誰が為に剣を振るう・上(小浪勇)
探索者協会からその依頼が舞い込んだ時。
はじめ、小浪勇は断ろうと考えていた。
――〈小鬼の剣聖〉と呼ばれる特殊個体の討伐だなんて。
自分には荷が重すぎると。
しかし、先方が言うには勇こそが『適任』なのだという。何度も何度も拝み倒す様は本当に困っているようで、結局押し切られてしまった。幸い、失敗しても特にペナルティ等は無いという。
正直、彼には協会の事情――情報収集の過程で「池袋ハンターズ」に大きな借りを作ってしまったとか、他国に先駆けてクエストをクリアすることで、ダンジョン先進国としての威信を周辺国に示したいといった思惑など、どうでもよかった。ただ探索者として生きていくうえで、協会との関係性や、自分の在り方を天秤にかけたまで。
仲間の〈祈祷師〉明日原祈も特に反対しなかった。
代わりに、随分と心配していたが。
というのも――
『一人倒せば、また一人。次はお前たちか?』
平原の只中、岩の上で胡坐をかいたゴブリンが問う。
対し、勇は力強く首を振った。
「いいや。挑戦するのは俺だけ。俺、一人だけだ。明日原さん……下がってて」
「は、い。気を、つけて」
「うん」
勇が前に立ち、祈は後ろに控えて見守る。二人にとっていつもの隊列。しかし、通常なら祈が支援スキルを発動して送り出すはずが、何もしない。彼女はただ、固唾を呑んで仲間の背を見送る。
その瞳に隠しきれない不安が浮かんでいた。
『……ほう。その意気や善し!』
喜色に溢れた声を漏らして、ゴブリンが岩肌を蹴る。
勇より二回りも小さい体躯の剣士が、彼の前に舞い降りた。
――個体名〈小鬼の剣聖〉。
【鑑定】スキルによって名前が判明したそのモンスターは、当初、人語を解することから戦闘以外での接触法も試みられた。しかし当の小鬼曰く、己は天使より遣わされた試練の一峰であり、慣れ合うつもりなどないと言う。
その発言にダンジョン学会がざわついたのは、さておき。
探索者という名の犠牲を積み上げ、いくつか判明したことがある。
一つは〈小鬼の剣聖〉に挑むための挑戦権が、変異体のゴブリンからドロップするということ。特殊な条件下で発生するゴブリンを手ずから倒すことで、そのパーティー、あるいは本人のみがこの平原へとやって来られる。
そしてもう一つ。
『では、参る』
「……調子狂う、なぁ!」
ずい、とゴブリンが足を踏み出す。その動作に連動して掬い上げられた剣を、勇は【心火点燈】を発動しながら斬り返した。火花が散り、僅かに押し負けた方――勇が踏鞴を踏む。
全て、事前に聞かされた情報通りだ。
その流麗な剣技も、妙な礼儀正しさと『手加減』も。
「っ、そこ!」
『甘い』
後ろに下がると見せかけて、不意打ち気味に放った突きはあっさりと躱されてしまう。返す剣に身を捩った勇の腕が浅く切り裂かれた。この程度、彼にとっては怪我の内にも入らない。距離を取って、軽く呼気を整える。
もし〈小鬼の剣聖〉が『本気』だったなら、右腕を斬り飛ばされていたかもしれない。そう考えると、どっと汗が噴き出した。
(……コレと一対一で真剣勝負しろ、だって? 軽く言ってくれるよね)
協会が纏めた情報によると、〈小鬼の剣聖〉は今の探索者が到底太刀打ち出来ないほどの強さを誇るという。いくつか配信を回し見てみた勇も、その意見に賛成だ。作戦が、構成がどうという話ではない。誰が何人向かったところで鎧袖一触だろう。
ただし、それは複数人で挑んだ場合のみ。
挑戦者の人数が一人になった途端、あるいは初めからソロで戦うと、〈小鬼の剣聖〉は大幅に弱体化するらしい。
(別に俺は、決闘のプロってわけじゃないんだけど……も!)
