焦眉の急(ジード)
非常灯の明かりだけが灯る、薄暗い艦橋。
その司令塔で一人、小鬼種族のジード・ラ・スタレイはぼんやりと宙を見つめていた。背もたれに体を預け、完全に脱力している。
先ほどまでの喧騒が嘘のようだ。
今、護衛艦リーヴァは巨大なクレーターの中にいる。
未開惑星、地球。その周囲を巡る衛星――地球人たちが「月」と呼ぶ星へ着陸したのは、今から数時間前のこと。士官たちと一緒になって、船員たちへ艦の修復や点検の指示を出し、ひとまず危機は脱した。
今日明日、船が突然大破してしまう心配はない。
それでも今後に不安が残る。
だから少しでも士気を上げようと、特別に一人三杯まで酒類を解禁した。今頃、食堂では大宴会になっていることだろう。そんなおめでたい席に上官がいても、気持ちよく寛げない。後で顔だけ見せれば十分だ。
それにジード自身、少し一人になりたい気分だった。
「…………」
艦橋の窓から見える景色は味気ない。
なだらかな上り坂が彼方まで続いているだけの、不毛の大地。
ジードが知る、ゴブリン族にとっての月とはまた少し違う、異郷の月だ。
不意に、この地へ案内した『天使』の姿が思い浮かび、身を震わせた。
「……はぁー」
たまらず息が漏れる。
彼は未だに、自分の首と胴が繋がっていることに信じられない思いがした。
(生きている。俺は、生きているのか)
あの時。幸運にも救難信号が誰かに届いていたと分かった時。ジードは心の底から喜んだ。なにせ九分九厘、助けなど来ないと考えていたからだ。
もちろん罠の可能性も考えた。しかし救助者から送られてきた識別コードは、間違いなく連邦が発行したものであり、偽ることが難しい。よって、現れた小型宇宙船を藁にも縋る気持ちで出迎えた。
しかし、その船から一人の天使が、お供を連れて舞い降りた瞬間――
『小鬼種の皆さん、こんにちは』
――ジードは死を覚悟した。
輝き、波打つ銀の髪。怜悧で、こちらを見透かす瞳は琥珀色。薄い胸の拍動に合わせ、純白の翼が微かに揺れる。ゴブリン族の価値観をして、美しいと感じるほどの立ち姿。見てはいけないと考えるのに、どうしても目を奪われてしまう。
四神が一柱、祖なる霊樹の守護者。
いと尊き神の化身。
鈴を転がしたような可愛い声は、ジードにとって死刑宣告に等しかった。何故ならば、知らなかったとはいえ、彼は眼前の天使を――神族を呼びつけたことになるからだ。これを不敬と言わずして何と言うのか。
どうしてこんな辺境に。
そんな疑問はすぐさま押し込め、頭を下げた。
せめてこの身が消し炭にされようとも、部下の命だけは助けて欲しい。そんな思いから飛び出していた。
結果、ジードはまだこうして五体満足に生きている。
それどころか、救いの手まで差し伸べられた。
(もしかして夢でも見てるんじゃないか。だとすれば、どこから……)
あまりにも都合が良すぎる展開だ。あるいはまだ、自分はあの戦場にいて、生死の境を彷徨っているのかもしれない。
そんな風に考えた時だった。
背後で戸が開く音。
現在、この船は必要最低限のエネルギーで動かしている。よって自動ドアは手動ドアだ。ゆっくり戸をスライドさせ、何者かがやってくる。
「おやっさん。やっぱりここでしたか」
「……オビー」
ジードが首を少し傾けると、傍に一人のゴブリンが立っていた。
まだ肌に皺が少ない、張りの感じられる若者。彼はジードの右腕にして、この船の副官だ。名をオブダイエンという。
「皆、おやっさんのことを探してましたよ」
「そうか。それは悪いことをしたな」
「ええ、まったく」
「…………」
沈黙を誤魔化すように、ジードは胸ポケットから紙煙草を取り出す。
そうして口に咥えたところで、
「火なら貸しませんよ」
オブダイエンが声を上げ、非難がましく目を据えた。
壁に掲げられた火気厳禁の表示がくすんでいる。
「っと、しまった。つい癖で……」
「いい加減、電子に変えたらどうですか。今日日そんな『骨董品』吸ってるのなんて、おやっさんくらいでしょうに」
「ほうっておけ。俺はこれが好きなんだ。第一、骨董品の何が悪い」
「そりゃ好みは人それぞれですけどね。ともかくここじゃ駄目ですよ」
「……ふん」
