体のゴブリンウォーリアーが残っているから、決して楽観視出来ないが、こちらもまた数は同じだ。
「そっちは任せた!」
「ギギィ!」
ディートとゲオルク、それぞれが一対一の状況を作り上げる。
よほどヘマをしなければ、レベルから鑑みて負けようのない相手だった。余力のお陰でつい考え事をしてしまうくらいに。
――ディートは配信者として成功を収めた。
たとえそれが運に大きく左右されたものだったとしても、結果が全てだ。ディートリウスではなく、「シャルル」というもう一人の自分を沢山の人に見て欲しい。その願いは叶ったと言って良い。
けれど何故だか、常に違和感のようなものがつき纏っている。
たとえば最初期から「シャルル」を応援してくれていた視聴者たち。かれらの声は大量のコメントに埋もれ、正直、今も見てくれているのか分からない。他にも視聴者のほとんどが「シャルル」ではなくゲオルクを見にきてるんだろう、とか。
小さな棘のような悩みはいっぱいあって。
それら全ては、大事の前の小事だ。
自分は宝くじの一等賞を当てた幸運な人間で、文句を言う資格なんてないと分かっている。ただ多くの視聴者を得て、気づいてしまった。
ディートが欲しかったのは、これじゃない。
承認欲求は満たされたはずで、けれど穴の開いたバケツに水でも入れるみたいに、ちっとも満足出来ず、もどかしい。じゃあ結局どうしたいのか聞かれても、よく分からない。こんなことなら、よっぽど前の方がマシだった。
でも前は前で、もっと有名になりたいと思っていたのも事実だ。
「やぁ!」
悩んでいる間にゴブリンウォーリアーの胸を貫いていた。
次いで、亀のように盾の裏に閉じこもるゲオルクに加勢し、最後の一体も葬る。敵がいなくなって、ゲオルクは喜びの舞を踊った。
「ギャッギャッギャッ!」
「……ふぅ」
こちらの悩みも知らないで、呑気なものだ。
考えてみれば、おかしくなったのは全てこのゴブリンが仲間になってから。よほど無茶な突撃でも命令してやろうか。仲間ゴブリンは主人の命に忠実だ。実際これまで無謀な戦いに付き合わされ、命を散らした個体が沢山いるという。
にわかに暗い考えが忍び寄って、
(……何考えてんだ、僕。この子は何も悪くない)
すぐに霧散した。
ゲオルクはただ一生懸命生きているだけだ。何一つ悪いところなどない。今も無邪気に勝利と主人が無事だったことに喜んでいる。
だからディートも気を取り直して配信用の笑顔を作ろうとし――
「え? あれってシャルルじゃない!? うわ、凄い偶然!」
現れたのは年若い探索者パーティーだった。
今やディートは有名人だ。特にこのダンジョンにおいて、最も名前が売れているかもしれない。だから出会い頭、突然声をかけられるのもよくあることだ。基本的に人見知りゆえ、隠れてやり過ごすことも多いが、思考に夢中で気がつけなかった。
「やば、本物じゃん! 握手でもしてもらおうよ~」
「い、いいのかな。迷惑じゃない?」
「いいっしょ、いいっしょ!」
何一つ良くないが、カメラは回り続けている。これもファンサービスの一環かと無遠慮な一団に目を向けたところで、ディートはぎくりとした。
何故ならば。
(どうして、こんなところに)
かれらはディートの中学校のクラスメイトだったのだ。そういえば以前、ダンジョンへ行っていると聞いた気がする。それを盗み聞いて、自分もダンジョン配信を始めたのだから。
そう思えばこの出会いも偶然じゃない。
(だい、だい、じょうぶ。い、今の僕は、シャルルだから……)
いじめられっ子のディートは、いつも自分をからかう声に思わず身を固くしてしまう。もし変装を見破られたら。口の中が酷く乾いてしょうがない。
「グァ……?」
そんな主人の異常に気づいて、ゲオルクが守るように間へ入った。
「ラッキー! 明日みんなに自慢しちゃおうかな」
「なんなら、一緒に行きませんかって聞いてみる?」
「それ、いい! おーい、こんにちはー!」
女子だけで構成された姦しい集団だ。馴れ馴れしく振られた手に何か返さなくてはと思うも、声を出すとディートであることがばれてしまいそうで、俯いた。
そんな彼の様子に、クラスメイトたちも疑問を抱いたらしい。
「もしもーし? 聞こえてますかー?」
「あれー?」
「……なんか、感じ悪くね?」
結果的にディートが彼女たちを無視してしまった形だ。
「…………ぁ……う」
何とか言葉を絞り出そうとして、出てきたのは呻き声。ますます少女たちの顔に怪訝の色が浮かんでいき、やがて、一人が言った。
「ねぇ、あんた。もしかして……ディートリウスじゃない?」
ひゅっと息を呑んだ。
「ディートリウスって、あのディートリウス? 弱虫騎士の?」
「え、いや、でも。あいつ男じゃん」
「……配信見た時から、もしかしてとは思ってたんだよね」
どうして、という言葉がぐるぐると頭の中で木霊する。冷や汗をかいている内に、どんどんと話が進んでいった。
「あんたさぁ、何で女の恰好してんの?」
「……ゃ」
「ないわ、マジでない。おかしいでしょ、何それ?」
「…………」
「まただんまり? あんた、いつもそれよね。ゴブリンの後ろに隠れてないで、言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ、意気地なし!」
気がつけばディートは探索者「シャルル」から、ただのディートリウスに戻っていた。戦うでも、逃げるでもなく、棒立ちで目を泳がせる。そんな彼を見て、相手は更にヒートアップしたようだった。
どんどん語気が荒くなっていく。
「ちょっと! ねぇってば! 言われっぱなしで悔しくないの!? 本当はあんただってもっと――ああもう! イライラする!」
「ちょっと、その辺で。もうやめときなって……。ここ、ダンジョンだよ? モンスターが来ちゃうって」
「……フン。騎士のくせに」
捨て台詞を吐いて少女が踵を返す。仲間たちは一瞬、どちらに声をかけるか迷ったようだが、最終的にちらっとディートリウスを見てから、一人行く少女の方へ駆けていった。その間、ディートは何もしない。言われた通りの『だんまり』だ。
それから、へなへなと崩れ落ちた。
(……終わった。全部、全部)
急なことでカメラを止めている暇もなかった。
探索者「シャルル」の秘密が明かされ、今や騒然としているだろう。とてもじゃないが、コメント欄を見る気になれなかった。きっと騙していたこと――ディート自身が自分を女性だと言ったことはないが――に対して炎上しているに違いない。
「……グァ」
気遣うように己を見るゲオルクの視線。今はそれさえも鬱陶しい。
とにかくこんな状況で配信をつけていたってしょうがない。カメラはオフにするとして、それからどうしよう。何も考えが浮かばず、途方に暮れてしまう。
その時だ。
真っ白になった思考を切り裂くように、悲鳴が聞こえた。