思考を中断させるように刃が降る。
躱すか、受けるか。刹那、逡巡して受け流した。
今回協会が、自衛隊の攻略班や「サンライト」「池袋ハンターズ」などを差し置いて、勇へ指名依頼を出したのは、彼が個として傑出していると考えたからだ。常に祈という支援役こそいるものの、その戦闘スタイルは一騎当千。
一対一なら右に出るものはいないだろうと。
本人からすれば、勘違いも甚だしい。
「はぁッ!」
一つ打ち合う度、手に痺れが蓄積していく。剣圧に耐えかねて、勇は思わずスキルを発動していた。横薙ぎに振るった刃から、赤い半月型の光が迸る。【遠火】――斬撃を飛ばす攻撃技だ。
『ぬるいわ!』
対し、小鬼の剣士は地を舐めるように疾駆していた。
元から小柄なこともあって、勇の放った斬撃は小鬼の頭上を掠め、通り過ぎていく。どころか反撃の暇まで与えてしまった。
足元から小鬼の刃が、草を切り裂いて立ち昇る。
「っ――【埋火】!」
間一髪、防御スキルが間に合った。
タイミングさえ合わせることが出来れば、強力な攻撃だろうと『弾く』とっておき。今まで何度も勇の命を助けてきた鬼札だ。
予想していた手応えと違ったのだろう。〈小鬼の剣聖〉は一瞬、眉をひそめた。それから今度は袈裟斬りを放つ。昇る途中で弾かれた剣を、そのまま下らせた形だ。
成功体験もあって、勇はもう一度【埋火】を使おうとし、
「アシェ――」
『それはもう見た』
「がっ……!?」
ぬるりと、小鬼の剣が曲がった。
否、そう錯覚してしまうほど急激に軌道が変わったのだ。タイミングをずらされたことにより、【埋火】は不発に終わった。辛うじて防御が間に合ったものの、勢いに押され、主導権を渡してしまう。
一、二、三、四――と怒涛の連撃が始まった。
『どうした、耐えるだけか?』
「くっ……! はぁあああッ!!」
『――軽いな』
僅かな隙間を見つけ、攻めに転じた勇の一振り。上段から振り下ろした剣は、容易く弾かれてしまう。しかし、予測のうえだ。
勇は力の流れを利用し、ぐるりと回転した。
そのまま勢いに任せ、二の太刀を繰り出す。
深紅の刃が再び、ゴブリンを襲う。
その小さな胸板を、ばっさり切り裂いたと思った瞬間――
「……!?」
蜃気楼のようにゴブリンが消え失せていた。
虚像を斬らされたと気づいたのは、一拍の後。
後ろではなく、前。
身を屈め、体捌きだけで勇の連撃を往なした小鬼が、一歩鋭く踏み込んだ。
伸びあがりながら高速の一閃を放つ。
『しィッ!』
「――か、はっ」
咄嗟に引いた勇の剣と、小鬼の剣とがぶつかり合う。凄まじい衝撃波が発生し、勇は防御の上から吹き飛ばされていた。とはいえ、九死に一生を得る。
今までの戦いを通して培ってきた直観力が、彼の身を助けた形だ。
その頼るべき『勘』が、じくじくと告げている。
(勝てない……!)
モンスター相手に鍛えた我流剣術は、まるでそよ風のように受け流され。戦術観もよほど相手の方が優れている。唯一、肉体強度という恩恵だけは負けていないが、その力を上手く届かせられない。
ただ、そんなのは全て些細な理由だ。
何より勇にとって深刻なこと、それは――
(……やっぱり、俺一人の力なんて)
――〈祈祷師〉の力が欠けているということだった。
勇を応援してくれる視聴者や、知り合いは皆、彼の武勇を褒めてくれる。しかし、勇がそれを真に受けたことは一度たりとも無い。何故なら彼は知っているからだ。それが祈という仲間あっての、借り物の力であるということを。
少女の祈り無くして、勇は〈見習い勇者〉足り得ない。
世界広しと言えど、「見習い」なんて冠がついた〈勇者〉は自分だけだ。
自分以外の〈勇者〉たちは皆立派に活動している。
それに引き換え、己はどうだ。
「う、ぐ……」
地べたに転がり、無様に立ち上がろうとしている。
いつもなら煌々と輝く【心火点燈】のオーラも、今は薄くなっていて、風が吹けば消えてしまいそうだ。所詮、〈祈祷師〉のスキルによって支えられていた、紛い物の勇気など、こんなもの。
『最初の威勢はどこへ行った? まさか、もう終わりか?』
ゆらりと剣を垂らしたまま、〈小鬼の剣聖〉は歩を進める。
