天使さま、彼方を見ゆる
ジードさんをはじめとした小鬼種族との遭遇から、気がつけば一か月が過ぎようとしていた。聞いたところによると、船の修繕作業は順調らしい。もう少しで完全に復旧出来るんだとか。
近づく別れの気配に、ほんのり寂しさを感じる今日この頃。
俺が霊子核を供給したお陰で、エネルギーを節約する必要もなくなり、一気に作業が進んだそうで、顔を出すたびペコペコと頭を下げられる。
その分ダンジョンに労働力を提供してもらっているわけだから、過剰に感謝する必要なんてないと思うんだけど、まぁ気持ちの問題か。
ともあれ。
「びびっときました」
この一月で起きた異文化交流は俺に刺激をもたらしてくれた。
お陰で、すいすいと『筆』が動く。
『ただいま戻りました、レグ様――おや?』
「おかえりなさい、フクレ。お仕事お疲れさまでした」
ダンジョンアップデートによる騒動が落ち着いてから、俺は時々、フクレを護衛艦リーヴァに出向させていた。何せフクレは文明レベル5、有翼人種族の生み出した妖精種だ。文明レベル3の小鬼種族を補佐するくらいわけない。
まぁ基本的に俺の傍を離れたがらないので、最初お願いした時、かなり渋そうな声が返ってきたけど。
『イエ、感謝されるほどのことでは……。それよりも、もしやそれは、いつぞやの続きでしょうか』
フクレが視線を向けた先には机があって、その上に書道具一式が広がっている。辺り一面に漂う墨の匂い。
……後で換気しとかないとな。一応ここ、食堂だし。
「よく覚えてますね。その通りです。どたばた続きですっかり忘れていましたが、いよいよ目標を決める時がきました」
そもそも書き物をしている時に、救難信号が来たんだよな。
何だかもう随分昔のことのように思える。たった一か月、されど一か月。
それよりはるか古の、前世の記憶を頼りにして、筆を動かすこと少し。
半紙の上に文字が生まれた。
ちょっとヨレてるのは、まぁ……ご愛敬ってことで。
「トメ、ハネ、トメ、ハネ……よし」
『これは……漢字デスか』
「あ。つい癖で」
ハーヴェンに転生してもう18年以上経つのに、習字といえば日本語を使うべしっていう固定観念があった。でも筆と墨を用意したら自然と漢字で書いちゃうのは、もう仕方ないような気もする。
俺の根っこはやっぱり地球人、なのかもな。
苦笑しつつ机に手をついた。
「共楽共栄――造語ですが、良い響きだと思いませんか?」
そのまま教室の後ろに飾っても違和感のない四文字だ。
こそっと操霊術で風を送って乾燥を早めていく。
「意味はそのまま、共に楽しみ共に栄える」
『共に……』
「そう。私だけが楽しいんじゃ、きっと駄目なんです。だって……私のペースは他の人と違うから。いつか付き合いきれなくなって、皆、飽きてしまうかもしれない」
神族は、巡る命の外にいる。
でも俺は、外側じゃなく内側にいたいんだ。
「遠くない未来、ダンジョンがその役目を終えた時、残るものはなんでしょう? 想い出を持っていけるのは、私だけ。全て、時の流れに消えていく」
『ワタクシもおります』
「ふふ、そうですね」
忘れちゃいけない大切な相棒を思い出し、小さく微笑む。
「私たちだけが綺麗な想い出を抱えていくのも、まぁ悪い人生じゃありませんけど、どうせなら欲張ってみたいじゃないですか。だから……ダンジョンが霊子文明へ続くただの礎に終わらず、あの頃は楽しかったよね、と言われ続けるような、歴史書にすら謳われる、最高の世界を築きたい」
大それた夢だと思う。
でも神族と生まれたからには、それくらいがちょうどいいんじゃないか。
「そのためには、私だけが楽しいんじゃ駄目なんです。地球人だけが楽しいんでも駄目なんです。時には同族や小鬼種族さえ巻き込んで、みんなでワクワクして、楽しみながら前に向かって進んでいく。そんな未来を目指して……」
あれこれ難しいことを並べ立ててはみたけれど、結局、俺のやることは変わらない。
まぁ決意表明みたいなもんだ。
自分に言い聞かせるつもりで、言葉を紡いだ。
「私はこれからも、びっくり箱のような日々を、あの星へ届けましょう」
ただし、仕掛ける側だけが楽しいジョークグッズは無しでいこう。取ろうとしたら指を挟まれるガムとか、刃先が引っ込むナイフみたいな、ああいうのは禁止だ。びっくり箱はびっくり箱でも、底の方にちゃんとプレゼントを仕込まなきゃ。
大変だけど、俺は一人じゃない。
「頼りにしていますよ、フクレ」
『ハイ! 微力ながらお手伝いさせていただきます!』
「えい、えい、おー」
俺の動きに合わせ、触腕を揺らすフクレ。
よし、良い感じにまとまったな!
そしたら机の上を片付けて……っと。
「あちゃ、額縁でも用意しておけばよかったですね。書いたはいいものの、これ、どうしましょう?」
勢いに任せて書き上げた「共楽共栄」の四文字。当初の予定だと、戒めに自室へ掲げておくつもりだったんだが、よく考えると俺の部屋――船長室はコルクボードもない殺風景な空間だ。最近、ゲーム機に侵食されつつあるけど……。
壁に画鋲は刺さらないしなぁ。いっそ実家に持ってくか?
『ワタクシにお任せください! 今すぐピッタリのものを買って参ります!』
「え。それはちょっと、心配……のような……」
『そ、そんな! ワタクシには荷が重いということデスか……?』
「いえ、あなたの能力を疑っているわけではなく」
なんていうか、フクレをお使いに出すと大冒険が始まるような気がするんだよな。前にポテチを買ってきてくれた時も、なんかあったみたいだし。
それに何より、絶対大袈裟なものを選んでくるだろうという確信があった。急にクソデカ掛け軸を買ってきたって驚かない。俺からすれば気ままに書いた字も、フクレからするとたぶん神託みたいなもんだから。
その過剰とも言える気遣いがフクレのアイデンティティでもあるから、藪蛇になる前に話を打ち切ることとした。
「まぁ細かいことは後で考えましょう。それより、今日もダンジョン監視の時間です」
ぱんぱんと手を叩き、いくつかダンジョンの映像を呼び出す。合わせて霊子に働きかけて、見えざる力で書道具を片付けていく。手が黒くならないし楽ちんだ。こうやって人は堕落するのかもしれない。
さておき。
「イベントも、仲魔システムも――そろそろ『芽』が出る頃合いでしょうから。ここから先も、見逃し厳禁ですよ」
ゴブリンに始まり、ゴブリンに終わるこの狂騒劇も、そろそろ一つの節目を迎えようとしていた。