ジードは鼻を鳴らして、煙草をポケットにしまい直した。
上官と部下の関係ながら、二人の間に流れている空気は気安い。もっともオブダイエンに限らず、ジードは多くの船員から慕われていた。それは彼が責任感の強い、信頼できる上司だからだ。
有事の際、自分の命を投げ出すことさえ厭わないほどの。
「……変わった神様でしたね」
「ああ」
「……生きてるんですよね、俺たち」
「ああ」
意識せず、話題はかれらを助けた『上位者』へ移る。
「自分は、神族というのはもっと傲慢で、自分勝手な存在なんだと思っていました」
「あまり滅多なことを言うな。聞かれたらどうする」
「……すみません。迂闊でした」
「気持ちはわかるが、な」
この宇宙で普通に生まれて、普通に生きていく分には、神族と関わる機会などまずない。だからその存在自体がお伽噺の領域だ。何となく敬い、畏れている種族も多い。しかしこと小鬼種族にとって、伝説は真実だった。
「今、俺たちがこうして話せているのも、全ては剣神様の尽力があればこそ。その事実を忘れるんじゃない。命を無駄にするな」
ゴブリンたちは特定の宗教を持たない。
けれど土着信仰のように、広く、漠然と敬われている存在がある。
――剣神エルダ。
その『ゴブリン』が歴史に登場したのは、はるか昔。
かつて、小鬼種族は鬼人種族の奴隷だった。
ゴブリンたちの住まうビーニーヴ銀河は、運の悪いことにオーガたちの生まれた銀河と三軒隣にあった。かの近在種は、ゴブリンたちよりも早く文明を発達させ、星の海を越えて侵略にやってきたのだ。
当時のゴブリン族は現在で言うところの文明レベル0。
霊子さえ発見していない未開の『蛮族』だった。
抗う術などなく、あっという間に蹂躙され、ゴブリンたちの暮らす星はオーガ帝国の植民地となった。
すなわち、小鬼種の歴史は屈服の歴史だ。
長らく消耗品として、人ではない扱いを受けてきた。
ゴブリンたちは正しく『家畜』だったのだ。
やがて崩神大戦と呼ばれる、数多の銀河を巻き込んだ大戦争が勃発する。
四つの神族がぶつかりあった、ただ一度きりの大喧嘩。
オーガ族は当時、四神が一柱、武闘派の竜角人種族に仕えていた。霊子文明もかれらから与えられた借り物であり、その力で帝国を築き上げたのだ。必然、尊き神族に付き従って、オーガたちも戦争に参加した。
数多の奴隷――ゴブリンという肉壁を携えて。
前線に送られ、無為に命を散らしていく若者たち。
だがその中で一人、めきめきと頭角を現す者がいた。
名を、エルダ。
彼はどんな死地でさえも乗り越え、生還した。生まれながらにして持つ鋭い直観力と、眩いばかりの剣の才。一説によれば彼は神族でしか知覚できない霊子を、肌で感じ取ることが出来たという。
嘘か誠か。その剣は操霊術さえ斬り捨てる、と。
ともかく、名もなき戦士はゴブリン族の希望になった。
彼がいれば絶望的な戦いにも勝てる。だから諦めず、自由を掴み取ろう。
小鬼たちは口々にそう励まし合い、上を向いた。
けれど戦争は激化していく。
ゴブリンどころか、オーガでさえも数を減らし始め――最終局面。ゴブリン族はオーガ族を逃がすため、絶望的な撤退戦に投じられる。命を使い、時を稼げと告げられたのだ。
そんな絶体絶命の窮地にあって、進み出る男が一人。
剣士エルダは言った。
――殿は自分一人で十分だ。皆はどうか、逃げてくれ。
戦争は終わった。
神族に付き従った下位種族の実に九割が死滅するという、未曽有の被害を叩き出して。それでも争いは終結し、辛くもゴブリン族は生き残った。消えた星々の数を思えば、とてつもない幸運と言えよう。
エルダは、帰らなかった。
たった一人きりで、彼は種族の明日を繋いだのだ。
それが不死身と呼ばれた剣士の最期だった。
戦後、神族たちは恒久平和条約を結び、銀河連邦の礎を作り上げる。
それに伴いゴブリン族も奴隷の身分から開放され、自由になった。
ゴブリンたちは偉大な英雄、エルダのことを忘れないよう、その武勲を寝物語として語り継ぐことにした。
すなわち、「剣神伝説」の誕生である。
「確かにあの羽神様は、俺たちの知るそれと随分違うらしい」