その表情に僅か、苛立ちが浮かんでいた。
『お前の剣には芯が無い。見た目だけ立派な、空洞の棒菓子だ。足りん、足りんは覚悟が足りん。問おう、若き剣士よ。お前は誰が為に剣を振るう?』
「俺……は……」
『今一度、行くぞッ!!』
草原に力強い足跡を刻みつけ、ゴブリンが走る。
瞬きの間、ゼロになる彼我の距離。
小鬼の剣は左から右へ、猛火の如く探索者を打ち払った。
――折れた刃が、陽光を受けて光る。
それは勇の剣の片割れで。
彼はすれ違いざま、〈小鬼の剣聖〉に剣ごと断ち切られていた。
「……ご、ぼっ」
鋭い太刀筋は、勇の胸に一本の線を刻んでいた。
そこからどろりと血が溢れ出す。
痛いような、熱いような、湧き上がる一抹の喪失感。
思わず膝をついた探索者を見やり、剣聖が鼻を鳴らす。
『見込み違いだったか』
「ぁ……!」
今まで何とか声を堪えていたのだろう。
しかし事ここに到って、ついに祈が悲鳴を上げた。
『安心しろ。すぐ楽にしてやる』
敵の狙いはあくまで勇らしい。同行者に目もくれず、敗者へ慈悲をくれてやるべく剣を構えた。一息に首を落とすためか、天高く刃が掲げられていく。お陰で少しだけ、勇に最期の時が与えられた。
――誰が為に剣を振るう。
よく聞く、陳腐なフレーズだ。投げかけられた問いが、どうしてか彼の頭にこびりついている。それは勇の境遇に沿って解釈すれば「何のためにダンジョンへ挑むのか」という質問になるのかもしれない。
探索者としてある程度の成功を収めた勇が、そこで満足せず、祈を引き連れ、ダンジョンの深部を目指し続けるのは――怖いからだ。
一度でも足を止めてしまうと、またあの暗い部屋に戻ってしまうんじゃないか。日々、無力感に苛まれ続けた引き籠もり生活に返ってしまうんじゃないか。
そんな恐怖がどうしても拭えない。
もし自分に自信を持てたなら、こんな馬鹿な考え、思いつきすらしなかったろう。
本当に惨めで、嫌になる。
「小浪……さん……」
ああ、泣かせてしまった。
たとえどんなに自分が偽物で、空っぽで、弱っちくても。
彼女の前でだけは、本物であろうとしたのに。
けれど、これでようやく彼女も分かっただろう。所詮、勇の地力など最初からこんなものだ。そう考えれば、ようやく肩の荷が下りるかもしれない。ほんの少しの寂しさと、大きな後悔。疲れと眠気に身を任せ、目を閉じる。
「わた、し……わたし、は……」
暗闇だけの世界に届く少女の声は震えていて、たとえ見えていなくとも、大粒の涙が想像出来た。彼女には恨み言の一つや二つ吐く資格があると勇は思っているから、ただ黙って、粛粛と耳を傾けた。
果たして、紡がれる言の葉は。
「小浪勇を――信じています……!」
一陣の風となって、勇の心を揺らした。
そのフレーズは、いつも祈が〈祈祷師〉のスキル【先駆けの祈り】を唱える時、使用している口上だ。けれどこの時、彼女はスキルを発動しなかった。手出し無用、そう初めに約束していたから。
従って、ただ言葉を口にしただけ。
彼女の偽らざる思い、届けたい願いを。
諸手を組んで編んだだけだ。
スキルですらない、ただの祈り。
そんなものを捧げたところで、何が変わるわけもなく――
『……立つというのか、その傷で』
ハッと開いた視界の中、勇の予想に反し、祈は泣いていなかった。
今にも涙が零れそうで、ギリギリ堪えていたけれど。
ならば自分も、諦めるわけにはいかない。
何か言葉を返そうとして、歯が震え、誤魔化すために噛みしめた。
「まだ、だ」
何故ダンジョンに挑むのか。
恐怖――止まればもう二度と進めなくなってしまうんじゃないか、という気持ちに嘘はない。だが、全てでも無かった。大切なことを見落としていた。
こんな駄目な自分を信じて、ついて来てくれるパートナー。
彼女の期待に応えるために。
彼女にとっての勇者であるために。
その期待に恥じない自分であるために。
もう一度だけ、勇気を振り絞って立ち上がれ。
「……俺は、痛みには強いんだ」
震える手で刃を持ち上げ、折れた切っ先を強敵へと向ける。
取り戻した【心火点燈】の輝きが、勇の体から陽炎のように湧出していた。