生粋の軍閥家系に生まれたジードは、幼い頃から耳にタコが出来るくらい剣神伝説を聞かされて育った。その中に出てくる神族は冷酷無比で、絶望の象徴だ。少なくとも、下位種族にくれてやる優しさなど欠片もないように思える。
けれど、所詮伝聞に過ぎないのかもしれない。
「何せ、わざわざ帯剣までお許しになるのだから」
「ああ……。あれは驚きましたね」
ゴブリンたるもの、男児と生まれたからには剣を振るうべし。何なら、女児だろうと心に刃を秘めるべし。小鬼種族の社会における普遍的な価値観だ。街を歩けば、我こそ剣神様の後継と謳う道場が幾つもある。
ゴブリンたちにとって、剣とは自由の証だった。
もっとも、近年その価値観が揺らいでいるが――
「そも羽神様と森神様は、元来穏健派だったと聞く。我らを立ててくれたというより、ただ些事と思われたのかもしれない……。それでも兎角、響いたな」
ジードはいざとなれば、自分を犠牲にしてでも仲間の助命を嘆願するつもりでいたのだ。それくらい気を張っていただけに、雲上人から与えられた気遣いは、驚愕とともに大きな安堵を与えてくれた。
少なくとも目の前の存在は、人に仇なす化け物ではないと。
今も腰に下げた剣の鞘を撫でながら、苦笑いを浮かべる。
「まぁ、何度死んだと思ったかわからんが」
「……自分にも感じ取れるほどの圧でした。今思い出すだけで、震えが止まりません。まったく生きた心地がしませんでしたよ」
「そうさな。たったお一人で、この規模の〈結界〉を張られるなど、どうかしている。つくづく神族というのはイカれ――いや、恐ろしいものだ」
今、護衛艦リーヴァは月のクレーターに停泊している。一見すると、それで陰に隠されているように見えるが、もう一つ見つかりにくい仕掛けが施されていた。目に見えない透明な膜が、ドームのように周囲を覆っているのだ。
この膜があらゆる探知を遮断し、安全圏を作り出していた。
羽神様曰く、地球人に知られると困るからという理由で。
あくまで艦のステルス機能が直るまでの措置だが、いともたやすく――少なくともジードたちから見れば――行われた御業に震撼するほかない。たとえ慈悲の心を持っていたとしても、気まぐれで自分たちを消し去る力があるのだと思い知らされた。
「オビー。いざという時はお前に指揮を任せる」
「……おやっさん。縁起でもないこと言わないでくださいよ」
「阿呆、聞け。必要なことだ。有事の際に大切なのは、あらかじめ心づもりを立てておくことよ。それに俺と違って、お前には家族がいるだろう。今2歳だったか?」
「それを言うならおやっさんだって――」
「俺に家族はいない」
きっぱり答えてジードが首を振る。
それから彼は小さく笑った。
「強いて言えばお前たちがそうさ」
「…………」
オブダイエンは何事か言いたげに口を開いたが、何とか返したものか、言葉にならない。結局困って、ただ眉根を寄せた。
「兎角、命を拾えたことに感謝だな。今日はもう休んで――」
「失礼します!」
不意に船員が一人、開け放たれたままのドアから顔を出す。息を切らし、かなり急いでいる様子だった。
誰かが気を利かせて自分を呼びにきたのか。それにしては慌てているが、と訝しむジードの代わりに、まずオブダイエンが前に立つ。上官の姿を認め、その船員はすかさず足を揃え、胸に拳を当てた。
「お二人とも、ここにいらっしゃいましたか!」
「どうした、騒がしいぞ」
「あの、そのっ、それが……!」
「どうどう、落ち着け。報告は一つずつ、冷静に、丁寧を心掛けろ」
慣れたもので、オブダイエンは言い聞かせるよう言葉を区切って、部下を落ち着かせにかかる。その甲斐あって、息を整える間が生まれた。
ただし。
「――羽神様の使いがいらして、艦長をお呼びです。可及的速やかに、疾く来られたし……と!」
もたらされた急報は、正に風雲急を告げるものだった。
オブダイエンがさっと顔を青くし、ジードを見やる。
そこには既に立ち上がり、帽子を目深に被る小鬼の姿があった。
「……今日が俺の命日かもしれんな」
呟くジードの瞳に悲壮感はない。
決意を漲らせ、一度だけ腰の剣を触る。
それから彼は力強く足を踏み出すのであった。
いざとなれば、あの剣神エルダのように、己も玉砕することを覚悟のうえで。




